今回は連載コラムの番外編、「跡取り娘」ならぬ「跡取り息子」の登場である。2008年11月発売以来、品切れするほどの大ヒットを記録した、デジタルメモ「ポメラ」。その開発秘話をお届けする。

 「メールにインターネット、ゲームに音楽、ビデオ編集…。これすべてできません。私にできるのは1つだけ。文字を打つこと、それだけ――」というテレビCMをご存じだろうか。

 それは、老舗事務用品メーカー、キングジムのデジタルメモ「ポメラ」である。CMに嘘偽りはなく、本当にポメラには文字を打つという機能しかない。

キングジム社長宮本彰さん(写真:いずもと けい)

 このポメラが、売れている。昨年11月の発売と同時にほぼ品切れ状態。当初年間3万台の販売計画だったが、年間売り上げ台数は10万台にも達する見込みだ。

 「『そんな不便なもの、どんな人が買っているんだろう』と不思議に思われる方もいるかもしれません。でも実は、当社の経営陣の中に『ポメラ』の大ファンが1人いるのです」と言うのは、同社の4代目である宮本彰社長だ。

 「当社の社外取締役である慶應義塾大学の印南一路教授は、自分のスタイルで原稿を書くのに最適な道具がないことに、ずっと不満を持っていました」


ただ、原稿を書きたいだけ。そんな機器はないものか

 印南教授は職業柄、出張が多く、飛行機や電車の中などの移動時間はほとんど原稿書きの時間に充てていた。このため、長い間ノートパソコンを出張に携帯していたという。

 印南教授にとっては、このノートパソコンが何よりストレスの種になっていた。まず、大きくて重い。そのうえ、起動が遅い。ふと閃(ひらめ)いたアイデアをメモするのに何分もかかる。

 「インターネットも見なければメールも送らない。ただ原稿を書きたいだけなのに、なんでこんな重くて不便なものを持ち歩かなければならないのか」。それが印南教授の長年の不満だった。

ポメラの大きさはてのひらに載るくらい(写真:山田 愼二)

 ポメラはそんな印南教授に、劇的な利便性をもたらした。重さは約370グラム、大きさは手のひらサイズ。スイッチを押してから2秒で立ち上がる。パソコンをシャットダウンした直後にいいフレーズを思いつき、イライラすることも一切なくなった。

 「そうは言っても、飛行機や電車での移動中に原稿やリポートを書く人なんて、世の中の人のごくわずかでは」と考える人もいるだろう。まさにその通りで、ポメラを欲しいと思う人は、全体から見ればかなりの少数派と言える。

企画当初は、経営陣が大反対

 実際、同社の役員会議でポメラの開発担当者がプレゼンした時も、経営陣の反応は惨たんたるものだった。

 「文字入力しかできないの?」「携帯電話以下の機能じゃないか」「それで2万円以上の価格なんて売れるはずはない」。参加していた役員15人のうち14人が相次いで反対し、「待ちに待っていた商品だ」と絶賛したのは、ほかならぬ印南教授ただ1人だったという。

 しかし、宮本社長はそんな光景を見たことで、逆に「思わぬヒット商品になるかもしれない」と手応えを感じ、開発にゴーサインを出した。多数の役員の反対を押し切って商品化を進めさせたのは、ポメラという商品が、宮本社長自ら考える「ヒット開発の方程式」に当てはまると確信したからだ。

 典型的な成熟市場と空前の消費不況という悪条件の中で生まれたヒット。その裏側には、4代目である宮本彰社長の「ヒットの方程式」がある。

 その方程式とはずばり、「まあまあ欲しい人が10人<要らない人が9人+絶対欲しい人が1人」である。

 「10人の消費者全員が『まあまあ欲しい』と言う商品Aと、10人中9人は『要らない』と拒否するが1人は『絶対に欲しい』と熱望する商品Bがあった場合、どちらの商品がヒットの確率が高いと思いますか」と宮本社長は言う。

全員が「まあまあ欲しい」商品はヒットしない

 「おそらく多くの人は、『商品A』と答えると思います。しかし、我が社ではこういう商品の開発には手を出しません。少なくとも事務用品の世界では、Bの方が圧倒的に売れる可能性が高いからです」

 「事務用品の世界では」と宮本社長が前置きしたのは、食料品や衣料の世界では、状況が変わってくるからだ。生活必需品の分野では、10人が「まあまあ欲しい」と言う商品Aの方が有望になる。

取材の時でも楽々文字入力できるポメラ(写真:山田 愼二)

 なぜか。宮本社長の考え方をまとめると次のようになる。

 食料品や衣料は事務用品よりも、人々にとって購買の優先順位が高い。生きていくうえで必要であり、誰もが定期的に購入しなければならないため、食品や服を見て「まあまあ欲しい」と10人が思えば、結果として半分程度は現実に購買行動を起こす。つまり商品Aは5~6個は売れる可能性がある。

 それに対して、商品Bは9人が「要らない」と断言している以上、1個しか売れない。メーカーとしては、当然、商品Aの開発に全力を注ぐのが最も合理的な選択になる。

 しかし事務用品は、あれば便利かもしれないが、ないからといって生活できなくなる商品ではない。「まあまあ欲しい」と思う程度では、購買行動を起こす者は少なく、場合によっては、商品Aは1つも売れない可能性もある。

 それに対して、商品Bはすでに1人は「絶対に欲しい」と言っている以上、1個は必ず売れる。よって、事務用品メーカーとしては、商品Bの開発に乗り出すのが最も有利な選択となる――。

 14人の役員が「誰が欲しいんだ、こんなもの」と主張し、印南教授1人だけが「素晴らしい」と絶賛したポメラは、「まあまあ×10人<要らない×9人+絶対欲しい×1人」の宮本理論から見て、絶好の新商品だった、というわけだ。

「秘伝の方程式」でヒットメーカーの座を守る

 キングジムはポメラのみならず、1927年の創業以来、この独自の「ヒットの方程式」によって、事務用品業界の主役の座を守り続けてきた。

 同社の80余年の歴史を支えた2大ヒット商品も、まさしくこの方程式に合致する商品だ。1つは、パイプ式ファイル「キングファイル」。もう1つは、ラベルライター「テプラ」だ。

 パイプ式ファイルは54年に発売し、大ヒット。99年には累計販売冊数は3億冊を超えるキングジムの代名詞的商品である。

 同社のパイプ式ファイルが登場するまで、市場にはリング式ファイルしかなかった。「オフィス文書に穴を開けて収納する」という点において、2つの商品に遜色はない。最大の違いは、リング式だと書類の中央がファイルの外に飛び出してしまうのに対し、パイプ式タイプでは、はみ出すことなくすっきり収納できることにある。

 「書類がまとめられさえすれば、少しぐらい紙が出ていても気にならない」と考える大多数の人は、この商品を「欲しい」とは思わない。しかし、バインダーから紙が出ていることが日頃から気になっていた几帳面な少数派は、「パイプ式ファイルが絶対に欲しい」と考える。

 ラベルライターは、名前や言葉などを印字したオリジナルのテープを作る電子機器。子供の持ち物から調味料、オフィスの備品などあらゆるものに、名前をつけて管理できる。「テプラ」は88年に発売され、年間3万台の目標だったのが5年後には100万台の大台を突破し、全くの新市場を創出した。

 テプラもキングファイルと同様、「手書きで十分」と考える多くの人にとっては、購買意欲をそそられる商品ではない。しかし、「マジックで書くのではなく、印刷されたきれいな文字で持ち物を整理整頓したい」と思う一部の消費者にとっては、「どうしても手に入れたい商品」になる。

「世の中にないものを作る」創業精神が原点

 絶対多数でなく、1割の熱烈な支持者ができる商品を作る――。この独自の方針を貫くことで、キングジムは事務用品という成熟市場を生き抜いてきた。

 「『10人に1人しか売れないのなら、ヒットするはずがない』と思う人がいるとすれば、それは完全な誤解です。多くの人はヒット商品と聞くと、感覚的に世の中の過半数の人は買っていると思っていますが、そんな商品は世の中に存在しません。1割というのは、すごい数字なんですよ。1億2000万人のうち1200万人に売れれば、事務用品の世界ではとてつもない大ヒット商品になるんです」(宮本社長)

 キングジムの創業者であり、宮本社長の祖父である宮本英太郎氏は、「創意工夫で世の中にないものを作ること」「新たな文化を生み出すこと」を生きがいとしていた。それは、「町の発明家」としてのプライドであると同時に、小さな会社を存続させるための知恵でもあった。

 全くの新商品を作ることの最大のメリットは「敵を作らないこと」にある。類似商品を発売するとシェア争いになる。市場を奪われた会社は必死で取り返そうとし、憎しみはやがて無益な競争に発展し、参加する企業はすべて消耗していく。新しい市場を創造すれば、損する人は誰もおらず、敵も増えることがない。

 「全員が『まあまあだ』と思う商品は、往々にして、既に市場にある商品がほとんど。一方で、1割だけが熱烈に欲しがる商品はまず『世の中にない商品』。ヒット開発の方程式の原点には、祖父の創業精神があるんです」と宮本社長は話す。


宮本彰(みやもと・あきら)
1954年東京都生まれ。77年、慶應義塾大学卒業。同年、祖父が創業したキングジムに入社。84年、常務時代からラベルライター「テプラ」の開発を指揮。大ヒット商品に育てる。92年から現職

日経ビジネス電子版から転載。
日経BP総合研究所 大塚葉が担当した記事を再掲。