最近では、若手経営者たちが茶道を学ぶ機会が増えている。千利休が「相客に心せよ」と教えた茶の道は、ビジネスパーソンの経営術にどんな影響を与えているのか。今回は、銀座のテーラー壹番館(いちばんかん)洋服店の渡辺新社長に話を伺った。

※本文中、太字で示した茶道用語は文末に解説を入れた。

 柔道で鍛え上げた180センチ以上ある大きな身体を丸めるようにかがめて、小さな茶碗を手に取る。上から下から眺める目つきは子どものようだ。

 「あ~、ここヒビが入っているな…。難しい」
 焼いた茶碗にひび割れを発見した。

 銀座のとあるビルの中にある、焼き物教室。テーブルを2つ置いただけでいっぱいになるような小さなスペースで、渡辺新(わたなべ・しん)は月2回、お茶会で使用する自分の茶碗を焼いている。茶の湯にはまる男性で、名器収集に走る人はいるが、自分で焼きにまわる人は珍しい。

 「道具もこうして自分でつくるようになると、モノの見方が変わって新しい発見があるんですよ。普段は和装が多いんですが、着物も自分で染めています。今度は、茶釜づくりにトライしたい。800度くらいの高熱で焼かないといけないのですが、日本橋でもつくっているところがあるんですよ。『ひとり十職』計画って呼んでいるんですけれどね(笑)」

 「ひとり十職」とは、「千家十職」のもじりである。
 茶釜や茶碗など、茶の湯の千家の好む道具を代々制作する十の職家を千家十職と呼ぶ。茶碗師の樂吉左衞門、塗師(ぬし)の中村宗哲、金物師の中川淨益など十家だ。渡辺はこれらを全て自分ひとりでやりたい、と言うのだ。職人仕事に強い関心を持つのは、テーラーの血が騒ぐからかもしれない。

 渡辺は銀座に3代続くテーラー「壹番館洋服店」の3代目社長である。創業は1930年、分厚い顧客リストには政財界のVIPがずらりと並び、50年以上前に仕立てたパンツの直しを持ち込む顧客もいるという。ファッション界で注目されている若手テーラーがここで修業していたケースも多い。渡辺が茶の湯の世界と出会ったのは、米国、イタリアの留学から帰ってきてすぐの時だった。

壹番館洋服店で(写真:山田 愼二)

 「九州のお客様のところに伺った時、『まあお茶でも飲んでいきなさいよ』と言われて、気軽に返事をしたら「お薄」(抹茶を泡立てるように点てた「薄茶」のこと)が出てきちゃった」と渡辺は振り返る。

 「それまでお茶なんてしたことがありませんから、茶碗の持ち方も分からず、焦りましたよ。さすがに飲み方も知らないのではまずいと、東京に戻ってすぐお稽古に通い始めました」

 稽古は早朝7時から1時間、出社前に毎週受けた。習い始めて渡辺は、イタリア留学以来、求めていたものがここにあることを知った。

 「それは500年間以上蓄積されてきた日本の伝統文化です。自分の国の伝統と文化を深く知ることは、海外で働く時に重要な武器になる。そのことに気づかされたのが、イタリアでの体験でした」

 英国では縫製やカットなどテーラー技術を学んだ。帰国する前に、好きなデザイナー、ジャンフランコ・フェレが教授を務めるデザインスクールがイタリアのミラノにあると知り、受験して入学した。1年間だけのコースで、生徒は実務経験者やスペインからの国費留学生ら外国人も多かった。そこで毎週行われる企業コンペの授業が刺激的だったという。

 「毎回真剣勝負で、激しい競争社会でした。企業コンペで注目されれば、そのままその会社に就職できる可能性もあるわけですから、生徒も目の色が変わりますよ。デザインや文化って、とても上品で格好良いものに見えますが、とんでもない。覇権主義のようなところがあって、例えば米国のアート市場で印象派よりポップアートが高い価格で取引されるのも、文化戦略の1つなんですよ。サザビーズでどのアートがどのくらいで落札されたか、というのは国家威信に関わることなんです」と渡辺は言う。

 「デザインスクールのコンペ戦争の中で、自分の武器はなんだろうと、自分のことを振り返らざるを得ませんでした。私がそこで『イタリアっぽいもの』『フランスっぽいもの』をやってみせたところで、せいぜい『ぽいもの』止まりになってしまう。目の前に本物がいるんですから、かないません。じゃあ自分のオリジナルはなんだろうと考えさせられ、その後帰国して茶の湯の世界に触れた時、ああ、これだと分かったんです。日本独自の感性を理解しておくことはこれからのビジネスに必要だと思います」

 茶の湯で渡辺が熱心に取り組んでいるのは、「お茶会を開くこと」である。これは珍しいタイプかもしれない。前回取り上げた、楽天野球団社長の島田亨のように「お作法を学びたい」という人も多いし、道具に凝る人も多い。だが渡辺は、割稽古もそこそこに、とにかく「ばんばん茶会をする」。

 「お茶のお免状を取ることには興味はないし、茶道の道を究めたいとも思わない。興味があるのは、どうやって人をもてなしたらいいのだろう、ということです。だから真面目に茶道に取り組んでいる人たちがご覧になると、お腹立ちになるかもしれませんが」と渡辺は笑う。

 「去年は10人程度のお茶会を5~6回開催しました。大きなお茶会は、料亭『金田中』でやったのと、銀座のシャネルビルの屋上で開催したものですね。いつも銀座で私のような立場で働いている同世代5~6人で企画するんですが、金田中もシャネルも好評で嬉しかったですねえ」。

 「お点前やお作法はお茶の先生にお任せして、我々はいらしたお客様ととにかくトークしまくるという、ホストみたいなものです。そこにたまたまお茶があると言うだけで。シャネルでやった時は盛況で、150人ぐらいに来ていただきました。このお茶会ではまず、シャネルビルの中のフレンチレストラン、アラン・デュカスで食事をしてもらい、屋上の茶席で出すお茶菓子も和菓子でなくて、デュカスでマカロンやチョコレートをきなこで包んだりしたのをオリジナルで作ってもらいました」。

 「でもお茶会とは、そもそもそういうものだったんじゃありませんか? 来ていただいた人に楽しんでもらうことを第一に考える。お作法はあとから加えられていったものでしょう。いわばお茶会はアートと一緒で、クリエーション(創造的行為)なんですよ。無形で目に見えないけれど、サービスクリエーションなんです」

 日本の伝統を学ぶためにお茶を始め、今はおもてなしの心を大切にする。それもこれも、銀座という街のためである。昨年のリーマンショック以降、日本が誇る繁華街も厳しい局面を迫られている。

 「茶の湯の『おもてなし』精神に惹かれるのは、これからの銀座は、もうモノだけ売っていればいい時代は終わったのではないかと思うからです。この間、海外の要人の甥っ子さんを人に頼まれて、銀座を案内したんですよ。でもどのお店にお連れてしても、ピンと来ないんですよね。『外資系ブランドばかりじゃないか。日本のものはないのか』と言われて、はたと困りました。結局その甥っ子さんが気に入ったのは、デパートの地下の店に置いてあった四角いスイカなんですよ(笑)。抱きかかえて『これは面白い』と言っておられました」。

 銀座でさえも、「日本らしいモノ」を売れなくなってきているということか。

 「ではこれからの日本は、モノではなく何を売るのだと言われたら、私はコトだと思うんですよね。出来事(イベント)、場所という意味です。言ってみれば大人の遊び場の提供ですよ。茶の湯を本格的にやっている人が唸るような茶会もいいですが、私と仲間が目指すのは、まず、お客様が気軽に『楽しかったね』と、笑顔でうなずきあえるような茶会です。自分たちがやっているお茶会だけでなく、銀座に四千家が集う『銀茶会』ももう8年目になりましたし、私どもの会社でもアート、食事、ファッションに関するお客様をお招きする『壹ノ曾』という集いも行っております」

 「みんな実験です。『どうやったらお客様に喜んでもらえるか』を考えて、実際にやってみて、喜んでもらえた、反応がもうひとつだったとか、いろいろな反応が伺える。それは茶会というイベントに限らず、銀座でこんなアイデアで商売してみた、今回はうけた、その次はかすりもしなかった…という経験が大事なんです。そういうことを繰り返していけば豊かな銀座が作れると思うのですが、その実験をやめたらこの街は終わりです。何しろ、面白いものといえば、四角いスイカしかないんですから」

 渡辺の現在の目標は、「お茶をハレの日の行事だけにするのではなく、『エブリディお茶会』のような雰囲気にしたい」ということだ。

 「一期一会」という言葉がある。「生涯にただ一度まみえること」という意味だが、利休の弟子の山上宗二が師の教えとして「一期に一度の参会」と記したことに由来する。

 茶会は一期に一度の出会いと考えて、誠意を尽くせという茶会の心得である。「一期一会のおもてなし」、それが、渡辺新が茶の湯で得た銀座の街のこれからの在り方なのだ。

●茶道用語の基礎知識
・割稽古(わりげいこ)
茶道で、点前をするための一連の基本的な所作を稽古すること。割稽古を積み重ねることで、茶事なども開けるようになる。
・山上宗二(やまのうえそうじ)
1544~1590年。堺の豪商、茶人。千利休に20年間師事した。茶匠として豊臣秀吉に仕えたが、舌禍のため怒りを買う。後に利休の口利きで秀吉に再会するが、またしても怒りを買い、打ち首になる。
日経ビジネス電子版から転載。
日経BP総研 HR人材開発センター長 大塚葉が担当した記事を再掲。