特集 ニッチリッチ

三宅(広島市)
小さな世界的企業 海外事例から先を読み、一芸で囲い込み

三宅社長

バーコード、セキュリティータグ──。米国で一般化した技術を日本に持ち込み成功を続けているのが三宅だ。
ただし、単なるモノマネではない。海外企業にはない一芸を磨き、サポートも充実させることで、確実にシェアを取る。
現在は紙媒体のセキュリティー事業に取り組み、新たなニッチ分野を開拓しようとしている。

 高額商品を扱うレンタルショップや量販店でよく見かける万引き防止システム。ここで使われる、商品に貼り付ける防犯タグを製造しているのは、日本では1社だけ。しかも大企業ではない。従業員数20人の三宅だ。

 広島市の郊外に本社を構える三宅は、現社長の三宅正光氏の祖父が1917年に立ち上げた。当時、広島の花形産業といわれていた手縫い針などの製造を手掛け、輸出にも手を広げるなど事業を拡大する時代が、しばらくは続いた。

 だが、正光氏が入社する70年代には事業環境が一変。中国などの企業が安価な製品を供給し始めたことから価格競争が激化し、会社の存亡をかけた業態の見直しを余儀なくされていた。

「いずれ日本にも」と確信

 同社はその頃、衣料用の値札を付けるピンを納品していた取引先から「ピンと印刷された値札タグをセットで納入してもらえないか」と打診を受けていた。入社したばかりの正光氏は、当時の社長だった父からの指示を受け、印刷に関する日米の最新技術を学ぶこととなった。

 米国に渡り、印刷工場で修行をしているときに正光氏が目にしたのが、まだ日本にはなかった、バーコードを読み取るレジのシステムだ。

 「これは必ず近いうちに日本にも入ってくる」と確信し、帰国した正光氏は、バーコード付きのタグを製造するのに欠かせない、太さの異なる線をくっきりと印刷する技術や、検品の技術を社内で確立していった。

 正光氏の読み通り、その後すぐに、日本でもバーコードが普及し始めた。他社に先駆けて身に付けた技術が、ここで生きる。80年代に入る頃から、バーコード印刷の分野で同社はシェアを拡大していった。「バーコードの三宅」と呼ばれるほどの知名度を得ることができた。

 印刷事業に参入するとき、普通なら規模を追い求めて、広告物や出版物などにも手を広げたくなるところだろう。だが正光氏は、あえてその道は選ばなかった。バーコードの印刷という、規模自体は決して大きいとはいえないニッチ市場であっても、他社に追随を許さない技術さえ持っていれば、可能性は大きい──。このとき正光氏は確信した。

先進の商品、1台も売れず

 同時にその頃、もう1つの大きな転機が同社に訪れた。音楽業界の主力商品がレコードから、ポケットに入る小型のコンパクトディスクへと置き換わる時期で、取引先のレコード店から「万引きが増えて困っている」という声を聞いた。

 ここでも正光氏は、先を行く海外に着目した。米国の商業施設では商品の盗難を防ぐため、出入り口に防犯ゲートを設置していた。支払いを済ませていない商品を持ち出そうとすると、商品に貼り付けてある防犯タグをゲートが感知し、警報が鳴る。

 この米国製のシステムは、きっと日本でも売れるはずだと正光氏は考え、1983年に米国企業と日本での販売代理店になる契約を交わし、営業を開始した。

三宅が開発した防犯システム
三宅社長と、三宅が開発した防犯システム。防犯ゲートが、商品に貼り付けたタグを精度良く感知する。監視カメラを内蔵した新型ゲートもある
(撮影:橋本かをり=グローカルメディア)

 だが、こちらは思惑通りにはいかない。「1年間、足を棒にして各地を飛び回ったが、1台も売れなかった」(正光氏)。物々しい防犯ゲートを店先に置けば「客を万引き犯と疑ってかかる店なのか」と来客に不快感を与える──。当時の日本の小売業界には、そう捉えられたようだ。

先行技術の弱点に着目

 苦戦をする正光氏の脳裏にあったのは、売り上げのことだけではなかった。販売にとどまることなく、独自の商品を開発・製造していくこと。それが、そもそも針のメーカーとして祖父が創業した三宅の、後継者としての目標でもあった。

 そこで、広島工業大学工学部知能機械工学科の西本澄教授に協力を仰ぎ、1990年に防犯システムの産学共同開発を開始する。翌1991年、父から社長の座を受け継いだ正光氏は、開発をさらに加速させる。

 当時、世界シェアの9割を握っていた米国のメーカーの防犯システムは、タグに埋め込む回路をエッチングで製造していた。この製法には弱点があった。人体の水分の影響を受けて、検知率が下がるのだ。回路のある部分を手などで上から覆えば、ゲートをすり抜けることもできた。

 この弱点をクリアできる、全く新しい製法のタグを生み出すこと──。それを共同開発のテーマに据えた。その背景には「他社ができない方法でビジネスを展開する」という、ニッチ市場に向き合うときの三宅社長の信念があった。

防犯タグの世界的メーカーに

 2年かけてたどり着いたのが、金型を使って素材のアルミ箔から回路を打ち抜く、ダイカット製法だった。これだと水分の影響を受けることがなく、人体に密着させたタグであっても、ゲートで確実に感知できる。

 ちなみに、この金型を用いる製法は、三宅が創業から手掛けてきた針の製造技術がベースになっている。三宅だったからこそできた開発といえる。

 この頃には、米国から導入した同社の防犯システムを採用してくれる店舗も増えていた。万引きによる損失額が年間700万~800万円まで膨れ上がっていた企業もあり、システムの導入費用をわずか半年で回収できた。そうした実績が認められるようになっていた。

 開発したばかりの新型システムをすぐに導入してくれる取引先もいた。最初の1~2年は誤作動もあり、クレームも寄せられたものの、確実なアフターサービスと改良を重ねながら、安定した供給ができるようになった。このとき築いたアフターサービス体制が現在、顧客に認められ、海外企業にはない、対応の良さが指名買いを生む好循環を生み出している。

独自のダイカット製法で作る防犯タグ
独自のダイカット製法で作る防犯タグ。23カ国で特許を取得しており、三宅のブランドを世界に知らしめた
(提供:三宅)

 ダイカット製法の利点は、感知の精度だけでなく、コストをエッチング製法よりも2割抑えられること、エッチングに不可欠な化学溶剤の廃液が発生しないので環境への負荷が小さくなること──などがある。

 環境基準の厳しいEU(欧州連合)を中心に、23カ国で特許を取得した。それによって三宅は防犯タグの分野で、小さな世界的メーカーとして知れ渡ることになる。現在、12カ国に販路を広げている。

 国内でも、今や小売業者の多くが防犯ゲートの設置に前向きだ。大手の家電量販店からは「防犯システムを見せること自体が、万引きの抑止につながっている」と評価する声も聞かれる。かつて三宅社長が先読みした市場が、時を経て現実のものになった。

市場への攻めと守りに線引き

 このように三宅の事業の柱は、印刷部門とセキュリティー部門の2つとなった。三宅社長は2008年に、印刷事業を担う新しいグループ会社としてミヤケタグソリューション(現・タグソリューション)を設立。値札やブランドのタグと、バーコードを一貫して印刷できる同社の専用ラインは、他社が持っていない三宅グループの強みだ。この資産を活用し、着実な事業展開を図っていく。

印刷部門の製造品の例
印刷部門の製造品の例。現在はグループ会社のタグソリューションが手掛けている
(提供:三宅)

 一方のセキュリティー事業は、ここに市場の将来性を感じた三宅社長が、自ら旗を振り、攻めていく。三宅社長に言わせると、印刷事業は「農耕型」、セキュリティー事業は「狩猟型」。役割分担を明確にした三宅グループ全体の、現在の年間売上高は約13億円で、そのうちセキュリティー事業を担う三宅の売り上げが6億円。「当面の目標はこれを10億円に引き上げることだ」と三宅氏は言う。

 セキュリティー事業では既に、監視カメラ一体型の防犯システムの開発といった成果も生まれている。これは、防犯ゲートに内蔵したカメラで通過者の顔や服装を記録するものだ。人の目線に近い高さで撮影するので、天井面に設置する一般的な監視カメラと比べて、高精度で人を識別できる。それまでは見逃していた万引き常習犯を、このシステムの導入によって特定し、被害を減らした実績もあるという。

 防犯だけでなく、高齢者を見守るツールとして福祉施設などでも採用され始めている。入居している高齢者の靴底に、薄いカード型のタグを入れておけば、施設の外へ徘徊しようとする高齢者の動きを、職員が情報端末で即座に把握できる仕組みだ。

知られざる情報漏洩に先手

 セキュリティー事業をさらに発展させるために今、三宅社長が最も注目している分野が、企業の情報漏洩への対策だ。ここでもまた三宅社長は、狙い所を絞り込んだシステム開発を進めている。目を付けたのは電子媒体による情報漏洩ではなく、意外ともいえる紙媒体の方だった。

 根拠はあった。実際に起こっている情報漏洩は、電子メールや可搬型の電子記録媒体などによるものよりも、紙媒体によるものが圧倒的に多いという調査結果もある。また、台湾の半導体業界では2017年ごろから、海外企業の仕業と思われる、機密資料のカメラ撮影や複写による情報漏洩が相次いで発覚している。事態を重く見た現地の企業が、三宅のシステムを早速導入した。「日本でも、表沙汰になっていないだけ。同様の被害が起きているのは間違いない」と三宅社長はみる。

 情報の物理的な持ち出しを防ぐために三宅が開発したシステムの仕組みはこうだ。企業内に設定したセキュリティーエリアからの持ち出しを制限する紙やノートにはすべて、金属を配合した特殊な紙を使用する。出入り口には専用の検出ゲートを設置。エリア外への持ち出しや、エリア内への返却は専用タグによって管理する。入室時と退室時の、金属量の差分を計測し、不正な持ち込みや持ち出しを検出できる装置もある。

 こうした物理的なセキュリティー対策という、巨大ではないが世界的な市場に、三宅社長は大きな可能性を感じている。

(真部保良=グローカルメディア)

製針から印刷、セキュリティーへ
市場を先取りしてきた三宅の歴史

1917年 製針業として創業

1972年 値札の製造を開始

1983年 セキュリティーシステムの販売を開始

1985年 セキュリティーシステム用のラベルタグの製造を開始

1990年 広島工業大学と産学共同開発を開始

1991年 三宅正光氏が社長に就任

1994年 ダイカット製法によるタグの販売を開始

2001年 画像によるデジタルセキュリティーシステムの販売を開始

2004年 防犯タグの本格生産を開始

2008年 印刷部門を分社化して「ミヤケタグソリューション」(現・タグソリューション)を設立

2011年 顔認識エンジンを搭載した防犯ゲートの販売を開始 中国・上海に「密雅開(ミヤケ)電子」を設立

2016年 情報管理用の専用紙によるセキュリティーシステムの販売を開始

本社屋の前に立つ三宅社長
本社屋の前に立つ三宅社長。国内3カ所に支店、営業所を置くほか、中国でグループ会社を設立した
(撮影:橋本かをり)

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