開発の鉄人現場をゆく
in リアル開発会議 2019 Winter

開発の鉄人 現場をゆく in リアル開発会議

(開発の鉄人こと)多喜 義彦=システム・インテグレーション 代表取締役社長

要素技術を磨き
精密加工機械の大輪を咲かす

 工作機械は、産業の根幹を成す大事な機械である。「ものづくり大国・日本」を下支えしてきたのは間違いなく工作機械であり、加工精度の高い工作機械がなければ、今日のような世界に誇れる日本の形は成し得なかっただろう。さらに、それは日本だけに限らず、世界の機械産業にも大きな貢献を果たしてきたに違いない。

 この工作機械の分野で、世界的なメーカーである東芝機械をご存じだろうか。同社の静岡県沼津市の本社前には、大きな歯車が置いてある(図1)。この歯車は1970年製造の親歯車ホブ盤(HRS-500)のマスターウォームホイールで、2009年に機械遺産に登録された(注1)。ホブ盤とは、歯車の歯切り加工をするための加工機である。

注1)機械遺産
日本機械学会が、歴史に残る機械技術関連遺産を大切に保存し、文化遺産として次世代に伝えることを目的に、 主として機械技術にかかわる歴史遺産を「機械遺産」と認定している。

図1 親歯車ホブ盤(HRS-500)のマスターウォームホイール(出所:東芝機械)
図1 親歯車ホブ盤(HRS-500)のマスターウォームホイール
(出所:東芝機械)

 機械遺産に登録されただけあって、その精度がすごい。なんと、直径が5000㎜もあるにもかかわらず、最大累積ピッチ誤差は1000分の4㎜なのである(注2)。1000分の4㎜とは、すなわち4μmであり、今なお世界最高精度を誇っている。

注2)累積ピッチ誤差
2つの歯の間の実際のピッチのすべての和から、その正しい値を引いた値である。この東芝機械製マスターウォームホイールの歯は300枚以上あり、そのピッチすべての和から正しい値を引いた値が1000分の4㎜となっている。

東芝機械の精神

 明治・大正時代、日本の造船業は世界に大きな後れをとっていた。機械加工の技術力においては、欧米列強に比べて30~50年もの差があった。中でも、当時主流であった蒸気タービン船の減速歯車の質が悪く、航行中、歯車の歯が欠損し航行不能になるなど大きな問題を抱えていた。

 この問題解決のため、「世界一の工作機械を造る!」と大きな志を立てて実行したのが、東芝機械(創業当時の社名は芝浦工作機械)の創業者である藤島亀太郎氏であった。

 親歯車ホブ盤は1940年に製作構想に着手。1953年に完成させた。そして、1970年に現在でも世界最高水準である親歯車ホブ盤が製造されたのだ。これにより日本の造船業の根幹である歯車の品質を飛躍的に向上させた。その精度たるや前述した通りのすごさである。

 かような世界最高水準の工作機械を造った東芝機械には、今も創業者の魂が宿り続けている。

 「良い機械は良い人からうまれる、すなわち、ものづくりとは人づくり」

 人を育て、不可能を可能とする精神が脈々と生き続けている企業なのである。

超精密加工技術の始まり

 大型工作機械で名を馳せる東芝機械の中にあっても、異彩を放つ人物がいる。ナノ加工システム事業部の技術顧問である田中克敏さんだ(図2)。田中さんは、日本が誇る超精密加工技術の開発と実用化において主導的な役割を担い、時代をつくってきた。日本機械学会のフェローや精密工学会のフェロー、砥粒加工学会の名誉会員と活躍の幅も広く、2008年、70歳のときには「超精密加工の高精度化の研究」で博士号を取得するなど、社内では“伝説の人”と呼ばれているそうだ。一体、どのような道を歩んでこられたのだろうか。

図2 東芝機械 ナノ加工システム事業部 技術顧問の田中克敏氏
図2 東芝機械 ナノ加工システム事業部 技術顧問の田中克敏氏

 1961年、東芝機械に入社。大型工作機械の製造現場や生産技術現場を担当し、時には遠くブラジルでの技術指導も行った。そして1977年、超精密加工技術の開発に取り組み始めた。最初は5~6人のチームで開発を始めたそうだ。

 きっかけは、工作機械の要素技術ともなるボールねじやリニアガイド、NC制御など、それぞれの要素技術・部品分野で専業メーカーが出現したことである。これにより、当然、部品コストが安くなるとともに、これら専業メーカーの部品を組み合わせることで工作機械の性能の差別化が難しくなるとの危機感を抱いた。

 このままではいけないという危機感を持ち、会社の将来のためにと開発に取り組み始めた。さぞかし会社からの支援もあっただろうと思いきや、実はそうでもなかったらしい。最初のヒット商品である、東芝機械製空気軸受け主軸を搭載した磁気ヘッド用超精密スライサーの1982年の製品化までには、社内で「田中が道楽をしている」とよく陰口を叩かれていたそうだ。

 製品を市場に投入した後、顧客から「性能は良いが、大きいし、高いから要らない」と言われた。当時は、顧客の生産の主流がビデオ用磁気ヘッドからハードディスクの磁気ヘッドに移り変わり、生産量がどんどん増える中で、高精度の機械なら高額でも買うという声があったそうだが、蓋を開けてみたら期待を裏切られる展開だったわけである。

 だが、そこでくじける田中さんではない。ならばと、もともとお付き合いのあった研削盤メーカーに相談して新たなヒントを得て、改良型の超精密スライサーを市場投入したのである。この改良型の仕様は加工性能・精度は改良前と同じで、大きさ・価格は半分でなければならないという非常に厳しいものであったが、なんとか作り上げた。

 そんな中、既に導入している企業から「次は10台単位で購入する」という声が掛かった。ところが、である。いざ導入という段になると、価格を現在のものから35%以上下げないと買わないと言いだした。田中さんもさすがにこの対応には相当悩んだそうだが、結果的にはすべての要求をのみ、対応したのだそうである。田中さんのすごいところは、この経験を恨み節など微塵もなく、むしろ彼らの合理的考え方が非常に勉強になったのだと言ってしまうところである。

 そうこうするうちに、この超精密スライサーが軌道に乗り、多いときで年間30億円の売り上げとなった(図3)。このおかげで社内でも徐々に認められ、超精密加工の部隊は、小さな組織から課になり、部、そして事業部となっていった。

図3 超精密スライサー(出所:東芝機械)
図3 超精密スライサー
(出所:東芝機械)

要素技術をとことん極める

 その後も超精密加工機の製品開発が続く。そのラインアップは前述の超精密スライサーに加え、ポリゴンミラー加工機(図4)、ディスク旋盤、5軸制御超精密非球面加工機(図5)と、現在の産業に欠かせない、またはその礎となった加工機ばかりである。

図4 ポリゴンミラー加工機(出所:東芝機械)
図4 ポリゴンミラー加工機
(出所:東芝機械)
図5 5軸制御超精密非球面加工機(出所:東芝機械)
図5 5軸制御超精密非球面加工機
(出所:東芝機械)

 これら超精密加工機の勘所は何か?田中さんに聞くと、納得の答えが返ってきた。

 「それは、各要素技術の日々の研鑽です」

 東芝機械は、今もなお超精密加工機群の基礎となる各要素技術の改善・改良に余念がない。要素技術の研鑽には、当然ながらそこに人がいるわけで、技術の研鑽はすなわち人材育成ともなっている。

 普通、売れ筋の商品があって、それがたくさん売れるようになると、その商品に特化した開発なり改良なりに偏ってしまい、いつの間にか基礎技術を忘れてしまうということがよくある。商品が売れ続けている間はいいが、売れなくなった途端に他への技術応用ができる基礎技術、人材がないことに気付き、失ったものの大きさを知るのである。

 だが、このような心配事は東芝機械には無用。日々研鑽し、常に先を見据えた要素技術開発力をベースにして市場の加工ニーズに応えていくという、確固とした考え方があるからだ。時代の変化によって必要とされる商品や技術は当然ながら変化する。だが、一足飛びに全く新しい商品や技術が要求されることはまれで、基本的には既存技術の延長上に、次なる時代の要求があるのである。

楽天家が勝つ

 田中さんの話からは、およそ40年以上もの間、超精密加工技術開発に携わり、その間にたくさんの苦労があったはずなのに、不思議とそのような苦労が見えない。そこであえて「開発がうまくいかずに大変だったことや、時には誰かに裏切られたといったご苦労はなかったのですか?」と少々意地悪質問をぶつけてみた。

 「私は生来の楽天家なもので、苦労したという気持ちはあまりなかったですね」

 いやあ、実にあっぱれ、単純明快。開発する人間はこうでなくてはいけない。

 田中さんに開発立ち上げ時の計画の作り方や、成功に至った秘訣を聞いてみた。すると、驚きの答えが返ってきた。

 「私は事業計画書なんて書いたことも出したこともない」

 いや、実際には世界に名だたる東芝機械の開発現場なので、事業計画書も必要であったはずだし、開発もすんなりとは進まなかったはずである。そこで田中さんにしつこく聞くと、案の定、最初は予算がつかなかったとか、何人もの決済者に説明に行くも、けんもほろろに追い返されたとか、今の技術者たちと変わらない様子が見えてきた。

 「やっぱり本当は相当な苦労をされていたのじゃないですか」と言いかけたら、田中さんはこう付け加えた。

 「でも、必ず協力者が現れて助けてくれたのです」

 聞けば、開発当時の社長であったり役員であったりと、誰か必ず1人は面白がって支援してくれたという。「だから、ありがたいことにここまでやってこられたのです」と、田中さんは感謝の言葉を口にした。

 これが、開発をうまく進める秘訣なのかもしれない。うまくいかなかったり否定されたりは、往々にしてあること。でも、そのようなことは気にも留めず、恨み言も愚痴も言わずに、開発したい想いを分かってくれる仲間を、支援者を、社内外問わず見つかるまで探す。そして、とにかく感謝。

 田中さん本人は気付いておられないかもしれないが、物腰が柔らかく、たくさんの実績があるのに偉ぶるそぶりなど微塵もなく、とにかく優しい、前向きな方であるという印象を、きっと誰もが受ける。そのような人間性を持つ田中さんだからこそ、必ず支援者が現れたのだと、妙に納得した。

 そしてもう1つ、仲間を探すことは外に目を向けることでもあり、田中さんは今で言うオープンイノベーションを当時から地でいっていたことも付け加えたい。

市場作りは“他力本願”

 田中さんは市場と自社の製品の関係を、“他力本願”と説明する。他力本願と聞くと、自主性がなくあまり良い言葉に聞こえない。だが田中さんの描く、他力本願は楽天的で、積極的なイメージだ。

 「日々、技術を研鑽しながらしっかりと力を蓄えることでニーズに沿った技術・商品を開発することができ、世の中に出した商品が、それまで潜在化して見えなかった思わぬところで花開く」

 例えば超精密非球面加工機は、スマートフォンの誕生によって一気に市場が拡大した。スマートフォンには外側にも内側にもカメラが付いている。そのカメラの高機能化により、高精度なレンズがスマートフォンの数に比例して大量に必要となったからだ。

 当初からスマートフォンの出現を予想し、非球面加工機の売上高がこんなに大きくなるなどと風呂敷を広げて開発を行ったわけではないという。ただ、一朝一夕には真似できない要素技術の積み重ねの成果を全力で投じた結果、時代が追い付いてきたといっても過言ではない。別の見方をすれば、東芝機械が超精密加工機を世の中に投じたからこそ、作れる製品が出現したのである。

超精密加工事業の未来

 東芝機械は、2020年4月に社名を創業当時の「芝浦機械」に戻すことを決定している。自動車産業からIT産業時代に変わり、モノからコトへと、既存産業・サービスが大きく変わっていく中で、もう一度原点に立ち返るという想いが見えるようである。

 その中で、超精密加工事業の成長も計画している。ベースとなるのは、やはり確固とした要素技術群であり、これらを用いて、市場ニーズに沿った、東芝機械でなくてはやれないコトを訴求する。そして、そのコト作りを通して、超精密加工技術を使ったソリューション展開を進めていく。

 ただし、世の中が速く、大きく変わる中で、アウトプットは1つではない。すなわち、何か1つに固執するのではなく多種多様に対応することが前提であり、多種多様な対応の中で生じる問題を正確に把握・分析し、解決策を提案・実行する必要がある。

 これを可能とするのは、創業者の言葉を地でいった田中さん、そしてその背中を見て育った東芝機械の技術者たちが日々研鑽して力を蓄えているからである。

※ 開発の鉄人 現場をゆく 2019 Summer はこちら

これまでのリアル開発会議はこちら