ミッドナイト・インタビュー

第3夜「カップルをITで幸せにする」 VCNC梶谷恵翼氏

文:四方乱波/写真:陶山勉 11.17.2014

注目企業の社長に酒場で迫るシリーズ、今回はカップル向けSNS「Between」を手がける梶谷恵翼氏です。恋人同士が語らうのにふさわしいバーで、サービスへの想いを聞きました。

注目企業の社長に酒場で迫るミッドナイト・インタビューの3回目となる今夜は、VCNC日本法人代表の梶谷恵翼氏。同社は、恋人同士で使うSNS「Between(ビトウィーン)」というスマートフォン向けアプリを提供しています。

VCNCの本社は韓国。梶谷氏は25歳と若くして日本の代表を務めています。お話を聞いたお店は、大人の雰囲気を漂わせた「Bar Jubilant (バー ジュービラント)」。学生の聖地である高田馬場に立地するにもかかわらず、恋人同士が愛を語らうのにうってつけのお店です。今宵はここで、梶谷氏の起業家に至る経緯、経営者としての姿、そして素顔に迫ります。

ジャズサークルを経てNGOのインターンへ

――とりあえず最初はビールからいきましょうか。では、乾杯!

梶谷:あーむっちゃ美味しいですね。はぁ。

――梶谷社長は何年生まれですか。

梶谷:1989年生まれです。平成元年生まれで今25歳。どんぴしゃで「ゆとり世代」です。

――お酒美味しそうに飲みますよね。

梶谷:お酒を覚えたのはちょうど20歳になった時、大学2年生のサークルです。当時、ジャズバンドのサークルに入っていました。

もともと幼稚園、小学校までピアノを習っていて、その後は遠ざかっていたんですが、趣味がなかったのでもう一回やろうと。ただ、ジャズってクラシックとリズムの取り方が全然違って難しいんです。先輩からは何度も「スイングしろ」と言われるんですが、スイングって何だろうって感じでした。サックス、トロンボーン、トランペットなどプレーヤー総勢10人くらいで演奏するビッグバンドをやっていました。

――なぜまたジャズバンドのサークルに?

梶谷:当初、モテると思ってたんです。白シャツにジーンズでジャズやってるってかっこいいイメージがあったんですが、結果的に全然モテなかった(笑)。ジャズのせいなのか僕のせいなのか分かりませんが、たぶん僕のせいです。

大学2年生でジャズサークルを辞めた後は、アムネスティという人権団体のNGO(非政府組織)でインターンを始めました。もう、モテることを諦めた悟りの境地です。

――なぜNGOのインターンを?

梶谷:僕らゆとり世代は「何をやってもいいよ」と言われてきた世代です。昔はロレックスの時計を買ったらすごい、いいクルマに乗っていたらすごいと言われた時代だったのかもしれませんが、僕らのころは既に「金もうけがかっこいい」という意識はなかったんです。周囲でもNPO(非営利組織)やNGOでインターンをしている友達が多かったですね。僕もかっこいいなと思ってNGOのインターンをやりました。主に海外のニュースなどの翻訳をしていました。

――梶谷社長、英語が堪能ですもんね。

梶谷:親の都合で小学校卒業して中学1年生から高校2年生まで、米シアトルにいました。月曜日から金曜日までは現地校に通い、土曜日はいつ日本に帰っても学習が追いつけるように、日本の補習校に通っていました。

そもそも、アメリカの教科書は全然違うんです。例えば、数学の三角関数でサイン、コサイン、タンジェントってありますよね。日本だと決まった角度しか出さないんですが、アメリカだと微妙な角度の問題が出るんですね。なぜなら授業中も試験の時も、みな電卓を使うから。

成績の付け方も違う。全部パーセント表示されていました。日本の場合は、通知表で「A」や「B」といった評価を受けますが、アメリカではカリキュラムレポートというものを毎月渡されて、テストが何パーセント、宿題が何パーセントといった具合に、すべて数値化されるんです。

先生に媚(こ)びを売らなくていい分、フェアではあります。提出すべきものを提出していればいい感じですね。改善すべき点を把握しやすかったです。日本はざっくりと先生の印象で決まったりするので。

「起業家が好きです」

――しかし、中学生高校生という時期は思春期でもあります。つらいことはなかったですか。

梶谷:言葉の壁がつらかったです。最初、僕はアルファベットも大文字しか書けなかったので。後は、キックベースをやっていても「イチロー」と言われ、意味もなく「忍者」「サムライ」などと言われていました。アジア人なんだなという意識を持つことは多々ありました。

結局、高校2年生で日本に戻ることになり、日本の高校に編入しました。

――就職活動はどうだったんでしょう。

梶谷:そもそも就職活動自体があまり分からなくて、とにかく採用人数が少ないところに行きたいと思っていました。誰も知らないような仕事につきたいなと。どこか大会社の社員になって歯車のようになるのが嫌でした。

就職を決めたジャフコもその中の1つでした。当然、ベンチャーキャピタルが何の仕事かは分かっていませんでしたが、ジャフコの採用人数は4人ほどだったので。

比較的早く内定をもらったので、早々に就職活動を止めました。そこからベンチャー業界についてとにかく勉強しようと動き始めました。大学のゼミのプログラムで2週間ほど韓国に行く機会があり、人づてでベンチャー企業を回りました。日本でベンチャーのイベントがあったため、そこに10社ほど引き連れて帰国しました。その中に、今、働いている会社もありました。

ジャフコは2012年4月に入社して8カ月経ってから、辞めました。投資先をずっと回って、いい出資案件があったら上司に説明するということを繰り返していましたが、結局1社も出資まで至ることはなかったですね。なので、前職はベンチャーキャピタルですなんて言うと、確実にジャフコの方々に怒られます(笑)。

――なぜまたそんなに早く辞めることになったんですか。

梶谷:実は、Betweenを運営する韓国のVCNCのパク・ジェウクCEO(最高経営責任者)にずっと誘われていたんです。最初は冗談じみていましたが、会うたびに顔が真剣になってきて……。

そんな時、小林清剛さん(編集部注:「ノボット」というスマートフォン向けの広告ネットワーク事業を展開しているノボットの創業者。現在は退職し別の企業を創業)という方に「起業家とベンチャーキャピタリストのどちらになりたいの?」と聞かれ、「起業家が好きです」と答えたところ、「使う筋肉が全然違うから決めるなら早く決めたほうがいい」とアドバイスをいただきました。

もともと米シリコンバレーでも1カ月ほどインターンシップをしたことがあって、起業家の人たちが泥臭く働いているのを目の当たりにしてかっこいいなと思っていました。

上司に辞めることを伝えに行ったら、「どうするんだこの先」と言われました。「ベンチャー企業に行きます」と答えたら、「俺の前でその会社をプレゼンしろ」と言われました。相手はベンチャーキャピタリストとしてプロフェッショナルです。

緊張しながらプレゼンすると、「俺なら投資しないけど、行きたいなら行け」と。カップルアプリと言われてもピンと来なかったようです。当時、日本には利用者がいなかったので、おまえに何ができるんだという感じでした。でも今でもジャフコの先輩には支えてもらっています。

VCNCで働き出したのは2012年9月からです。もうちょうど2年経過したところですね。

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