酒場で育む「インバスケット」思考

【酒場でインバスケット】バーの重い扉を開ければ、自分の扉が開かれる

あなたの人生を豊かにするアプローチ 第1回

文:鳥原 隆志 01.15.2015

自分が判断し決定したことを行動に移す力。「インバスケット」においてはこれを意思決定力と呼ぶ。バーの扉を開けるという行動に、あなたの意思決定力が見え隠れする。

■インバスケットとは……1950年代に米国空軍で活用され始めた教育ツール。現在は多くの企業の管理職やリーダーのアセスメントツールやトレーニング用ツール、ビジネスシミュレーションツールとして広がっている。

過去に一度、バーの扉の引手に手をかけたものの、開くことができずに帰ったことがある。

そこは以前に一度、友人に連れてきてもらったバーだった。大げさだが、このバーが新しい自分の世界を象徴しているようにも思えた。だからこそ、わざわざ電車で40分ほどかけて扉の前までやってきた。なのに、私は扉を開けることができなかった。

「バーでどんなふうに酒を飲めばいいのか」「マスターや客とどんな会話をすればいいのか」「気まずくなったりしないだろうか」。そのような自分が困っている姿ばかりが頭をよぎり、躊躇(ちゅうちょ)してしまったのだ。

結局、自分なりに何らかの言い訳をつけて、握った扉の引手から手を放し、地下鉄の駅に足を向けた。

人生に対する姿勢が反映されていた

当時、私は35歳。大手流通業の店舗指導員として、ごく普通のサラリーマンをしていた。各部の調整や会議の資料作成、店舗で発生する問題の解決や売り場指導など、多忙な毎日を送っていた。

バーに入れなかったのはなぜか? 私は帰りの地下鉄の中で思考を巡らせた。するとまず何よりも、「バーに入れなかったことが悔しい」という気持ちがわき起こってきた。

しかし、この悔しさはそうした表面上の行動だけから来るものではなかった。「バーに入れなかった」という行動に、自分の人生に対する姿勢がそのまま表れていたのだ。

一生懸命仕事をしているつもりだが、発想力にも決断力にもイマイチ自信がない。周囲のちょっとした圧力で、簡単に自分の信念を変えてしまう。「40歳までに独立して経営者になりたい」という夢を持っているものの、サラリーマン生活に安住してしまっている……。バーに入れない自分は、そんな自分の生活パターンを象徴していた。

酒のたしなみ方と、仕事に対する姿勢は本当によく似ていると思う。例えばバーへの入り方だ。バーの店内がよく見えて、どんな雰囲気で、どんな客が飲んでおり、どんなマスターがいるのかわかっていれば、入りやすい。

しかし多くの場合、バーは「隠れ家」のような位置づけである。あえて敷居を高くすることで、客層を選んでいる。実際、お酒をゆっくり味わいたい上客だけを相手にするために、看板さえも目立たなくしているバーも少なくない。

だから見知らぬバーの扉を開けるには、仕事でリスクをとるのと同じくらいに、ちょっとした決断と勇気が必要だ。

しかし、そのリスクをとった分のリターンが得られる可能性もある。もしそこがお気に入りの店になったとすれば、仕事でヒートアップした頭をゆっくり休められる、自分にとってかけがえのない場所となるからだ。

考えてみてほしい。あらかじめ成功するための情報や条件がそろっている仕事案件は、あなたの目の前にどれだけあるだろうか。今どきそのような案件は減っているし、存在していたとしても、得られるリターンは少ないはずだ。

そもそも、口を開けていれば誰かがご飯を運んでくれるというシチュエーションに甘んじていては、腕がなまっていく。腕がなまっていけば自分にあてがわれる仕事は減り、そのうち食いっぱぐれることになるだろう。

私がバーの扉を開けることができずに悔しがっていた理由、それは、人生に挑戦する気概がない自分が、バーを立ち去った自分に重なって見えたからである。

行動に移せるかどうかがポイント

自分が判断し決定したことを行動に移せるかどうか。私が研究しているインバスケットにおいては、この力量の度合いを「意思決定力」と呼ぶ。

判断の正確性の高さを意思決定力だと認識している方も多いが、そうではない。判断したことを行動に移せるかどうかが、意思決定力のある・なしに大きく関わってくる。行動しなければ、いくら正しい判断をしたとしても、成果に結びつかないからである。

35歳当時の私は、「いつもとは違う自分を発見するために、バーに行ってみよう」と判断を下したところまではよかった。だが、最後の最後でバーの扉を開けることをためらった。インバスケット的に考えると、当時の私の意思決定力は低かったといえる。

しかし、齢四十を超え、インバスケットの専門家となった今の私は違う。好んでバーに行く。

居酒屋で呑むのだって楽しいし、カフェでも十分くつろげる。だが、それでも私はバーを選ぶことが多い。グラスを傾けながら、今日の自分を振り返るのである。あのアクションは来期の成果に結びつきそうだとか、あの判断は効果的ではなかったとか、そういった具合にだ。時間をかけて自分の判断と行動を振り返ることが、意思決定力の向上につながる。だから今の自分にとって、バーは「次の成果を生み出すための価値ある場所」という位置づけになっている。

大げさな話だが、35歳の当時、バーの扉を開けられず悔しい思いをしていなかったら、私はインバスケットを軸に独立してはいなかったかもしれない。この悔しさをバネに、私は人生のあらゆる場面で、少しの勇気を振り絞ることを繰り返すようになったからだ。そして今、私は将来の自分に投資するため、バーの扉を開け続けている。

あなたにとっての「重い扉」は、いったい何だろうか。インバスケットで言う意思決定力を駆使し、リスクをとって、その扉を開けることができれば、あなたは新しい自分に出会うことができるだろう。その経験は、仕事はもちろん、人生の様々な側面で生きてくるはずだ。

鳥原 隆志(とりはら・たかし)
インバスケット研究所 代表取締役/インバスケット・コンサルタント
大学卒業後、株式会社ダイエーに入社、販売部門や企画部門を経験し、10店舗を統括する食品担当責任者(スーパーバイザー)として店長の指導や問題解決業務に努める。
ダイエー管理職昇進試験時にインバスケットに出会い、自己啓発としてインバスケット・トレーニングを開始。日本で唯一のインバスケット教材開発会社として、株式会社インバスケット研究所を設立し代表取締役に就任。
法人向けのインバスケット教材開発と導入をサポートする、日本のインバスケット・コンサルタントの第一人者として活動中。国内外での講演や、研修実績多数。延べ受講者数は8000名以上を数える(2014年9月現在)。
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