【松尾貴史8】酒場という「場」で熟成された、深い人間関係

ゆるみながら好きな人と飲むと、いろんな楽しいことが起きてきます。松尾貴史さんの酒場エッセイ、今回は酒場で熟成された、深い人間関係の話。
いい酒場での人との付き合いは、長く続くことが多いですよね。
申し合わせたわけではないのに、たまに出会う。隣あう時もあれば、お互い離れたテーブルやカウンターにいる時もある。だから、いつも会話をするわけではないですけど、数年という時間を経るうちに、気がつけば、面白い企みを一緒にしていたりする。
そんな酒場ならではの人間関係、いいなあと思うわけです。
やっぱり酒場が「場」だからなんでしょうね。ホロ酔いで人と人との有機的な化学反応が起きる「場」。
酒場があったからこそ熟成された関係性は、たくさんあります。
今日は、友人の前田一知くんの話をしようと思います。
弟子入りを希望した師匠の息子さんと、素敵な再会
一知くんは、ぼくが中島らもさんと立ち上げた劇団「リリパットアーミー」の役者だったんです。参加したのは、始めて4年ほど経った1990年頃だったので、もうかれこれ四半世紀、25年くらいの付き合いになるわけです。ただ、その頃は、ぼくも仕事の拠点を大阪に移していたので、前田くんとじっくり話をする機会がなかったのです。
その後、前田くんもドラマーとして参加していたバンドがメジャーデビューしたり、忙しくなったりして、あまり会わなくなっていたのですが、2003年、東京の駒沢の近くに私が発起して友人たちと「bar closed」というバーを開店し、共同オーナーの一人として、ちょこちょこ顔を出していたら、ある日、ひょっこり一知くんが遊びにきてくれたんです。
一緒にカウンターで飲みましてね。その時初めてじっくり話をしました。それから、たまに来てくれるようになって、話す機会も増え、だんだんと気心が通じてきました。
実は、一知くんと酒を飲んでいると、時折ある種の感慨がわくことがあるんです。というのも、彼は、ぼくが子どもの頃から好きだった落語家の故・桂枝雀師匠のご長男なのです。
告白しますと、ぼくは大学時代、枝雀師匠の自宅に弟子入り志願に行ったことがあったんです。最寄り駅を降りて、ものすごく緊張しながら、師匠の本名の前田という家を見つけてベルを鳴らし、出てきた人に弟子入りしたいと告げたら、「あ、それは向かいの前田さんです」と言われました(笑)。
それで緊張の糸が切れたようになって、向かいにある前田さんのお宅のベルを鳴らしたら、当時小学生だった一知くんが当時人気だったテレビドラマ「あばれはっちゃく」のテーマソングを歌いながら出てきて、「いま父は留守でおます」と言ったんです(笑)。
彼は「そんなことは言わない」と否定するのですが。でも私は「留守でおます」という小学生の存在になぜかショックを受けたんです。それで、弟子入りは未遂に終わってしまいました。
そのことを考えると、ぼくと一知くんの付き合いは、かれこれ40年くらいになるわけなんですが。そんな彼が、6年ほど前に落語を人前でやりはじめたんです。その落語会、ぼくも客席で見ていました。演目は上方落語の「鷺とり(さぎとり)」でした。感想をひと言でいうと、やはりDNAを感じましたね。

その頃から、彼は、落語を精力的にやりはじめたんです。落語だけでなく、トークショーや朗読など、広く人を笑わせることもはじめました。
それに並行して、いろんな酒場で会う機会も増えてきたんです。ホロ酔いでゆるく話をするうちに、いろんなアイデアが出てきましてね。その時だけのアイデアもあれば、日が経ってから、「あれ何かしたいね」というアイデアもあり、何か面白いことを一緒にしようという空気がじわじわ濃厚になってきたんです。
気がつけば、一知くんとはこの3年ほどで、いろんなことを酒場きっかけでやったような気がします。東野ひろあきさんが台本を手がけられた「モンティ・パイソン関西風味」の朗読会は、ぼくと東野さん、一知くんでライブをしたこともあります。
落語では、昨年11月、新神戸オリエンタル劇場で「松尾貴史 藝能生活30周年記念 横好き落語会」を行い、立川志の輔師匠がゲストで出演してくださったのですが、一知くんも高座に上がってくれました。他にも、岐阜県関市の落語会など、彼と一緒の機会が、ぼちぼち増えてきています。
そんな楽しいことがじわじわ増えてきたのも、酒場でゆるみながら飲んでいたからです。
酒場が持っている「場」の力に、あらためて感謝ですね。
