本田直之の「賛否両論=オリジナリティ」

迷って、ぶれて、たどり着いた究極のオリジナリティ(後編)

王道を極めることに徹する/第1回 「鮨さいとう」・齋藤孝司氏

文:本田 直之、編集協力:上阪 徹、写真:大槻 純一 04.07.2017

ミシュラン三つ星を8年続ける人気鮨店、東京・六本木の「鮨さいとう」。店主の齋藤孝司さんは初めてミシュランの星を獲得した後、迷います。その迷いから脱し、鮨の王道を極めようと決意できた裏には何があったのか。(カンパネラ編集部)

前編から続く

店主の齋藤孝司さんは2004年、銀座の鮨店「かねさか」の分店、「鮨かねさか赤坂店」を31歳で任せられます。本店からはお客の紹介はしない、と言われる中、自らの力で集客を計っていきます。赤坂店は何より厳しい立地条件の店でした。ここで運が味方したと齋藤さんは語ります。

「お昼に一人客が増えたな、なんて思っていて、少し尋ねてみると「食べログ」を見てきたというんです。食べてくださったお客さまが、「食べログ」に書き込んでくださったんですね。まだ「食べログ」が出始めの頃です」

インターネットが、このお店を見つけやすくしたのです。お店は「鮨かねさか赤坂店」でしたが、当時からお店に通っていた僕の感覚では、「鮨かねさか」の分店という印象はありませんでした。齋藤さんのお鮨を食べるために、お客が集まっていた。もし銀座のお客を分けてもらうようなことをしたら、そうはならなかったはずです。齋藤さんにお客がついた。当初は苦労しますが、この強みが「鮨さいとう」になったときに花開きます。

そして3年。齋藤さんは「鮨かねさか」をつくった金坂真次さんに申し出ます。

「僕には負い目がありました。それは、商売のリスクは金坂さんがすべて負っていたからです。だから、独立させてほしいと言ったんです」

少しずつ鮨というものが、わかっていった

2007年に「鮨かねさか赤坂店」が名前を変え、「鮨さいとう」でやっていくことになります。そして給与も歩合制に。リスクもリターンも自分で背負う形になりました。そして、ここでまた運が味方します。同じ時期にミシュランの初上陸で「かねさか」が二つ星を取った同じタイミングで、「鮨さいとう」も一つ星を取ることになったのです。

「金坂さんがミシュランのパーティ会場から電話をくれて、お前一つ星取ったぞ、と。翌日から、大変なことになりました。店がつぶれるんじゃないかと思うくらい、電話が鳴り続けて(笑)。取材もたくさんやってきて。本当に幸運でしたし、僕にとってのターニングポイントでしたね」

この時期は、日本の飲食店にとってもターニングポイントだったと思います。インターネットの口コミサイトやブログが登場し、ミシュランができて、ある程度、客観的な評価軸ができていきました。それまでの名店は、知る人ぞ知る店だったり、有名人御用達だったり、雑誌に載った、くらいしか評価軸はありませんでした。お客にとっても、店にとっても、いい指標がなかった。こうして老舗や有名店以外にも、多くのいい店が知られるようになり、商売としても成長できるようになりました。だから、「鮨さいとう」のような新進気鋭の店が出やすくなったのです。

齋藤さんは運が良かった、と強調していましたが、もちろん単にラッキーだったのではありません。やはり土台があったからこそ、幸運をつかめたのだと思います。それが、王道への徹底的なこだわり、という「鮨さいとう」のオリジナリティだったのではないかと僕は感じています。

「少しずつ鮨というものが、わかっていきました。ああ、こういうものが鮨なんだな、と漠然と見えてきた。まだまだなんですけどね。でも、ちょっと分かってきたかな、と。言葉にするのは難しいんですが、イカというものをイカと分かるようにおいしく食べてもらう、ということです。別物になってはいけないんですよ。イカはあくまでイカでないといけない。これこそがイカのおいしさ。イカの甘さ。わさびとしゃりのバランスで、それを追求する」

ピルゼンアレイ