本田直之の「賛否両論=オリジナリティ」

赤酢のシャリありきで、そこに魚を合わせようと考えました。

第15回「鮨 とかみ」・佐藤 博之氏(前料理長、前編)

文:本田 直之 / 編集協力:上阪 徹 / 写真:大槻 純一(特記なき写真) 11.16.2017

2013年秋、『ミシュラン東京2014』で1つ星を獲得。新規の鮨店が1店だけだったこともあって一気に話題になり、大きく知名度を上げることになりました。

東京・銀座の「鮨とかみ」です。

なんと言っても最大の特徴は、シャリ。與兵衛(よへえ)の赤酢を使ったとかみのシャリは、そこまでやるか、というほどの色の濃いシャリなのです。味も濃い。初めて食べる人はみんなびっくりします。ところがこれ、一度食べたら忘れられないのです。強烈に記憶に残る。

そして、もう1つの特徴が、マグロのレベルの高さです。

それもそのはず。積極的にオープンにしてはいませんが、店の出資者の1人は、マグロ仲卸日本一「やま幸」の山口幸隆さんだから。日本の鮨の名店は、ほとんどが山口さんからマグロを仕入れています。

山口さんがイチオシだという「突先」の手巻きが、とかみではいきなり最初に出てくるのですが、これが本当にうまい。突先とはマグロの頭の付け根のことで、脂が乗っている部分。この珍しい部位と、強烈な個性を持った赤酢のシャリとの組み合わせが、絶妙なのです。

最高のマグロを扱い、この店を星付きの鮨店へと作り上げたのが、佐藤博之さんです。驚くべきことに、なんと鮨の世界に入ったのは25歳のとき。それまでは、レストラン事業を広く展開するグローバルダイニングでサービスの仕事をしていたという、異色のキャリアの持ち主です。

僕が初めてとかみに行ったのは、4年前。まだ星を取る前に、山口さんと親しい友人と一緒に行きました。マグロのおいしさも印象的でしたが、なんと言っても、大将の佐藤さんがグローバルダイニング出身だったことに驚きました。僕も学生時代にアルバイトをしていたからです。しかし、グローバルダイニングのサービス出身で鮨屋というのは、聞いたことがありませんでした。

以来、親しくなって、僕がプロデュースした鮨のイベント「SUSHI GEEK!」や、一流シェフを5人招き、福岡のホテル、ザ・ルイガンズで料理を作ってもらう特別ディナーイベント「DREAM DUSK」にも登場してもらいました。2017年8月には、世界中のシェフ数十人を集めて、みんなで料理を作りながら食べて飲む、東京・渋谷のTRUNK HOTELでのイベント「Chefs’ Gathering(シェフズ ギャザリング)」にも招きました。鮨の世界でこういうイベントに出てくれる人はなかなかいませんが、彼はとても自由な人なのです。

もちろん、強烈なオリジナリティを貫き、ここまでやって来るまでには、たくさんの紆余曲折がありました。実は、なかなか鮨が握れなかったのです。とかみにしても、当初は客がまったく入らない時期が長く続きました。いったい何が起きたのか、ご紹介しましょう。

天然・養殖、各地のマグロを食べ比べるSushi Geekイベントにて(写真提供:本田直之氏)

■連載15 鮨とかみ 店主 佐藤 博之氏(現在、すでに独立)

『ミシュラン東京2014』で1つ星を獲得した。赤酢を使ったしゃりと、マグロのレベルの高さが特徴。グローバルダイニングで出身で、25歳で鮨の世界に入るなど、鮨職人としては異色の経歴を持つ。2017年3月には店を後進に譲って独立。2018年2月に銀座で新たな店を開業する。

ウェイターという職業が日本では成り立たないと思った

最初からまったく継ぐ気はなかった、と語る佐藤さんですが、実家は鮨屋でした。父親は新潟の町場の鮨屋で生まれ、集団就職で兄弟たちと上京。車関係の仕事に就いていましたが、手に職をつけたほうがいい、ということで辞めたのだそうです。

「脱サラですね。それで、兄弟や親戚何人かで鮨屋を始めるんです。お米は実家で取れる、と。それこそ屋台の鮨屋の時代。それから、兄弟それぞれが店を持つようになって」

いわゆる町の鮨屋。子どもの頃から鮨は身近にありました。

「店と家は違いましたから、頻繁に、というわけではありませんでしたが、小学校の遠足や運動会のお弁当は、決まって太巻きや巻物でしたね。これが嫌でした(笑)。のり弁とか、おにぎりとか、サンドイッチみたいな、みんなと同じものが食べたかった。逆にみんなからは、いいなぁとうらやましがられていましたけど、それがまた嫌で(笑)。派手なタイプじゃないんです。みんなと一緒が良かった」

高校時代にバンドを始め、バンドマンに。その延長線上で、グローバルダイニングの「ゼスト」で働くようになります。19歳のときです。

「ここでサービスの楽しさ、飲食の楽しさを学びました。ずっと飲食に携わりたいな、と思うようになったのは、この頃からですね」

2年後、飯倉のゼストの店長を1年間務めます。さらに、レストラン「NOBU TOKYO」で仕事をします。

「下働きから始めて、席のサービスを任されるウェイターになったら名刺をくれる、というので、そこまでやろうと頑張って。最後は、名刺をもらって辞めましたね。グローバルダイニングでもサービスは学びましたが、ちゃんとレストランサービスをやっている先輩がいたので、その人からハイエンドのサービスを教わることができました」

佐藤さんは1年で仕事を離れ、25歳でアメリカへの旅に出ます。特に目的があったわけではなく、3カ月ふらりと行ってきたのだそうです。

「ロサンゼルスから入って、アリゾナに行って、ニューオーリンズ、ナッシュビル、メンフィスを回って、マイアミ、ナイアガラのほうまで行って、シカゴも行って、シアトルまでぐるりと。全部、長距離バスです。アメリカの文化を見たかったというのもあるんですが、国民性が好きで、アメリカに触れてみたかったんですよね」

このアメリカ旅行で、佐藤さんは考える時間を得た、と言います。そして出た結論が、鮨屋になる、という選択でした。

「ウェイターという職業が、日本では成り立たないと思ったんです。それともう1つ、お客さんと接することが一番好きだったので、その最前線にいたかった。いろいろ考えたら、鮨屋があるじゃないか、と。カウンター商売で、お客さまに常にサービスしながら反応も見られる。しかも日本にルーツがあって、1人でもやれる。レストランをやろうと思ったら、人が必要になりますから。でも一番大きかったのは、実家が鮨屋だったことかもしれません。天ぷら屋だったら、天ぷら屋をやっていたかも(笑)」

伊東食堂