角田光代の「もう一杯だけ☆ご一緒に」

「まずい」と思ったら、どうする?

第7回 店を出ていく勇気と、食べ続ける勇気

文:角田 光代 /写真:菊池くらげ/イラスト:ノグチノブコ 10.16.2018

お酒と食が大好きな女流作家の角田光代さん。居酒屋で友人と肩を並べ、あれこれよもやま話に花を咲かせることも多いとか。そうした場面を切り取って、エッセイにしてカンパネラ読者にお届けしようという本企画。お酒はもちろん、仕事や恋愛、友人や家族など、いろいろなテーマについて存分に語っていただきます。第7回は、角田さんが前情報もなく初めて入ったお店で、とんでもなくまずい料理を体験したときのお話です。(本文に登場するお店と、写真のお店とは全く無関係です)

私の友人知人には、食にこだわりのある人が多い。私はおいしいものが好きだが、そういう人たちを見ていると、こだわりなんかぜんぜんないほうだ、と思う。いちばんびっくりしたのは、お鮨屋さんにいって、出されたわさびが生のものでない場合その店を出る、と言い放った人がいたことだ。生の、すりおろしたわさびではなくて、チューブのものだったり練りわさびだったりした場合、という意味だ。

そのこだわりぶりにびっくりするというよりむしろ、その時点で店を出ていくことができる、その勇気にびっくりする。だって、わさびが出てくる、というからには、席に案内され、そこに座り、すでにビールか酒か、あるいはお茶か、出されて、おしぼりで手も拭き、突き出しも出ているかもしれない、そのくらいのタイミングではないか。そこで立ち上がって店を出る。会計はどうなるのだろう? 店を出る理由は説明するのだろうか?

あまりにおどろいたので、そうした疑問を口にすることが思いつかず、今も疑問は疑問の まま残っている。

私はあるとき興味を抱き、食にこだわりがある人ない人関係なく、いろんな人に訊いてまわった。はじめての店に入り、出てきた料理を一口食べて、「まずい」と思ったらどうするか。

答えは三つほどに分かれた。一、そのまま出る。二、料理は残すがそんなにすぐは店を出ない。三、がんばって最後まで食べる。一の「そのまま出る」が、もっとも多かったのだが、それも私には驚きである。次に多いのは三のがんばって食べる派で、この人たちは、みな、「まずい」のあとに、何かしら工夫をすると答えた。まずいと思った料理に、塩をかける、醤油をかける、タバスコをかける、等々。

私は出ない。出られない。まさに、まずいものに何か工夫をして、がんばって食べる。 すぐにその場を立つ人は、まずいものを食べさせられたことに怒っているのだと思う。その怒りを、まずいものを食べさせた相手に伝えたい。一口食べた料理を残して、そのまま立ち上がって店を出ていくというのは、抗議なのだと思う。

料理は残すがそんなにすぐには店を出ない、という人は、怒っているのではなく、闘っているのだと思う。まずいものを作った人との闘いではなく、まずいものとの闘いだ。そして「無理」と負けを認めて店を出るのだろう。

私のようながんばって食べる派は、まずいものに、でもなく、まずいものを作った人に、でもなく、まずいものを選んでしまった自分に対して怒っている。だから、自分を罰するかのように食べる。……ような気がする。

私はひとりでも飲みにいくし、知らない店でもふつうに入ってみるが、これはそうとうな蛮勇なのだと最近思うようになった。

泣きたいくらいまずい!どうしたらいいの

先日のこと。通りがかりに飲み屋さんができている。外からは、店内の様子が見えない造りになっている。店内に足を踏み入れると、店内が無人。お店の人がにこやかにカウンターに案内してくれる。振り返っても無人。飲食店の無人は気になる。でもまあ、これからお客さんもくるのだろう。何しろ、席に着いてしまったのだ、出ていけない。とりあえずスパークリングワインを頼む。

はじめての店で、料理の量がわからなかったので、アスパラに卵とチーズがかかっているものと、トマトソースのかかったミートボールをまず注文する。アスパラ料理は、このごろ多くの飲み屋で出される、茹でたりバターで炒めたりしたアスパラに、半熟卵をのせ、チーズがふってあったり焼いてあったりするものだろう。たしかに出てきたのは、茹でたアスパラに卵と粉チーズがかかっている、それだけの料理ともいえない品である。

なのに、おいしくない。「そこそこ」どころではない、はっきりとおいしくない。アスパラがかたい、そして何か味気ない。テーブルには塩もこしょうもない。「おいしくない」とはっきり思っているから、「塩をください」と言う勇気が出ない。スパークリングをワインに切り替える。国内産だという、ジュースを水で薄めたみたいなワインが出てくる。甘い。

あああ。泣きたい。でも立てない。

ミートボールが出てくる。数は四個。これなら食べられる。よかった、とひとつをフォークで突き刺して口に運ぶ。ミートボールは焼いてあるのではなくて、揚げてあるのだったが、揚げすぎたのか、もっのっすごくかたい! ぼそぼそ。肉汁などひとたらしもない。トマトソースはへんに甘い。こ、これは……。心のなかでつぶやく。なんとかポジティブに事態を捉えようとする。これは……、うん、まずい……、しかしこんなにまずいのってめずらしい! ひさしぶりに食べた、まずいもの! ちょっと気分が上がってくる。夫に話せる。友人にも話せる。こんなにまずいもの食べたって自慢できる。

ミートボール一個を食べて、二個目をなんとか食べようとする。かたさに加えて、焦げ臭まで口に残る。

無理。ああ、もう無理。そう思いながら、薄い甘いワインをおかわりしてしまう。だってここで席を立って出ていくなんて、とても無理。そんなにおいしくない、程度の料理だったら出ていけるけれど、こんなにはっきり「まずい」なら、出ていくイコール「まずい」と声高に言うようで、それはできない。そう、悪いのは料理人でもなく料理でもなく、この私。前情報もなくあたらしい店に入った私。

ひとりで葛藤しながら、結局スパークリングワイン一杯、ワイン二杯、アスパラは食べ、ミートボールは二個を残し、一時間経ったから、まあいいか、と席を立つことができた。

夫や友人に話して自慢しよう、と自分を鼓舞していたが、なぜか未だにだれにも言えない。自分の失敗が恥ずかしいのだと思う。

撮影協力:鳥もと 本店
     東京都杉並区上荻1-4-3 (荻窪駅から200m)
     予約・お問い合わせ :03-3392-0865


角田 光代(かくた みつよ)
早稲田大学第一文学部卒業。90年「幸福な遊戯」で海燕新人文学賞を受賞しデビュー。2003年『空中庭園』で婦人公論文芸賞、2005年『対岸の彼女』で直木賞、2006年「ロック母」で川端康成文学賞、2007年『八日目の蝉』で中央公論文芸賞、2011年『ツリーハウス』で伊藤整文学賞、2012年『紙の月』で柴田錬三郎賞、『かなたの子』で泉鏡花文学賞、2014年『私のなかの彼女』で河合隼雄物語賞を受賞。著書に『真昼の花』『キッドナップ・ツアー』『ドラママチ』『三月の招待状』『森に眠る魚』『くまちゃん』『坂の途中の家』『拳の先』など多数。お酒や食にまつわるエッセイも多く、『よなかの散歩』『まひるの散歩』『月夜の散歩』などがある。
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