角田光代の「もう一杯だけ☆ご一緒に」

なんとなくへん? 文壇バー

第8回 小説好きな人が形成するちいさな世界

文:角田 光代 /写真:菊池くらげ/イラスト:ノグチノブコ 11.20.2018

お酒と食が大好きな女流作家の角田光代さん。居酒屋で友人と肩を並べ、あれこれよもやま話に花を咲かせることも多いとか。そうした場面を切り取って、エッセイにしてカンパネラ読者にお届けしようという本企画。お酒はもちろん、仕事や恋愛、友人や家族など、いろいろなテーマについて存分に語っていただきます。第8回は、作家や編集者たちが集う、普通の人から見るとちょっと変?な文壇バーのお話です。

文壇バーって本当に存在するの? と、同業者ではない友人知人からごくまれに訊かれることがある。あらためてそう言われると、「文壇バー」ってへんな響きだよな、と思う。ようするに編集者や作家や評論家がおもな客である飲み屋、ということだろう。

私の知るかぎりだが、文壇バーにもいろんな種類がある。銀座の高級バーもあれば、文壇バーと言われているが映画関係者のほうが多い店、新宿ゴールデン街にあるいくつかのバー……そうして数えてみると、数軒ある。存在を疑われるわりには、多いのではないか。

私が実際に知っているのは二軒である。知っている、というか、よくいっていたり、今もいったりする文壇バーである。

一軒は四ツ谷三丁目にあった。かつて新宿にあった文壇バーで働いていた女性が開いたバーである。一九九〇年、私は「海燕」という文芸誌の新人文学賞をもらってデビューしたのだが、その新人賞の二次会が、この文壇バーで行われた。

二十三歳だった私は、連れていかれたその店が、自分の知っている居酒屋やバーとまったく異なるので緊張し、「これから私はこの(異様な)世界で生きていくのだ……」と内心で思っていた。

L字型のカウンターと小上がりに二卓あるくらいの狭い店なのだが、二次会に流れてきた作家と編集者が満員電車のごとく大挙して飲んでいる。座っている人より立っている人のほうが多い。店のマダムは編集者をこきつかい、叱りつけている。本を読んだことしかない作家がごろごろいる。そのうち作家二人が大声で喧嘩をはじめたので震え上がった。「ああ、これから私は、この(異様な)世界で……」と、今度は泣きたいような気持ちで思った。

文学賞の二次会だからその日はそんなに混んでいたのであって、ふだんは空いている。入り口に「会員限定」というちいさな看板が出ていて、ふつうのお客さんはまず入ってこない。編集者とともにいくと、大先輩の作家が編集者と飲んでいたりする。

ここのマダムは編集者にはとくに厳しかった。作家を連れてきたのに酔い潰れて寝たり、絡んだりすると、ぴしゃりと編集者を叱りつけた。ずっと年配の編集者でも言い返せないすごい迫力。だから私はこの店が好きだった。まだ二十代の私は、守られているように思ったのだ。マダムの目が光っているから、若いからと私に絡んでくる編集者もいなかったし、失礼な態度をとる人もいなかった。もちろん、このバー以外でならそんなことはたくさんあった時代である。このバーは十年以上前に閉店してしまった。

文壇バーには喧嘩がつきもの・・・形は変われど

もう一軒私の知っている文壇バーは新宿にある。カウンターだけの、こちらもこぢんまりしたバーで、やはり文学賞の帰りや、朗読会が行われるときなどは満員電車のように混む。こちらは「会員限定」のような看板はないので、ふらりと足を踏み入れる人もいると思う。もしかして、あまりの奇妙な雰囲気にすぐ出てしまうかもしれないけれど。

新宿にはほかにも、作家を含む、映画、評論、学術、あとは何かよくわからないけれど、そうした職種の人が集まるバーが数軒ある。私はそれぞれ一度ずつくらいしか、連れていってもらったことがない。でも、私がよく飲みにいくそのバーが、いちばん純粋な意味での文壇バー然としている。飲みにいけば、かならず作家がいるか、あとから入ってくる。こちらのバーのマダムは、作家にもやさしいが編集者にもやさしく、怒ったところを見たことがない。

このバーも喧嘩が多かった。私が遭遇したのは数度しかないが、私が帰ってから大乱闘があった、などとよく聞いた。でもそれも、もう二十年も前の話だ。文壇バーと喧嘩がセットになっていた時代があったのだろう。今でも喧嘩はときたま見るが、乱闘はまず見ない。

                               

私は若いときから年長者に連れてきてもらっていたせいで、文壇バーをサークルの部室のように思っているところがある。そこにいけば、知っているだれかがかならずいる、という点でも同じ。路上で見たら縮み上がる喧嘩も、バー内でならこわくないし、ふだんは見知らぬ人と目も合わせない私だが、バー内でなら知らない人とでも親しく話せる。そしてその場所が、ほかの人から見たらなんとなくへんだろうとわかってはいる。けれどもどこがへんなのか、はわからない。

あんまり意識したことはなかったけれど、文壇バーで私が学んだことって意外に多いのかもしれない。無意味におもねらないこと、自分の意見を持つこと、喧嘩にびびらないこと、マダムのやさしさに甘えすぎないこと。好きの方向性の違いはあれど、小説が好きな人が形成するちいさな世界がたしかにあること。──それが学んだいちばん大きなことかもしれない。

撮影協力:鳥もと 本店
     東京都杉並区上荻1-4-3 (荻窪駅から200m)
     予約・お問い合わせ :03-3392-0865


角田 光代(かくた みつよ)
早稲田大学第一文学部卒業。90年「幸福な遊戯」で海燕新人文学賞を受賞しデビュー。2003年『空中庭園』で婦人公論文芸賞、2005年『対岸の彼女』で直木賞、2006年「ロック母」で川端康成文学賞、2007年『八日目の蝉』で中央公論文芸賞、2011年『ツリーハウス』で伊藤整文学賞、2012年『紙の月』で柴田錬三郎賞、『かなたの子』で泉鏡花文学賞、2014年『私のなかの彼女』で河合隼雄物語賞を受賞。著書に『真昼の花』『キッドナップ・ツアー』『ドラママチ』『三月の招待状』『森に眠る魚』『くまちゃん』『坂の途中の家』『拳の先』など多数。お酒や食にまつわるエッセイも多く、『よなかの散歩』『まひるの散歩』『月夜の散歩』などがある。