ネオンとオンナ

ネット時代の炎上は「レイヤー違い」と「ハードな張り手」から起きている

燃えるものなき砂漠を流浪しながら、生暖かくネットと対峙しよう

文:鈴木 麻友美 01.24.2018

日々発信している人は「レイヤーの違い」を認識する力に長けている

Facebookでアプローチしてくるつながりたいおじさんは、プロフィールにやたらたくさんの組織名やら役職名を入れている。「大学が一緒ですね」「同業界ですね」「交流会やってるのでぜひ情報交換しましょう」と。同世代や下の世代ではまずこのアプローチはない。

それよりも「こんなプロダクトつくったんです」とか「自分の天パのチリ具合で天気予報するインスタやってます」などと言われたほうが楽しい。所属を楯に知らない人と交流するのは、仕事でじゅうぶんだ。

同世代で、そこそこ着実に仕事ができる人は仕事一筋の人が多いけれど、対外的に話題になる類いの仕事をしたり、時にスター化する友人知人はだいたい仕事以外に何らかのコンテンツを抱えて発信している。写真だったり、専門知識だったり、ZINEだったり、音楽やDJだったり。そこに自然とファンや人や情報が集まることで、仕事にも還元される。

「情報は発信するところに集まる」の定説さながらに、そこには評価や人も集まる。好きなものや強みを日々表明していれば、いい意味でのお鉢もまわってきやすい。憧れのあの人に会いたいと人にお願いする時にも「チリ毛でフォロワー1万人」とかが手土産になり、紹介者もお伺いが立てやすい。最近は就職試験で「あなたのことがわかるURLを書け」と要求する会社が増えているらしいし。

むろん発信で仕事がおろそかになっちゃダメだし、空虚な発信はイタいだけだし、「SNSで投稿するの恥ずかしいじゃん。ロムるだけでいいよ」っていう人も超大勢いる。でも発信している人は日々、ネットの砂漠で評価にさらされているから、仕事に立ち返っても企画がタフだったり、生活者やネット民のニーズから乖離しにくい。そしてレイヤーの違いによる反応も予測できる。

「体育会系は成功体験に基づいた努力とか練習への根性があるから企業でも強い」という考え方が長年支持されている。これに加えて、今の時代は「発信している人」にも言えるんじゃないかと思う。

なつメロで同世代で一致団結する。アイドルのライブで一体感を味わう。10年ほど前まではミリオンセラーの曲がたくさんあり、マスでマッチョなコンテンツが人々の「共感」を引きだす強大な力を持っていた。ひるがえって今は、女子大生がTwitterでつぶやく情事の記録とか、坊主の選手権とかクラフト感あふれるコンテンツであっても、ひとたび発見されれば瞬時に拡散され強大な引力を持つ。同じレイヤーに属する者だけが味わえる程よい「私たちだけ」の共感は気持ちもいい。「マスかコアか」でなく、いろんなところに「私たちだけ」のチャンスや商機は転がっている。

昨今のマスで話題化するコンテンツといえばもっぱら不倫報道だ。このコンテンツは著名人の方々が、相方に不倫をされた経験のある既婚者や、されることを恐れている既婚者クラスターが抱いているパートナーへの思いの“人柱”として機能してしまっている。n数が大きいし、いい意味でも悪い意味でも大量のレイヤーを発生させやすい。いわば不倫する者コンテンツ隆盛だった時代の後の、「された」者による反撃。「金妻(ドラマ『金曜日の妻たちへ』)」の年に生まれ、思春期が「失楽園」とともにあったわたくし的には感慨深い。

張り手的な存在主張は、今のネット空間では相手を萎えさせる

つながりたいおじさんに話を戻す。共感や引き寄せを生むコンテンツを提供するでもなく、勤務先や所属といった“ガワ(外側)的”なアイデンティティでドヤドヤと張り手してくる人たちがいる。ここでは、これらのアイデンティティは「(ソフトでなく)ハード」と呼ぼう。

この「ハードな張り手」がたくさん来ると地味に萎えるし、微妙につらい。以前は平気だった気もするけど、萎え度合いが近年増している気がする。以前本コラムでも書いたけれど(SNSにおける「モテ」と「非モテ」の踏み絵)、恋愛もコミュニケーションも、相手に自分のことを好きにさせるにはプッシュ(push)じゃなくてプル(pull)がいい。なにせインターネットは、プルでもいいものが「発見」されシェアされる場所だし。認知されるのと好かれるのは違う。