ネオンとオンナ

インフルエンサーになりたい病

文:鈴木 麻友美 01.31.2019

インフルエンサーが話題になって久しい。影響力を持つ発言者・インフルエンサーは、消費者や企業の注目を集め、(ネット界隈での)名声や場合によってはスポンサーのお金も獲得している。元々面白いコンテンツを持っているインフルエンサーはいいのだが、「インフルエンサーになりたくて頑張っている人」の行動は、脇で見ていると気恥ずかしい。そんな「インフルエンサーになりたい病」に罹患した人々の生態を観察してみた。

あぁまたひとり、あちら側に行ってしまった……と寂寥の念を抱く。

そういう時わたしの脳内では、映画『アルマゲドン』のワンシーンが思い浮かぶ。小惑星を爆破させるために惑星に残る人類の英雄・ハリーは言う。

「娘を頼む」「お前に謝らなくてはいけない、絶対帰ると言ったが出来そうにない」

私は答える。「残された(Twitterの)民、俺らキッズ(ヘッズ的な意味で)はお前を忘れない」と。

こうして何人か友が英雄となっていった。

別に天に召されたわけではない。一般人のインフルエンサーへの変態過程だ。

自分で自分の投稿をリツイート

インフルエンサーとは、その発言や行動で世間に影響を与えやすい人。「影響を与える人物」というその名のごとく、ネットの人々が抱く考え方や行動に明に暗にと影響を及ぼす。

ここ数年、企業がネットマーケティングの手段として、インフルエンサーを活用することが増えている。それだけであれば往年のブロガーと大して変わらないが、イマドキのインフルエンサーは自分そのものがコンテンツで、フォロワー数そのものが資産となると言われている(何をしても注目されるマーケットを持っているという意味で)。

インフルエンサーへの変態の兆候はこうだった。

Twitterで「腹減った」とかつぶやいてたアカウントが、ポジティブ思考、オンリーワン思考のティップスや成功の極意とかをつぶやくようになる。抽象度が高いポジティブなワードが増える。改行も増える。

あぁもしかして……。自分で自分のツイートをリツイートする頻度が増えるのを目の当たりする頃には、変態はだいぶ進んでいる。サナギくらいにはなっている。時々、蝶として羽ばたく人もいる。

とにかく有名になりたいと言っていた友人が「私という人間の自己紹介」をブログに書き始め、それがVol.1、Vol.2と続き、気づけばVol.20くらいになった。その際には友人の間で「あいつは大丈夫か?!心配だ」と話題になったけど、今は無事インフルエンサーとして活動しているから、成功方法は本当に人それぞれだなと思う。

完全体としてのインフルエンサーを見ているのは楽しい。彼らは既に(賛否あれど)面白い主張やコンテンツを持っているからだ。だからこそ、多くのユーザーを引きつける。

ただ、サナギ中の友の姿を見るのはなんとも、はがゆく、むずがゆく、ちょっとさびしい。直前にリアルの世界で本人の悩みごと相談にのっていたりすると余計に。

「インフルエンサーになりたい病」に直面したときの、むずがゆさの正体

インフルエンサーへの変態はいわば第三次性徴みたいなものだと思う。

思春期はみなもがいた。慣れない化粧をしたり、あれやこれやと異性へのアプローチに苦心したり、親とのコミュニケーションに悩んだり。あるいは友人をライバル視して眠れなくなったり。

大人になって振り返り「黒歴史」「中二病」と呼ぶ時代でもある。気づいたらその期間は終わり、それ以前よりもなんとなくの判断能力や客観性が備わっていた。そういう時期も変化のためには必要で、その後人は大きく花開く。

思春期は皆に平等に訪れたから客観視はできなかったけれど、インフルエンサーへの変態は人生で初めて、同じ目線で人様の思春期を目撃してしまっているような感覚を覚える。それが、むずがゆさの正体なのかもしれない。

「あいつ最近色気づいたよな~」
「二中のアイドルにコクられたらしいよ」
「俺、興味ねえもん!」
「うそつけ~」

サナギ状態のインフルエンサー変態中を肴に友人と飲む時の会話は至極思春期的だし、ゲスい。私だって、あっち側に本当は行きたいのかもしれない。

サナギの先は、蛾なのか蝶なのか。物見遊山は楽しいし、時に残酷だ。

ピルゼンアレイ