36歳で親に勘当されて、夫婦の在り方について再発見した話

30代も後半に入って父親とケンカ、さらには勘当までされるということを経験した(なお、間もなく勘当は解除されたらしい)。父親とのリアル・クソリプのやり取りを経て、自分の逆切れ具合は夫との間のそれによく似ていると気づいた。愛ゆえのむちゃくちゃな挙動は親子だからこそ許される。けれど夫婦はそれじゃあちょっと良くない。親と自分、そして夫と自分の関係性に見た愛のアティチュードについて綴る。
ウン十万年ぶりに父(66歳)とケンカした。
だいたい週1ペースで行く実家で酒を飲みながら「ぼちぼち引越ししようかなぁ」とぼやいていたら、仕事をリタイヤしてから怒りっぽくなった父が「また逗子あたりに住むのか」と絡んできた。
「引っ越すならそっちに決まってんじゃん」と返したら、「留守中に猫の面倒みるのはお母さんなんだ。遠いとお母さんがかわいそうだろう! パパはいいけど、反対だ! 近場の都内でいいじゃないか!」と怒り始めた。母の方をチラ見すると「私は別にいいけど」という反応。
内弁慶で人としての器がおちょこくらいの私は逆切れした。「私はいやいや東京に住んでるの! 1年に数回しか発生しないであろう猫の世話より、残りの350日くらいの私の幸せを尊重すべきでしょう?」
クソリプVSクソリプである。
退職し仕事という生きがいを失った父の、母へのモラハラっぽい言動にイライラしていたところだった。今思えば(いや正確に言うと数日後に年上の友人女性たちにたしなめられたんだけれど)、単に父は実家の近くに住んでほしいんだろう。寂しいと正直に言えなくて、照れ隠しで母のせいにしたんだと思う。
ちなみに私の実家は東京と神奈川の県境で、別に逗子や鎌倉は遠くない。たまたま今の私の家が実家の近くなので、「それに比べたらでしょうよ。でも都内に住めって言うなら吉祥寺あたりは湘南より遠いよ? 住まないけどねっ!」と大人げないこと極まりない煽りをかぶせたら父は激高した。
そしてなぜかロンドンにいる私の夫に「君の妻おかしいぞ!」(←いやあなたの娘だけどな)的な告げ口LINEをし、切れた私は実家を飛び出し、結果父から連投罵倒LINEが来てそれをロジカルに論破したところ人生初、勘当された。36歳にもなって。
親の中に見た、自分の夫に対するアティチュード
私は東京にほとんど愛着が持てないでいる。
生まれは川崎市だけど、2歳以降の子ども時代は父の転勤で、香川県、静岡県と転々としたものだから、地元とか地元友達というものがない。中高一貫校時代は家も学校も横浜だったので横浜は仮想の地元だ。
社会人になって麻布十番で一人暮らしを始めた時、糸が切れた凧のごとく夜の西麻布やら都会を謳歌した。だがそれも1年くらいで飽き、週末を海や山の近くで過ごすようになった。東京に何の恨みもないし田舎暮らしの大変さも見聞きし認識しているけど、ただ単に幼少期を過ごした土地のような自然が多いところが好きだ。
東京の街は地方出身者がつくっていると言われるけれど、きちんと思いや目標を持って東京に出てきた人々が街をつくりあげ地元愛と交じりあい、常に更新していくのは大都市特有のロマンや多様性であり、それは素晴らしいなと思う。
私のようななんとなく労働と寝食の場として東京に間借りしている人間は、それを観察し魅力を享受する側でしかなく、都合のいい空気のような立ち位置でいい。
自ら望んだ結果なのか、一生借りぐらしの星なのか、今もふらふらと移動ばかりな生活だ。
夫はロンドンに住んでいるので、欧州に通い婚生活をしている。地元もなければ、結婚してもなおいわゆる一般的な家庭を持っていない。元々持っていないものには、憧れはするけど、困りはしない。
しかし、夫の海外赴任が内々定しそうかもと報告された時、私は泣いて騒いで抗議した。その時点ですでに大阪と東京の遠距離生活だった。自分の仕事も好きだったし、駐在妻専業主婦生活の人間関係を想像し自分にはムリやできひん……となり、海外で仕事をこなせる縁か技能か語学力がないと夫にはついていけない……あぁどれもないじゃんと頭を抱えた。
夫が欧州に行ってしばらくの間はものすごく押しつけがましく「行かせてやったから感謝しろ」感を出していた。切れた父と同じである。完全にモラハラ妻だ。先日離婚した年の差夫婦芸能人の元夫のツイートが頭によぎる。
先にも書いたように最近不機嫌な父は、実家近くに住んで頻繁に家に来てほしいのを素直に言えずに「遠くに住むなんて何事だ!俺はいいけど他人が許さん」とパワハラ上司みたいな言い分で否定し、「もう来るな!」とまで言ってしまう。夫に対する私と父、アティチュードがまるでいっしょだ。
結局、しばらく後悔したであろう父から「この酒うまいなう」とLINEでレアな日本酒の写真が唐突に送られてきたので私の勘当は1週間ほどで解けたっぽい。ただし母には定期的に上から目線の言葉を依然浴びせているようである。
むちゃくちゃな挙動を愛として受け取って見えたもの
近くにいるのが当たり前だと思うと、人は人をコントロールしたがる。でもそれを愛ゆえの副産物ととるか産業廃棄物ととって離れるかはそれぞれだし、親子だからと許されるコントロール欲もあれば、度を越して縁を切るか苦しむ人もいる。
「自分から父に仲直りしろ」と諭してきた年上の友人女性は、もう彼女の父が長くはないんだと打ち明けてくれた。親のむちゃくちゃな挙動も愛として受け取り、限られた時間を愛で対応する以外にないんだ、と。
でも夫婦は違う。家族だからといって、夫婦は他人。もともと海外赴任を希望したのは夫だった。父とのケンカを機に、夫に恩を着せていた自分を急に反省したくなってきた。先日、本コラムで「青い鳥」うんぬん書いたが、結局私は再び夫の青い鳥を捕捉しようとしていたのかもしれない。(編集部注:「あなたは幸せのために愛する人の青い鳥を撃てるか」をご覧ください)
他人との関係性は永遠じゃないのに、夫婦につい親子の関係性をトレースさせてしまいそうになる。「老い」によってありがたさを増す親と違い、夫婦の関係はコントロール欲を増せば増すほど鮮度を失う。
思えばこの1年、ロンドンを拠点に、イビサ島、ブリストル、モロッコ、バルセロナ、そして南仏に行った。
海外生活で夫は少し変わった。ちょっと変で妄想癖のあるおっとりした性格はそのままだけど、今まで私がやることが多かった旅先の飛行機や宿、レストランの予約をいそいそとしてくれるようになった。たったこれだけで私は夫が新しい世界にいざなってくれているようで、旅や生活の楽しみ方も変わった。結局、私は小さい頃から移動だらけの人生だし、旅は生きがいだし、この生活がそれなりに楽しい。
いい歳こいて親とケンカするのも悪くはないなと思いつつ、取り急ぎ人としての器を現状のおちょこからワイングラスくらいにはでかくしようと思うし、父と私は「性格がよく似てる」(母談)のだ。(おしまい)

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