「港区女子」的恋愛の末路と「射程距離短いガール」
主観強めの女子と客観視がすぎる“こじらせ”の差異が見せる、恋の遠洋漁業と近海漁法論

港区女子的な恋愛は、いわば遠洋漁業である
恋愛を漁業に例えると、港区女子たちはマグロ漁船の漁師だ。遠洋漁業だから燃料費だってかかるし遭難もする。
一本釣りはリスキーだから延縄漁法で動くべし、ただしトロール漁法は嫌われるぞなどと女子会で夜な夜な議論した。一本釣りで死闘の末に餌だけ持っていかれ、大海原にぽつんと佇んだ時なぞ、どれだけ己と対峙することか。ヘミングウェイか 。
私が近海漁業ができない要因は、中高6年間女子校育ち、そして転勤族だったから地元友だちというものがひとりもいなかったこと。彼氏が欲しいならすべからく遠洋漁業というのがスタート地点だった。大学に入って周囲に男性はわんさかいても、一度友だちだと思った男性に恋心を抱くという脳の回路が、なんというか発育していなかった。
高望みしているから遠洋漁業しに行くのではなく、私は単純に近海での漁法を知らないのだ。三つ子の魂百までで、結局、学内恋愛も社内恋愛もしたことがないまま結婚した。
「射程範囲短いガール」に学ぶべきもの
近海を漁場にできる人は、男女ともにおしなべて余計な自己客観視をしない、主観強めの人たちな気がする。
主観強めの女子の場合、SNSには擬態語や固有名詞(友人の名前)が多く登場し、「等身大の文章」と「ぶりっこ」のはざまを行き来する。主観がとにかくストロング。ひねくれてなくて、「私って本当に人に恵まれてる」「最高の同期に感謝!」的なエモさを持っていたり、身内を褒めて高め合う。
そこについては、スイスイさんがうまいこと解説してくださっているのが膝を打ちまくったので、お時間ある際にぜひ(スイスイさんの記事:【SNSで「私は人に恵まれている」と書きたい系女子】別名【フライ級女子】が気づかせてくれた大切なこと。)
彼女たちはその愛嬌で、同じコミュニティなどの至近距離にいる異性からよくモテる。生きる定置網かと。名づけて「射程距離短いガール」である。彼女たちは強い。ちなみに言うと、彼女たちのYUKI(元JUDY AND MARYのボーカル) になりたかったガール率は高い。YUKIには思春期の女子に「自分でもなれそう」と思わせる近さがある。安室ちゃんはムリだけどYUKIなら、という論理である。
ここまで書いて、あぁ自分のひねくれが悲しくなってきた。あの無邪気な自意識のダダ漏れは、天然なのだろうか、それとも養殖なのだろうか。自分もあっち側に行っちゃえば楽になれるだろう、いやムリだ。単なる嫉妬? まさか。と、モヤモヤする自分に対して自己嫌悪のモヤモヤが追い打ちをかける。何か被害に遭ったわけでもないのに。
港区女子よ、遠洋漁業だけがすべてではない
そんな射程距離短いガールに対するなんとも言えない苦手意識を、最近やっと同類の友人と言語化して共有できるようになった。
おそらく、SNSにおける各種の書き込みが、人の「主観が強いタイプ」と「客観視がすぎるこじらせ」を可視化してくれたからだろう。同類友人との共有により長年のモヤついたこじらせが成仏され、だいぶ気が楽になった。
だから私は、港区女子に対して叫びたいし抱きしめたい。大海原の冷たいブルーオーシャンよりも、暖かい内海や波打ち際も見つめてみようよ。なんなら養殖だっていいじゃないか! 彼女たちの遠洋漁業の死闘を応援しながら、自分にはできなかった近海漁法へのシフトも問い続けていきたいと思う。
ちなみに、わりと遠洋漁業派な友人たちと、#繊細なBBA というユニットを組みました。
だいたい大学の同級生で、日々、世の中の鈍感なものや美しくないもの、受け入れがたい感性などを批評・議論し成仏させるという非常にゲス……じゃなくて崇高な活動をしています。
(1)ロースクール出身、その美貌と審美眼と舌で売れっ子フードアナリストとして活躍するチエ嬢(女)
(2)ヨガティーチャーとして美と浄化と瞑想を追求し美しくない人間を許さないフリーランス弁護士マサ(男)
(3)出会う男すべて狂わせるガールかなこたん(女)
(4)こじらせ男と渋谷系おじさんホイホイ、時々エロテロリストのコピーライターれいな(女)
(5)私
こじらせた私たちが生きやすい世界を目指して、アーメン。

Twitter/Instagram @kingmayummy
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