プロフェッショナルに聞く

「海外からのお客様に、ありのままの日本のバーを見ていただきたいのです」

「バー ハイ・ファイブ(BAR HIGH FIVE)」オーナーバーテンダー 上野秀嗣さん

取材・文:大塚 千春 /写真:大槻 純一 06.28.2018

東京・銀座のビルの地下に、海外からのお客であふれる店がある。「バー ハイ・ファイブ(BAR HIGH FIVE)」──日本バーテンダー協会専務理事・上野秀嗣さんがオーナーバーテンダーを務めるバーだ。酒が弱くバーテンダーになどなろうと考えていなかった上野さんは、銀座と出会い、尊敬する師に出会い、そして自らも各国のバーテンダーから敬意を払われる存在となった。その軌跡を追いながら、仕事に対する考え方を聞いた。

なんの変哲もない銀座の小さなビル。しかし、地下に降りるエレベーターから足を踏み出せば、その向こうにあるのは大人のワンダーランドだ。クラシックな飾り細工が施された木の棚の上に図書館の古書物のように整理されて並ぶ酒瓶を背に、姿勢を正したバーテンダーがお客を迎え入れる。「バー ハイ・ファイブ(BAR HIGH FIVE)」。銀座のバーの世界を30年近く見続けてきた、日本バーテンダー協会専務理事・上野秀嗣さんの居城である。

夕方5時。「バー ハイ・ファイブ」には、キラ星のごとくバーが軒を並べる銀座でもひときわ異なった風景が広がる。店の扉が開き、一人また一人と、店のスツールに座り始めるのは海外から訪れるお客。「やっとここに来れたよ」とうれしそうに話しかけるお客に上野さんは流暢な英語で答える。「海外から来るお客様に、これが日本のオーセンティックなバーだというものを見せたい」。それが、上野さんの心意気だ。

なぜこのバーに海の向こうからお客が集まるようになったのか。その店作りの原点は何か。

一度捨てて、拾い上げた留学案内

札幌出身の上野さんが、「あれが、僕の人生の大きな分岐点だった」と振り返るのは、東京の大学から合格通知を受け取ったときのこと。中には1枚の交換留学制度の案内が入っていた。留学させてもらえるような金銭的余裕は実家にないと、くしゃくしゃっと紙を丸めていったんは捨てたが、上野さんの頭の隅に何か引っかかるものがあった。丸めた紙をもう一度手に取り、広げてよく見ると、留学費は分割払いできるとある。

「ダメ元で、こんな制度があるんだけどと母に相談すると、いいわよと背中を押してくれた。それで、入学後に、半年間アメリカの大学に留学することになったんです」と上野さん。このとき留学案内の紙を捨てていたら、その後の自分の人生はまったく違ったものになっていたと上野さんは振り返る。

留学先には多くの日本人学生がいたが、上野さんは努めて彼らと距離を置いた。

「アメリカまで来て日本人といても仕方がないでしょう。当初は英語がしゃべれないからスケッチブックを買ってきて、そこに話したいことを英語で書き、現地の人とコミュニケーションを取っていました。ルームメイトもアメリカ人で、寝る前の数十分話をするとぐったりしてよく眠れたものです。お蔭で半年も経つと何とか日常会話程度であれば不自由なく英語で話せるようになりました」

帰国すると、卒業を前に周りの友人たちはリクルートスーツに身を固めたが、上野さんは企業に就職しようとは思わなかった。かねて喫茶店を開きたいという夢を持っていたからだ。コーヒーが好きで、高校時代には札幌の喫茶店で2年ほどアルバイトして、コーヒーの淹れ方を身につけた。しかし、卒業を控えて思い出したのは、かつて喫茶店の採用面接の際、自分の夢を話したときにかけられた言葉だった──「実家の喫茶店を継ぐのでなければ億単位のお金がかかるぞ」。

「考えてみれば、喫茶店ではお客様が1杯数百円のコーヒーで2、3時間を過ごす。しかも、僕が見本にしたいと思うような落ち着いた雰囲気の店ほど回転が悪かった。それでは生活をしていくのは厳しいかもしれないと思いました」(上野さん)。

そこで、上野さんは、ビールやハイボールなどのお酒を出す喫茶店にして経営を安定させようと考えた。大学卒業と同時に、お酒のことを学ぶため日本バーテンダースクールの扉を叩く。1カ月の実習を経ていざ就職というとき、面倒をみてくれた先生の椙山八重造さんに「お前は銀座のバーに行け」と言われた。「住んでいた町は新宿に近かったのですが、銀座のほうが待遇がいいからと言われて。銀座なんて当時は行ったこともなかったんですけどね」と上野さんは苦笑する。あとから聞いた話では、先生はこれぞと思った生徒にしか銀座に行けと言わなかったらしい。

がむしゃらに働き、何でも吸収した20代

紹介された店に面接に行くと、そこはカクテルバーではなく、お客がウイスキーをボトルキープする会員制の店だった。店の経営者は女性で、カウンター越しにお客様の相手をする。カクテルをつくる機会も少ない。「自分がやりたいと思った仕事ではなかったけれど、『一生懸命働いていれば必ず色々なところから声がかかるから頑張れ』と椙山さんに励まされた。その通りだなと思って働き始めたんです」(上野さん)。

実は、上野さんはその店で働き始めて間もなく、銀座の老舗バーから「うちに来ないか」と誘われている。

「店には僕一人しかバーテンダーがいなかったので、外に出て行かないと誰とも知り合えない。日本バーテンダー協会銀座支部のメンバーだったので、花見でもハゼ釣りでも自分が参加できる催しは必ず行きました。そうした中で知り合った方から誘われたんです」

積極的に同じ業界の人々と知り合おうとした姿勢は、言葉の通じないアメリカで懸命に現地学生と交わろうとした上野さんの姿に重なる。老舗からの誘いは、今の店で働き始めたばかりだからといって断った。

「1カ月しか働かないでお店を辞めてしまうと、その1カ月が生きずにムダな時間になるでしょう。僕はムダがすごく嫌いなんです」と上野さんは笑う。

上野さんは結局、20代をその店で過ごす。希望するタイプの店ではなかったが、何年勤めても「そんなことがあるのか」というような驚きがあり、学ぶことが多かったからだ。

例えば、ボトルキープをする店では、棚がすぐウイスキーなどの瓶でいっぱいになる。そこで、上野さんがオーナーの女性に整理をしたいので不要な瓶を教えてほしいと頼むと、つい先日来たばかりのお客のボトルのなかから「もういらない」と言うものがあるのに、棚の奥にあって上野さんが数年来一度も出したことのないボトルは「それとっておいて」と指示された。不思議に思っていると、ある日謎が解けた。

「顔を知らないお客様が入ってこられたんですが、カウンターの席に自然に座って話をされ始めた。初めて来店された方ではないんだろうなと思って話を聞いているうちに、ふとちょっと待てよと思って、その1度も出したことのないボトルを奥から出した。『○○さんですか』とお客様の前に出したら、『まだあったのか!』と驚かれて。とてもうれしそうになさっていたのを覚えています。長く営業している店なので、10年前にはよく来ていたというようなお客様のボトルがあって、そうしたお客様をオーナーは大切にされていたんですね」

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