トライセクター・リーダーの時代:現代の「宮澤賢治」ストーリー

「留職プログラム」でトライセクター・リーダーを育てる

第1回:小沼大地氏(特定非営利活動法人クロスフィールズ代表理事)

文:金野 索一 07.23.2015

今、政治行政、企業、非営利という複数の領域にまたがって活躍する「トライセクター・リーダー」が、続々と登場している。今回紹介するのはNPO法人クロスフィールズ代表理事の小沼大地氏。NPO立ち上げの経緯や「新興国『留職』プログラム」展開の狙いについて聞いた。

カムパネルラ。このWebサイト「CAMPANELLA(カンパネラ)」と同じ名の登場人物が、宮澤賢治による童話『銀河鉄道の夜』に出てきます。

宮澤が昭和初期に書いたこのストーリーは広く知られていますが、彼の肩書きを一言で表現するのは難しいのではないでしょうか。宮澤は童話作家であり、詩人、農業技師、地質学者、宗教者、そして地域活性リーダーでもありました。その多様な能力を使って、宮澤は文化、産業、地域といった異なる分野で、様々な貢献をしたのです。

そして今、現代の宮澤賢治とも例えられそうな、複数の領域にまたがって活躍する「トライセクター・リーダー」と言われる人たちが、続々と登場しています。

これからの時代を担うトライセクター・リーダーとは?

現代社会は、2つのボーダレス革命に直面しています。1つは、「3セクターの水平ボーダレス化」です。少子高齢化による税収の減少と、国家をもしのぐ大きなグローバル企業の台頭に伴い、政治行政セクターの影響力が低下しているという現状があります。その結果、政治行政、企業、非営利団体という3つのセクターの境界が曖昧になりつつあります。こうした動きが、この3セクターの水平ボーダレス化というものです。

そしてもう1つは、「行政単位の垂直ボーダレス化」です。今、EU(欧州連合)やASEAN(東南アジア諸国連合)といった国家より大きい単位と、従来の国家という単位と、州、県、市町村といった国家より小さい行政単位を分けていた境界の不適合化が起きています。国際経済や環境などのテーマは国より大きい単位で担うことが適していて、小学校や病院や道路の整備といった市民に身近なテーマは県や市町村が担ったほうがよいのに、相変わらず国家が多くのテーマを担当しています。言い替えると、「個人の幸福実現」のために国民国家が担当すべき、あるいはそれが適しているというテーマが少なくなっているのです。このような動きのことを、行政単位の垂直ボーダレス化と呼んでいます。

これらにIT革命といった動きが重なり合うことで、従来型の大企業、政治行政セクター、国民国家の相対化が起きています。つまり「大企業や行政や国家という存在が絶対的な価値や影響力を持っているわけではない」という認識が多くの人に広がっており、価値観のパラダイムシフトが起きているというのが、今という時代なのです。

このような「ポスト金融資本主義」あるいは「ポスト国民国家」の時代においては、突出したカリスマ型リーダーでなく、政治行政、企業、非営利という3つのセクターすべてに通用する新しいタイプのリーダーシップが求められています。そして、そのようなリーダーを「トライセクター・リーダー」と呼ぶムーブメントが起きています。

トライセクター・リーダーとは、大きくは次の2つのタイプのリーダーです。

(1)2つ以上のセクターでのキャリアを持つリーダー
(2)1つのセクターにおけるキャリアしか持っていないが、より良き社会を実現していくために、3セクターの枠を越えて、各セクターの視点やノウハウや人脈などを取り入れているリーダー

この連載は、今トライセクター・リーダーとして活躍している人々の話を聞きながら、読者の皆様の仕事現場で生かせるキャリアビジョンやリーダー像を探っていきます。その際には、前述したような社会システムや国家システムの変化という視点と、「自分はどうキャリアを磨くべきなのか」「どのようなリーダーシップを身につければいいのか」という個人の視点の2つで追っていきます。

これにより、皆様には自分に近い話として読みつつも、現在私たちが迎えている社会構造の変化をより深く理解していただけるのではないかと思います。

言うまでもありませんが、最初からトライセクター・リーダーのことを知っていて、それを目指して現在のキャリアを築いた人はほとんどいません。つまり、いまトライセクター・リーダーとして活躍している人々も手探りで道を進んできたということです。

そうしたトライセクター・リーダーたちの話を通じて、読者の皆様が、職場やコミュニティなど、それぞれの持ち場で「Social Good」なリーダーシップを実践される際の一助になれば幸いです。

この連載は、日本で初めて経営大学院(MBA)の科目として「トライセクター・リーダー論」を設置した多摩大学大学院と連携しながら進めます。

日本社会に、トライセクター・リーダシップを発揮する人材が数多く登場することを信じつつ、宮澤賢治ゆかりの名を冠したWebサイト・カンパネラに向けた巻頭言とします。

「シリアでの修羅場経験が成長の機会に」

小沼 大地(こぬま・だいち)

現在32歳。一橋大学を卒業後、同大学院社会学研究科へ進んだが、その間に2年間休学して国際協力機構(JICA)の青年海外協力隊に参加し、シリアへ。帰国後、大学院を修了し、マッキンゼー・アンド・カンパニーに入社。3年間勤務した後に、現在の特定非営利活動法人クロスフィールズを松島由佳さんと共同で立ち上げ、代表理事に就任した。創業は2011年5月3日。2015年3月現在の職員数は13名。

同組織のメイン事業は、新興国「留職」プログラム。企業人が新興国のNPOとともに、本業のスキルを活かして一定期間(1カ月から1年)、さまざまな社会課題の解決に挑むという内容である。このプログラムの狙いは、参加者にセクターの枠を超えて活動するという“原体験”を積ませることで、営利セクターに所属しつつも社会課題に取り組めるトライセクター・リーダーを育成しようというものだ。


金野:トライセクター・リーダーの主旨について、小沼さんはどう感じましたか。

クロスフィールズのスタッフ(中央の女性)がインドネシアの教育関連NGOを訪 問している様子
カンボジアのNGOを訪問しているクロスフィールズスタッフ(左の男性)

小沼:『ハーバード・ビジネス・レビュー』を読んで初めて知りました。素晴らしい言葉だと思い、自分のブログにも書いたほどです(本誌注:DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー2014年2月号掲載記事「トライセクター・リーダー:社会問題を解決する新たなキャリア」)。

営利セクターである企業、公共セクターである行政、非営利セクターであるNPOそれぞれの枠を超えて挑戦するという姿は、そもそも私たちの団体のビジョンとも合致するものです。

金野:小沼さんの経歴を拝見すると、大学院を休学してJICAでの青年海外協力隊として訪れたシリアでの経験が大きかったようですね。

小沼:そうですね。重要な体験でした。また、シリアから帰国した時の体験も大きく、それがいわば覚醒と起業のきっかけにもなりました。

金野:覚醒とはどういうことでしょうか。

小沼:シリアから帰国後、すでに大企業に就職していた同期の仲間たちとの再会で、ショックを受けました。かつては(自分たちの手で社会をより良く変えようという)熱い情熱を持っていて、志が高かったはずの同期の仲間たちが、大企業に入ってすっかり骨抜きになっていたというか、それこそゴルフと合コンの話しかしない人間になっていたのです。


自分自身は途上国での経験を経て、より高い志を持って帰ってきた。だが、かつて夢を語り合った仲間の情熱は冷めてしまっていた。小沼氏は「何か裏切られたような気になった」と言う。「大企業はそうした思いを消し去ってしまう場なのだなと思いました。そのことに対する憤りが起業に結びついていきました」

社会起業家の多くは、人生のどこかで、何かしら強烈な体験をしている。そうしたいわば修羅場をくぐることが、社会起業に結びついている。

「シリアでの体験は、私にとっては修羅場でした。2年間の予定で、環境教育のプログラムを市内の小学校に展開するという仕事をするために派遣されたのですが、最初は全くその仕事ができませんでした」

なぜか。JICAは現地から依頼を受けて人員の調整を開始するが、現地のニーズに沿って実際に人員が派遣されるまでには通常、2年ほどのタイムラグが生じる。そのため、しばしば現地のニーズがその間に変化してしまうというのだ。

小沼氏の場合も例外ではなかった。小沼氏が出向いたNPOでは、その間に3回も代表が代わっていて、いつしか環境教育というテーマが抜け落ちてしまっていたのだ。2年も経てば、誰も当初の目的を覚えていない。日本から誰かがやってくるということも忘れ去られている。

「仕方がないので、そのNPOが目下取り組んでいる活動を手伝うことにしました。マイクロファイナンスの普及活動で、私が主に担当したのはそのモニタリングでした。その仕事を半年以上にわたって行って、それなりの成果を出していたのですが、その活動をJICAに報告したところ、『それはあなたの派遣された目的とは違う』と言ってきたのです。もちろん、私はそれを十分に認識していました。それでしばし口論があったのですが、結局、折り合わずに、そのNPOを辞めることになりました」

通常、そうなれば帰国し、次の派遣先が決まるまでは自宅待機となるものだ。しかし、小沼氏は帰国に抵抗。シリアにいたまま、自分で当初の目的に見合う団体を探したという。これは異例のことだそうだ。

そして、最終的には市役所の職員になるという道を見つけ、JICAの了承も取り付けた。

「アラビア語をメインとした交渉ですから大変だったのですが、その条件下でも自分で目的に見合うプログラムをゼロから立ち上げることになりました。そんな経験を右も左もわからないシリアで22歳のときに積んだわけで、これは自分にとってはかなりの成功体験で、もう何でもござれ、という感覚になりましたね」

そのような小沼氏と、日本で不自由なく暮らしてきた仲間との間に乖離(かいり)が起きるのも、致し方ないことだろう。

「何か危機的な状況が起きたときに、それを悲観してふてくされるのは簡単ですが、それでは面白くない。そうではなく、その状況を楽しんで、自ら動けば、それは素晴らしい学びの機会になるし、成長できる。それを自ら体験してきました」

家飲み酒とも日記