インタビュー 情熱と挑戦の先に

プロレスラー 永田裕志──「負けの経験はプラスにも転ず」

栄光と挫折の狭間で知った本当の強さ 中編

文:十代目 萬屋五兵衛 / 写真:山田 大輔 04.12.2017

48歳を超えた文字通りのベテランプロレスラー、永田裕志。今でも第一線で活躍するその勇姿に、人々は感動と勇気を受ける。強さ、狂暴さ、華やかさが混ざりあう過酷な世界で生きる永田の道程を追った。(中編)

(前回からの続き)

家に帰ると、新日本プロレスのスター選手・馳浩から手紙が届いていた。

『ご苦労様でした。残念だったけど、また気を取り直してがんばってください。気晴らしに観戦しに来てください。試合が終わったら、控え室を訪ねてください』

メッセージと共に、両国国技館で行われる大会のチケットが入っていた。オリンピックの夢が破れ、途方に暮れていた永田には一筋の強い光に思えたはずだ。

「目標を見失っていました。でも、一つだけぶれないものがあったんです。それは『レスリングを続けたい』という強い思いでした」

数日後、馳に招待されたチケットを手にして、新日本プロレスの会場に足を運ぶ。

「大会が終わって楽屋に馳さんを訪ねました。馳さんが『全日本チャンピオンの永田です』と紹介してくれたのが長州力さんでした。僕の情報を馳さんから聞いていたのだと思います。『いろいろ大変だと思うけど良く考えて』と言われ、長州さんと握手をしました。もう腹は据わっていました(笑)」

永田が新日本プロレスに入門することに、大学の顧問や先輩たちは猛反対をした。当然、両親もそんな危険な仕事に“就職”するとは思いもしていなかった様子だった。

反対されることは重々理解していたが、永田はレスラーとして自分を育ててくれた恩師や仲間たち、そして自分の道を見守ってきてくれた両親に、自分の覚悟を伝えていった。

「『絶対に迷惑はかけません』と言い切ることで、みんなは信じてくれました」

こうして、永田裕志のプロレスラー人生が始まった。

自分なりのプロレスを追求

永田が新日本プロレスに入団した理由の一つは、オリンピックを目指すアマレスのセクション「闘魂クラブ」の存在があったからだ。

「レスリングを諦めきれない僕は、プロレスラーになっても新日本プロレスならまだオリンピック出場のような夢が見られると思っていました。しかし、現実はそんなに甘くありませんでした。とにかく新日本プロレスの道場の練習は信じられないくらいつらく、ハードでした。

入団して半年ほどが経つと、リングにも上がるようになりました。学生時代に培ってきたレスリング技術で通用すると思っていましたが、アマレスや格闘技などの実績などほとんどない同期の大谷晋二郎さんに試合で惨敗しました。『プロレスとアマレスとは違う。これではダメだ』と痛感し、プロレスに専念するようになったんです」

同期の大谷晋二郎や石澤常光、一つ上の中西学や小島聡などは、プロという仕事にまい進し、自分たちのレベルを確実に向上させていた。

永田はアマレスにこだわりを持っていた分、取り残されているような不安感を得たという。だがプロとしての自覚が永田を変えていった。

「オリンピック出場を目指すよりも、最強のプロレスラーになろう。そして『新日本プロレスがナンバーワンだ!』という気概を持って『自分なりのプロレス』を追求していくことを決めました」

(本文敬称略、写真提供:新日本プロレス)

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