インタビュー 情熱と挑戦の先に

プロレスラー 永田裕志──「負けの経験はプラスにも転ず」

栄光と挫折の狭間で知った本当の強さ 中編

文:十代目 萬屋五兵衛 / 写真:山田 大輔 04.12.2017

新しい時代への挑戦

21世紀に突入した頃、永田は模索を続けていた。自分のバックボーンであるアマレスで培ったスタイルに蹴り技を融合させ、自分なりのカラーを確立させようとしていたのだ。

「その時期、主流だったのはどちらかと言えば、ラリアッートを中心とした、パワーを全面に押し出したスタイルでした。しかし、みんなと同じことをやってもいても仕方がない。自分のプロレスラーとしての個性を出さなければという思いから、同じような志を持った仲間で『G-EGGS』というユニットを作って活動するようになったんです」

しかし、試合の内容は評価されても勝利という結果を出すことができないでいた。永田は、つかめそうでつかめない状況に、いら立ちを隠せないでいた。

当時、格闘技界ではいわゆる総合格闘技が隆盛を極めつつあった。またプロレスの世界においては、多くのプロレスラーたちが小規模ながら新しい団体を作り、様々な場で自らの力を試し始めていた。

「このまま新日本プロレスの中だけにいたら、自分の価値は高められない。外に出て自分のチャンスを見いだすこと以外に、方法はない」

自分の納得するプロレスラーの姿を求めて苦しむ中で、アメリカ遠征で学んだ「自己プロデュース」の力が、永田を突き動かした。

「新日本プロレスの代表的なレスラーだった橋本真也さんが、自身で『ZERO-ONE』という団体を作りました。そして日本プロレスを離脱した三沢光晴さんは、『プロレスリングNOAH』を設立していました。

それぞれ、日本を代表する2団体を背負ってきたエース同士が、自分たちの志を掲げてつくった団体です。そして、その団体同士の対戦が決まりました。

いろいろありましたが、その橋本真也さんのパートナーとして、僕も参加できることになったんです」

永田の活動は、群雄割拠する団体の枠を超えて大きな反響を生み、その試合において三沢光晴のパートナーとして活躍した人気レスラー秋山準が新日本プロレスの試合に参戦するなど、プロレス界の新しい流れを生み出していた。

「その頃、様々なひずみが新日本プロレスに見られていました。プロレスラーとして流派が違う彼らと触れることで、自分自身はどうなるんだろうと、表現しにくい不安を感じる一方で、興奮も感じていました。中でも秋山選手は、僕とは育った環境は違いますが、実際に対戦してみてレスラーとしての波長はとても合っていると感じました。

振り返ると、当時は僕自身がプロレスを取り巻く環境やその時代に挑戦すべき年だったんです。そしてプロレスラーとして何かを残さなければならない。それができなければ、自分は負けだ。だから何でも来い!と思っていました」

(後編に続く)

永田裕志
大学時代、アマチュア・レスリングに励み、92年3月に新日本プロレスへ入門。9月、松江市総合体育館における山本広吉(現:天山広吉)戦でデビュー。96年3月の第7回「ヤングライオン杯」で準優勝を収め、米国武者修行へ出発。

97年3月よりWCWマットに参戦。99年8月の「G1 CLIMAX」では藤波辰爾、佐々木健介らトップ選手を敗り、大躍進を遂げる。また、中西学とのタッグで後藤達俊&小原道由を下し、第39代IWGPタッグ王者に君臨。01年8月の「G1」では、武藤敬司、蝶野正洋を連破して初優勝を果たす。02年4月、安田忠夫を撃破し第31代IWGPヘビー級王者に輝き、高山善廣、藤田和之、ジョシュ・バーネットら強豪を相手に、歴代最多防衛記録V10を達成。

05年には、新日本本隊を離れ、中西学、ケンドー・カシン、藤田和之とアマレス出身者で形成されたチームJAPANを結成。07年2月カート・アングルと日米レスリングタッグを結成し、バーナード&トラヴィス・トムコを撃破。3月に開催された「NEW JAPAN CUP」では、決勝戦で真壁刀義を下し、同トーナメントを初制覇。4月、棚橋弘至を下して第46代IWGP王者となり、約4年ぶりに同王座を腰に巻いた。

11年3月の「NEW JAPAN CUP」では4年ぶり2度目の優勝を遂げ、同年4月には全日本プロレスの「2011チャンピオンカーニバル」も制覇。さらに16年5月福岡国際センター大会・NEVER無差別級選手権試合で、柴田勝頼を破り、第11代NEVER無差別級王者となった。17年3月、ケガのため欠場した本間朋晃に代わり「NEW JAPAN CUP」へ出場した。5/3(水)に「濵かつ Presents レスリングどんたく 2017」に出場する。

身長183cm 体重108kg。
主なタイトル優勝歴は、IWGPヘビー級王座、IWGP タッグ王座など。
Twitter @nagata769
Instagram @yuji_nagata
十代目 萬屋五兵衛(じゅうだいめ・よろずやごへい)
フリーライター
本名:高橋久晴。株式会社更竹代表取締役。大学卒業後、音楽業界から職業人歴をスタートさせる。制作、宣伝を中心に独自のマーケティング戦略で有名ミュージシャンやアーティストたちと多くのプロジェクトを成功させる。その後、飲食店開発の企業に転職し、飲食店をリアルメディアとしたマーケィング部門や、他業種のリアル店舗をつなげた新BGMサービス事業、フィットネスコミュニティ事業など、ライフスタイル事業を幅広くプロデュース。数社の役員を歴任後の2013年、家業の会社を軸に自身の経験を活かした企画コンサルティング事業を開始。「現代版よ・ろ・ず・や」というコンセプトを掲げ、多くの企業のプロジェクトに携わっている。

※萬屋五兵衛:1700年代から家系伝承されてきた職業名
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