インタビュー 情熱と挑戦の先に

【小比類巻貴之】腕相撲で勝てない少年、プロのキックボクサーに

闘いの原点に迫る:小比類巻貴之(格闘家) 第2回

文:十代目 萬屋五兵衛 / 写真:陶山 勉 04.21.2016

格闘技戦「K-1 WORLD MAX」の日本代表決定トーナメントで、史上最多となる3度のチャンピオンベルトを獲得した格闘家・小比類巻貴之。今は道場を各地に展開し後進の指導に力を入れる。だが選手として再びリングに上がる気持ちも消えていない。3回の連載を通じて闘いの原点を探る。

格闘技の才能を開花させた10代の小比類巻

破天荒な師匠や、個性豊かな先輩道場生に育てられながら、小比類巻は空手に夢中になっていった。同時に、天性の格闘家としての実力が開いていった。

ある時、米軍の基地内で試合が行われた。基地の軍人たちが中心となって構成している格闘技団体が主催する、異種格闘技の大会だった。

「少林寺、空手、拳法とか様々な格闘技をやっている人たちが試合をするトーナメント大会が開催されました。異種格闘技の大会です。

毎週、その基地の人が道場に見学をしに来ていて、ある時に試合があるから出ないか? と誘ってきたんです。先生にそのことを告げると『出てみろ』ということになり、なぜか日本人の代表として出場することになりました。それが、僕にとって初めての対外試合でした」

初試合の相手が“海外勢”。それも世界的な格闘技トーナメント「K-1」が誕生する数年前に、「立ち技系」の異種格闘技を経験することになった格好だ。

「白人、黒人、いろんな選手たちがいました。15歳だった僕は、その大会で優勝してしまいました。

最後の決勝戦は、延長戦になりましたが、なんとか競り勝てたんです。後にその対戦相手は、極真空手の全世界空手道選手権大会の米国代表になるほどの選手でした。

K-1が海外でも有名になり、彼から『あのとき戦ったの覚えている?』と連絡が来たんですよ」

そこで経験と自信をつけた小比類巻は、極真空手の青森県大会で優勝。東北大会でも優勝し、全国大会にまで出場するほどの実力をつけていく。

高校時代の小比類巻

「17歳で高校生だった時に、実績が認められて極真空手の全国大会の一般の部に、最年少で出場しました。青森県代表です。うれしさと興奮で鼻息が荒く、その大会に向けて練習をしていたら、やり過ぎで骨折してしまいました(笑)。でもけがを押しても出場したかった。

そうしたら1回戦の相手が、昨年度の準優勝者だったんです。正直、ものすごく怖かったことを覚えています。判定で負けましたが、予想以上に健闘でき、『骨折さえしていなかったら倒せたかもしれない』という感覚を抱いていました」

実績を積みながらも、間もなく小比類巻は空手から離れた。最大の理由は、「空手にはプロがない」ため。

小比類巻は「これでは食っていけない。プロの格闘家を目指そう」と決めた。蹴りが得意だった小比類巻は、プロの世界が確立されていたキックボクシングに惹かれていった。

その頃、テレビではK-1の放映が始まっていた。当時はまだ重量級(ヘビー級)しかなかったが、小比類巻はテレビの中で活躍している海外勢の選手たちとの対戦を夢見るようになっていた。

小比類巻は高校卒業と同時に、迷うことなくキックボクシングのジムに入るために上京した。上京から約1年でキックボクシングのプロテストに合格。空手で鍛えた体を持つ小比類巻は、瞬く間に頭角を現していく。

「19歳でプロデビューすることができました。そして、負けることなく、日本チャンピオンを倒せたんです。まさに快進撃でした」

プロデビュー時の小比類巻(写真提供:小比類巻氏)

プロデビュー5戦目にして、日本の王者をも倒す超新星として注目された小比類巻。実はその5戦の中に、後にK-1を共に盛り上げることになる魔裟斗(当時:小林雅人)がいた。

小比類巻と魔裟斗は、新人ながらキックボクシングの世界では評価が高かった。

重量級のヘビー級を開催し人気を博していたK-1の主催者側は、日本には中量級に当たる70キロ前後に強力な選手たちが豊富なことに気づき初めていた。

小比類巻がプロになって3年後、中量級部門「K-1 MAX」がスタートする。

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