インタビュー 情熱と挑戦の先に

Def Tech 疲弊と解散、新しい命。そして2人は再結成へ

不調・好調の波の“上”を行くボ-ダ-レスな2人組:Def Tech Micro&Shen(ミュージシャン)後編

文:十代目 萬屋五兵衛/写真:山田大輔 11.02.2016

日本語と英語の歌詞をラップとソフトなメロディに乗せる音楽ユニット・Def Tech(デフテック)。インディーズとして250万枚のミリオンセラーを出しながらも、一時解散を経験。しかしそれでも音楽活動を続け、この秋には海外にも進出する。成功と解散、復活の道程を追う。(全2回)

前回からの続き、本文敬称略)

2005年に入り、Def Techの「ライブ1000本ノック」に象徴される下積み期間が終わろうとしていた。ここに至るまで、丸4年が経過していた。

実際、Def Techのライブには、数多くのエンタテインメント業界の人々が集うようになっていた。メジャーレコード会社にデモテープを却下された時とは、もう違う。潮の流れが大きく変わっていた。インディーズレーベルでも十分に闘えるだけの土壌が出来上がっていた。この点、彼らが所属しているマネージメント会社の読みが鋭かったと評価していいだろう。

潮の流れが変わっただけではない。彼らは大ヒットという大波をつかんだ。デビュー曲『My Way』は瞬く間にヒットチャートを駆け上がり、数多くのメディアに取り上げられた。先行して2005年1月に発売されていたミニアルバム『Def Tech』は、発売から約2カ月半後の2005年4月にヒットチャート第1位を獲得。多くあるメジャーレーベルの作品を抑えた格好だ。

Micro「やっと自分の描いたビジョンに、自分自身が追い付きました。全てが変わっていきました」

Shen「信じられないことに、現実になったんです。“Dreams Come True”は本当にあることを知りました」

当時、インディーズグループとしては、MONGOL800(沖縄を活動の拠点とするロックバンド)に次ぐミリオンセラーを記録。まさに、メジャーとインディーズの垣根を越えたボーダレスな活躍を繰り広げることになった。

(提供:2VOX)

成功と同時に生じた“軋み”

Micro「僕らは25才で、ある意味で成功したと思います。それまで1000円しか持っていなかった生活が、ガラっと変わりました。だから、勘違いも多かった。とにかくみんなにおごっていました。豪遊もしました。計算はしていないけど、考えられないくらい使っていたと思います」

Shen「成功するまで、ずっと腹が減っていたのに、急に裕福になって、お腹いっぱいに食べられるようになりました。だから、太りましたよ。今考えると、お金の使いかたが、若すぎました。おまけに、ヒップホップ的なイケイケな生活を続けたので浪費がすごかったんです」

若くして成功を収め、端から見ているとうらやましい限りだが、人生のバランスを取るのは難しい。

Micro「もちろん自分たちも、それが永遠に続くとは思っていなかったです。だけど裕福になった現実と、それをマネージメントする心の成長が追いついていなかったんです。

いきなり250万枚もCDが売れましたからね。次作も10万枚を何回かで続けていくようなパターンだったら違っていたのだろうけれど。友人が増えたり、裏切りがあったり、人が10年かけて経験することを、たった1年で経験したんだと思います。そして、結果、それが解散のきっかけにもなりました」

街を歩くと必ずといっていいほど注目を集める、そんな存在になっていた。それだけ多くの人に認められたということだが、それが自信過剰を招き、本来の自分を見失っていったという。

Shen「曲づくりやライブ、メディア出演などが忙しすぎて、精神面でのバランスも壊れていました。そうすると、お互いのエゴがどんどん出始め、ぶつかり合うことも多くなりました」

Micro「スタッフも含めて、皆が疲弊していたんだと思います。僕らはメジャーレコード会社とは契約しないで、インディーズとして自分たちで音楽を制作し、宣伝し、ライブ活動をしてきました。だから、それまでの慣例的な業界の体制にも新しい挑戦をしていました。例えば、CDレンタルを禁止にもしました。その分、3000円が当たり前だった定価をその半分にしたり。そうした挑戦をしたことはよかったのですが、スタッフも含めて、みんなが一気に疲れていたんです」

経済的には豊かでも、精神的には豊かではなかった。2人はそれを自覚したのだろう、2006年に行われた全国ツアー『Def Tech Live Tour 2006 Lokani Lani~Catch The Wave』(全国24会場26公演)を最後に、彼らは活動を停止させる。

それは、大ヒットした1st アルバムのCDデビューからわずか1年半後の出来事だった。

成功の翌年には活動を停止、2人それぞれの道へ

前編で記したように、彼らは2人でいれば流れるように曲が生まれるというこの上ない組み合わせだった。しかし、皮肉なことに爆発的な成功が徒(あだ)となった。成功と同時に、2人の間で保たれていたバランスが壊れた格好だ。

活動を停止する直前には、口を開けばケンカになるようなとげとげしい関係にまでなっていたという。

Micro「特に、具体的なきっかけがあったわけではないのですが、自信とエゴが表に出てきて、どんどんズレていったんだと思います。」

Shen「本来の自分を完全に見失っていました。途中から『俺はいったいだれだ?』という自己否定にまで及んでいました。怒とうのような日本の生活に合わせ過ぎた自分がいたんです。自分を取り戻すためにDef Techをやめて、故郷のハワイに戻ろうと決めました」

2006年7月の全国ツアーを持って活動休止に入ると、Shenは故郷ハワイに戻った。Microは自身が主宰するレーベルを作り、プロデュース業に打ち込み始めた。

Micro「例えば、マイケル・ジャクソンでさえ、ソロになって成功するのに、それ相応の時間が必要だったことは理解していました。だから、もっと力をつけようと思ってプロデュースするスタンスに変えたんです。自分より才能のある人たちがもっと世の中で活躍してほしかったし。

Shenとは、Def Techを止めてから音信不通になったんですね。電話を掛けても、いつも話中で。でも、話中だから『生きてるな』とわかっていました」

Shen「実は、その時Microの電話を着信拒否していました。完全に、シャットアウトしたかったんです。人生で初めて人を無視しました(笑)」

そこまで2人の溝は大きく広がっていた。翌2007年9月に、正式に解散を発表した。

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