インタビュー 情熱と挑戦の先に

御年84歳のトライアスリート「年齢なんか意識したら、暗くなるだけ」

稲田弘(トライアスリート/アイアンマン世界選手権80代チャンピオン)第2回

文:十代目 萬屋五兵衛 11.17.2016

世界屈指のトライアスロン・レース「アイアンマン」に挑む、アスリートの稲田弘。御年84歳の稲田が、今年2016年、ハワイで226kmを泳ぎ、漕ぎ、走り、2度目の完走を果たした。最難関レースに挑戦し続ける、世界でも有名な“スーパーグランドシニア”の人生をたどる。(全3回)

前回からの続き)

NHKを退職し、定年を過ぎて、妻の看護をしながら水泳に取り組み始めた稲田。4年後には、水泳とマラソンを合わせた競技・アクアスロンにも参加するようになっていた。

「64歳の時に、水泳の仲間から、隣の茨城県でアクアスロン大会が開かれるので出ないか、と誘われたんだ。昔から走るのも好きだったから、躊躇(ちゅうちょ)せずに出場した」

「ダントツ最高齢だった。自分よりすぐ下の年齢は10才以上も離れていたんだ。でもね、ビリではなかった。だからその頃の数年間は、マスターズやアクアスロンなどの大会に出ていてとても充実していた。いつも『楽しい、面白い、気持ちいい』を感じることができていたんだ」

好奇心旺盛な稲田は、ある物に強く惹かれていた。

「アクアスロンの大会には、トライアスリートも多かった。そういう人たちは決まって、かっこいいスポーツ自転車に乗って、大会会場に現れていたんだ。その自転車に乗りたくてね。憧れていたんだ」

心の底に秘めていたバイクへの憧れ。どうしても自分で乗りたいと、バイク購入を決めた時、稲田は69歳になっていた。

「なんやかんや言って、人生は挑戦しかない」

インタビューを進めているうちに、筆者は気がついた。稲田からは、「もう歳だから」というような、年齢によって自分の可能性を見限るような言葉が出てこないのだ。

「年齢なんか意識していたら、暗くなるだけ。なんやかんや言って、人生は挑戦しかないと思って生きてきたから、それが今でも心のどこかに居座っている」

バイクを買った稲田は、早速、3種目競技であるトライスロンの大会に出場することを決める。 地元、千葉の幕張で行われた大会に出場したのは70歳の時だった。

「オリンピックと同じ51.5km(注:スイム1.5km、バイク40km、ラン10km)のレースだった。速くはないけど意外にさらっと完走できたんだよ。これは面白いと思ったよ」

見守ってくれていた亡き妻、今も耳元で応援

稲田が初めてトライアスロンの大会に参加してまもなく、長年看病をしてきた妻・路子が息を引き取る。

(妻・路子さんとはよく山登りをしたという。これは思い出の一枚(写真提供:稲田弘)

「発病してから20年近く、直接看病に専念して10年。その間にマラソンや水泳から、トライアスロンまで夢中になっていたこんな僕を温かく見守ってくれていたからね。しばらくは、相当落ち込んでしまった。一緒にたくさん登山をしたしね」

「精神的にも少しおかしくなっていたんだと思う。自分でも気が付かなかったけれど、いつもブツブツと何かをつぶやいていたらしいんだよね(笑)。既に独立して家庭を持っている1人息子から『当時、お父さんは様子が変だった』と言われた。やはり、妻との別れは大きかった」

家に帰っても、妻・路子はいない。本当の意味での「ひとりぼっち」を経験したという。しかし、それでも稲田の心の中に妻はいるようだ。

「いまでもそうなんだけどね。レースで苦しくなると、たまに妻が耳元で『がんばれ!』って言ってくれているような気がするんだよ」

喪失感から立ち直った頃には、毎年5レースほどオリンピックディスタンス(総距離51.5km)の大会に出場するようになっていた。稲田の中に「もう少し長い距離のレースに出てみたい」という欲求が芽生えていた。

オリンピックディスタンスに物足りなくなった稲田は、ミドルディスタンスと言われる総距離が100kmを超える中距離レースに出場し始めた。その1つに、新潟県佐渡島で行われている「佐渡国際トライアスロン大会」があった。佐渡島全体を使用して開催される大会で、風光明美な土地でかつ難所を擁することもあり、チャレンジ精神にあふれたトライアスリートから人気を博している。

稲田が出場したのは、「Bタイプ」と言われる総距離128.1km(2016年参考:スイム2km、バイク105km、ラン21.1km)のコース。体力自慢の選手たちがひしめき合う中でも、稲田は臆することなく完走する。

「確かに、今までよりも長い距離になったのだけれど、完走できたんだ。体力的にも精神的にも『まだ行ける』と感じたんだ。それで、今度は最長距離と言われるロングディスタンスの大会を目指そうと思った。なぜか『もっと行ける。絶対に行ける』と自信が湧いてくるようになっていたんだ」

その時、稲田は75歳。トライスロンを始めて5年が過ぎていた。

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