特集

東京・中野に外国人観光客と日本人の“コミュニティ”があった

「やどやゲストハウス」が取り組む、観光客と町をつなぐインバウンドな町づくり

文:須田 泰成 11.26.2015

外国人観光客を日本に呼び込む「インバウンドツーリズム」が注目されている。行政主導の取り組みばかりではなく、草の根レベルの活動も見逃せない。東京・中野のアットホームなゲストハウスにおけるエピソードを紹介する。

東京を代表する盛り場・新宿から、JR中央線の快速で約5分。JR中野駅を中心に広がる中野エリアは、中野サンプラザに代表されるコンサートやイベント用のホールがあり、サブカル関係の店が集まる中野ブロードウェイ、あらゆる種類の商店街、小さな飲み屋がひしめく入り組んだ路地など、雑多な個性に彩られた街だ。

駅を少し離れると閑静な住宅街が広がり、昔から学生が多く暮らす学生街でもある。2015年、駅前に明治大学が中野キャンパスを開校したこともあり、駅周辺には若い人たちが多い。

住んでもよし、遊んでもよしの中野は、「住みたい町ランキング」の上位に常連する町でもある。そんな中野に2002年から営業を続けている、主に外国人向けの宿がある。その名も「YADOYA Guest House for Backpackers」(以下、やどやゲストハウス)。バックパッカー向けに安価で宿泊サービスを提供している。

この安宿と街の関係が、とてもオモシロイ。

東京に暮らすように泊まる宿

訪れたのは、2015年の春に新しくオープンした新館。JR中野駅北口から徒歩3分と便利なところにあるが、この辺りからは静かな住宅地が広がっている。

訪れたのは夕方16時過ぎ、2階にある受付は、ちょうど昼間の観光を終えて戻ってきたヨーロッパからの宿泊客で少し混み合っていた。年齢は大学生くらいとおぼしき男女数名のグループ。英語のネイティブではないようだ。受付の男性が、共通語である英語で1人ひとりに気さくに話しかけていた。

「今日どうだった?」「楽しかった!」「それはよかった!」簡単な言葉を交わすうちに、旅人たちの表情が緩むのがわかった。宿に戻るというよりは、「ただいま」と、帰ってくるような安堵(あんど)感が表情に浮かんでいた。

「うちは、8割くらいが海外からのお客さんなんです。もとは、ヨーロッパの人が多かったのですが、最近は、アジアの人も増えてきましたね。有り難いことにリピーターが多いのが特徴なんです」

話を聞かせてくれたのは、やどやゲストハウス創業者の一人、山本真梨子さん。

ドミトリー(相部屋)は2300円から、プライベート(個室)は3700円から。長期宿泊も可能で、ワンルームマンションの家賃くらいの金額で1カ月間の滞在ができる。

経費を気にするビジネスマンが出張で重宝しそうな値段と立地だが、「for Backpackers(バックパッカーのために)」を謳(うた)うやどやゲストハウスには、独特の文化の色と匂いがある。受付を行き交う外国の旅人の様子を見ていると、「安くて便利」だけではなく、ここの場所と空気が好きで選んだことが、言葉を超えて伝わってくるのだ。

「どういうわけか、うちはノープランのお客さんが多いんです。いわゆる有名な観光地を目指すような人は、あまりいなくて、ただブラブラと街を歩くのが好きだったり、日本の普通の人と同じものが食べたかったりするような人が多いんです。美味しいラーメン屋さんの質問は、毎日のようにされますね(笑)」

やどやゲストハウスの旅人たちは、日常を暮らすように東京を楽しみたい人たちが多いようなのだ。

「最近は、中国、香港、マレーシア、韓国、アジアの若い人たちも、そんなふうに滞在する人が多いです」

ゲストハウスという国境を越えるコミュニティ

やどやゲストハウスのユニークさは、どこから来るのか。

12年~13年という時間をかけて、やどやゲストハウスを育ててきた山本真梨子さんは、ご自身も元々バックパッカーで、海外の安宿を頼りに旅を続けた経歴を持つ。

「どういうわけか、高校時代から旅をしたかったんです。卒業してすぐにお金を貯めて、オーストラリアでワーキングホリデーを1年間経験しました。最初の仕事は、日本でいえば新宿歌舞伎町みたいなキングスクロスという盛り場で、テイクアウトの寿司をひたすら売る仕事。変わった人がいっぱいいてオモシロかった」

オーストラリアから日本に帰る際に、1年間のオープンチケットを購入。ニュージーランド、インドネシア、シンガポール、マレーシア、タイなどを経由して1年。それがバックパッカーになったきっかけだった。

「その頃は、バックパッカーという言葉を知らなかったんです(笑)。知らない土地に行って、最初はどうしていいかわからないから、そこら辺にいる日本人に助けてもらったり、勝手に後ろをついて歩いたり(笑)。でも、それで一人旅ってオモシロイなと思うようになって」

ネットがなかった時代は、リアルタイムの旅情報がない。先進国の観光地以外における旅は、ぶっつけ本番的なスリルがあった。

「ガイドブックの情報が古くなっていて、言葉が通じないのに宿のおじさんに聞くしかなかったこととか、たくさんありましたよね。ハプニングも多かったです。いろんな国の国境で足止めをくらい、カザフスタンでは一カ月も言葉の通じない町にいたことがありました。後になって、国際指名手配されていた同姓同名の日本人がいたからだとわかったんですが」

高校時代は写真部に所属。一眼レフのカメラを持ち歩いていたため、旅先で出会ったカメラマンが旅行関係の仕事の多い編集プロダクションを紹介してくれた。「海外に行くなら写真を撮ってきてよ」と言われたのがきっかけで写真家に。現在も、やどやゲストハウスの仕事と兼業で撮影の仕事をこなす。

「結局、ノープランがオモシロイんですよね。でも、今バックパッカーをしている日本人の子は、知らない土地をゆっくり楽しむということをしない人が多い。観光地をまわって写真を撮れば終わり、みたいな。でも、今のアジアの若い人たちは、自分がバックパッカーだった頃と旅の感性が似てるんです。ヨーロッパの人たちは以前から変わらずずっとそうですね」

やどやゲストハウスに集まる旅人は、山本さんのそんな人生観に引き寄せられているのかもしれない。

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