1600社余りの社史の企画編集に関わってきた出版文化社社長・浅田厚志氏が三菱UFJビジネススクエア「SQUET」で連載しているコラム「危機に負けない長寿企業の経営に学ぶ」から、人気記事を転載する。今回は、戦後日本を代表する名経営者、本田宗一郎氏の人生とチャレンジ精神に迫ります。

本田宗一郎氏の人生とチャレンジ精神
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まなざしは技術者そのもの

 今、手元に1冊の本があります。A4ヨコのケース入り上製本。タイトルは『人間宗一郎』(エスイーエルインターナショナル)。

『人間宗一郎』(エスイーエルインターナショナル)
(写真提供:出版文化社)

 本田宗一郎さんが1991年に亡くなられた後、F1カーレース界で著名なカメラマンの間瀬明さんが、国内外や本田家の協力を得て出版した写真集です。私はその写真集の表紙に掲載されている写真を見て、宗一郎氏の姿勢と顔つきに引きつけられました。想像するに、ホンダが開発したバイクのテストで、ライダーがコーナーを曲がっている真横の地面にはいつくばり、エンジン音や駆動部に耳目を凝らしている宗一郎氏。一瞬も見逃すまいとする視線は、経営者というより技術者そのもののまなざしです。「ホンダの技術のDNAはここから始まっているのではないか」。今、経営の継承を進めている筆者の心を大いに揺さぶりました。

 この連載を始めて間もなく、「多くの記事の中でも、昭和に活躍した経営者を取り上げた記事は、相変わらず人気があるんです」という話を聞きました。それではと、筆者が会った何人かの経営者を挙げて、まずは宗一郎氏の記事を執筆することとしました。宗一郎氏に会ったのはHonda八重洲ビル、86年2月のことです。当時の録音が残っているので聞き返してみると、ユニークなエピソードが次々と宗一郎氏から繰り出されていました。

 「人に嫌われるような奴は成功しっこない」「カンニングがうまい奴ほど、世の中に出たらいい仕事ができる。いろんな人に素直に聞くという姿勢はいつの世にも求められるのに、カンニングしちゃいけないというから、いまの学校は嫌いなんだ」──。当時、宗一郎氏は日本商工会議所の特別顧問でしたが、意に介さずズバズバ本音を語ります。

 この頃、宗一郎氏は人魂づくりに挑戦されていて、成功したという。「あんなもの、亡霊でも、幽霊でもない。完璧な化学反応ですよ」。ホンダの経営から退いて13年ほどたってもなお、衰えない技術者魂を感じました。次の研究に水を向けるとUFOだという。「宇宙飛行船を造るおつもりですか?」と問うと、「ただ、UFOに引かれるだけだけどね」と断りつつ、その表情はまんざらでもなかったように思います。