「思いの可視化」が経営のポイント

高橋石坂さんの著書を読むと、これまでの歩みはピンチの連続に見えます。1999年には埼玉県所沢市の農産物がダイオキシンに汚染されているという報道があり、「産廃の焼却炉がダイオキシンの発生源」と、石坂産業も地元住民の激しい批判にさらされました。石坂さんはその騒動の最中に創業者のお父様から2代目社長を引き継ぎましたね。当時、どんなことを考えましたか。

石坂地域や社会からいきなりバッシングを受け、痛感したのは「経営者の考えや思いは見えない」ということです。

 弊社は父が1971年に創業しました。その時の思いは「ゴミをゴミにしない社会をつくりたい」だったそうです。ESG(環境・社会・ガバナンス)もSDGs(持続可能な開発目標)もない時代に「社会のためになりたい」と創業したのです。でも、その思いは地域からも社会からも見えません。見えないということは理解してもらえないということです。私が社長になってからは、自社の経営をいかに「見える化するか」「思いを可視化するか」が重要なポイントになりました。

 当時弊社で使用していた焼却炉はダイオキシンが出ない最新のものでしたが、焼却炉から煙が出るだけで周辺住民から非難されます。そのため、収益の7割を占めていた焼却事業をやめる決断を下しました。地域に受け入れてもらうためにリサイクル事業に特化しようと考え、目をつけたのが建築系の混合廃棄物。同じ轍(てつ)を踏まないように、これらを処理する際に出る粉じんや騒音が漏れないように工場を屋内型に改装しました。

 石坂産業には目に見える商品がありません。バッグや家電を手掛ける企業のように、商品でブランドをつくることはできない。商品を持たない会社がどうすれば企業価値を高められるのか、どう同業他社と差異化できるのか。ダイオキシン騒動は企業の価値について考えるよい機会になりました。

高橋すごく共感します。ベアーズもサービス業ですから、ものがない。そうすると、見えない思いを可視化しないといけないですよね。社外に対してはもちろんですが、社内に対してもそうです。石坂さんは社長に就任してから、社員とかなり戦ったようですね。

石坂社長に就任した翌年、社会的に意義のある会社に変えたいと考えて、環境のISO14001、品質のISO9001といったマネジメントシステムの国際規格取得に乗り出しました。品質管理の基本は、整理、整頓、清掃です。これら「3S」を徹底するため毎日2、3回、工場を巡回し、散らかっているところを「片付けなさい」「きれいにしなさい」と社員に指導したり、現場に持ち込んだ私物を没収したりしていました。そんな毎日が5年ほど続きました。

 社員からは嫌われっぱなしでした。女性だからダメ。若いからダメ。とても「社長」と呼んでもらえる雰囲気ではありませんでした。でも、その中で「自分がやる」という責任感、使命感を改めて認識したように思います。覚悟を決めたというのでしょうか。

高橋そういう苦難に直面した日々はどうやって乗り越えたのですか。進むべき道を悩んだり、迷ったりすることはありませんでしたか。

石坂ダイオキシン報道の時や、社員との“5年戦争”の時、その後のリーマン・ショックの時と、常に自問自答しながら課題を解決してきました。「この局面に置かれた自分はどうすべきか」と問い、自分で答えを出し、行動することの繰り返しです。

 その中で常に大切にしていたのは、父が創業した時の「ゴミをゴミにしない社会をつくりたい」という思いです。私は経営者として、その原点からずれてはいけないと考えていました。

 今、弊社の事業内容は本業に加えて里山保全事業、三富今昔村運営、石坂オーガニックファーム運営など多岐に及びます。これから温浴事業も手掛けようとしています。いくつもの事業を展開していますが、それらは最終的に循環というテーマでつながっています。原点である創業の思いを見える化した結果として、これらの事業を手掛けることになったのです。「流行だから」「もうかるから」という理由で事業を立ち上げることはしません。創業者がなぜこの会社を興したのか、何を目指したのか、その原点に立ち返って判断しています。

後ろに見える「くぬぎの森 交流プラザ」では、オーガニックファームで採れた野菜やパン、ケーキなどを販売する
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