プロレス愛から新日本プロレスの経営者に

高橋大張社長個人のことをお聞きします。そもそもプロレスとはどのような接点があり、新日本プロレスの経営に携わるようになったのでしょうか。

大張祖母がプロレスの大ファンだったこともあり、私も子供の頃からプロレスが大好きでした。22歳まではプロレスラーになる夢を抱いていました。

 ですが、実際にやっていたのはバレーボールです。私の出身地である広島県は、野球とバレーボールが盛んな地域です。私の身長は188cmですが、子供の頃から背が高く、気がついたらバレーボールクラブに入っていました。その後もバレーボールの強い中学・高校に進学するなど、本格的に打ち込んできました。

 一方で「この道で食べていくのは難しい」とも感じていて、理系の教師になることを考えて東京学芸大学に進学しました。実は大学受験で受けたのはその1校だけなんです。落ちたら「プロレスラーになる」と親を説得しようと思っていたので(笑)。大学でもバレーボールをしていたら、スカウトから声を掛けられて、実業団チームのある日本電信電話(NTT)の入社面接を受けることになりました。その時も面接を受けた会社は1社だけで、採用されなければアニマル浜口ジムに入門してレスラーになるつもりでした。

高橋結局、NTTに受かって入社されたのですね。人生の道しるべに素直に生きていらっしゃいます。

大張NTTで成長力あるITの分野の仕事をしていたら面白くなって、バレーボールをやめて仕事に専念することにしました。25歳の時のことです。そのNTTから新日本プロレスの親会社のブシロードに転職したのは18年のこと。会社員人生も半分ほど過ぎ、「やりたいことを追求しよう」と新日本プロレスの経営に携わることを思い立ちました。

 もしプロレスを生業にする者をプロレスラーと呼んでよいなら、道筋は全く違いましたが、私は夢に描いていたプロレスラーになれたのです。祖母は数年前に亡くなったので、残念ながら私が新日本プロレスの社長に就任したことを知らせることはできませんでした。

高橋おばあ様もきっと喜んでいらっしゃることでしょう。大張社長とプロレスは、運命の赤い糸で結ばれていたのでしょうね。「予定は未定」と言いますが、その未定を1回超えて、また予定につながるような人生に見えます。

大張「1つのバスケットにすべての卵を入れてはいけない」と考えていたことが今につながっています。バレーボールだけをやっていたら、その道が閉ざされた時に終わってしまいます。バレーボールに100%の力を注ぎながら、同時に仕事にも100%の力を注いできました。両極端が好きなんです。スポーツが好きだけど勉強も好き、ロジックが好きだけどアートも好きという具合です。