家事代行サービスのベアーズの高橋ゆき副社長が経営者の本音に迫る本連載。アイリスオーヤマの大山健太郎会長との対談後編では、大山会長が8人きょうだいの長男として経営者の資質を育んだ幼少期について語る。さらに今回のコロナ禍で、需要増加に素早く対応してマスクの国内生産に踏み切った経緯を明かす。
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アイリスグループ 会長、アイリスオーヤマ 代表取締役会長
高橋ゆき氏(以下、高橋)大山会長が19歳で家業を継いで社長に就任されたというお話は、とても有名です。どんな子ども時代を過ごされたのでしょうか。
大山健太郎氏(以下、大山)私は8人きょうだいの長男で、姉が1人いました。父親は仕事で家にいないことが多く、家のことは母親に任せていた。しかし、母親ひとりで8人の子どもを育てるのは、非常に大変です。必然的に長女と長男の姉と僕が、きょうだいを束ねながら生活をしていました。
高橋お母様のお力になろうとされたのですね。子どもの頃から、リーダーシップをとっている自覚はありましたか。それが、今の会長の根底にあるのではないでしょうか。
大山間違いなくあると思います。今は子どもの数が減り、ひとりっ子や2人きょうだいが多いので、親は手取り足取り世話を焼きますよね。子どもは当たり前のように、家族に甘えることができる。だから、家庭の中で子どもがリーダーシップをとる必要はありません。私の場合は、家庭環境から自分がリーダーシップをとるしかありませんでした。ただ、学校でも、ガキ大将ではないけれど、リーダーシップをとることが多かった。それは、クラスで一番背が高くて目立っていたからです。
高橋ご家族とのエピソードで、思い出すシーンはありますか。
大山思い出すのは、家族と社員が一緒に食卓を囲んでいた光景です。私が高校3年生のとき父親が亡くなり、卒業後すぐに家業を継ぎました。私が働き始めた当時は、5人くらいの小さな会社で、社長と社員といった上下関係もなかった。社員とは家族ぐるみで付き合っていて、晩ご飯はみんなで一緒に食べていました。母親は工場の掃除などを手伝いながら、みんなのお母さんのような気持ちで晩ご飯を作ってくれていました。食卓を囲んでいたことは、社員の働く意欲になっていたと思います。
国内生産でマスク需要に対応
高橋それから56年、オイルショックをはじめ、数々の出来事がありました。以前、聞かせていただいたことで印象に残っているのは、「ピンチがチャンス」と捉え、前向きに変わっていける会社を作りたいとお話しされていたことです。そういった前向きな考えは、子どもの頃の経験から得たのでしょうか。
大山そうです。性格がプラス思考だったので、ピンチがチャンスだと自然に思うことができました。そもそも、出来事に対して「プラスに思うか」「マイナスに思うか」は、捉え方ひとつで決まることです。どんなに落ち込んでも、環境や状況は何も変わりませんからね。自分の心掛けによって、プラスに捉えることはできます。その考え方が習慣化すると、当たり前のように「ピンチがチャンス」と思えるようになります。