優しさと誠意で人を動かす
その後、秀吉は、戦わずして大大名である家康を臣下にしようと、たびたび使いを遣わして居城大坂に来るよう誘ったが、家康は警戒して出てこなかった。そこで秀吉はなんと、妹の朝日姫を家康の正妻にと差し出したのである。いうまでもなく、その実態は徳川家への人質派遣であった。それでも家康は上京しようとしない。すると今度は、70歳を過ぎた自分の老母を、家康のもとへ送ったのである。「それほどまでに自分のことを買ってくれているのか」。さすがに心を揺さぶられた家康は、ついに重い腰を上げて大坂へのぼり、秀吉の前にひざまずいたのである。相手に最大の誠意を尽くして、意のままに動かす。それが秀吉のやり方だった。
秀吉の気遣いに関する逸話は、ほかにも数多く残っている。ある合戦で、強烈な陽光にさらされた負傷兵たちに笠をかぶせてやったり、出征した夫を思う妻の手紙を読んで哀れに思い、戦場から夫を呼び戻してやったりと、戦国の武人としてはまれな優しさを見せた。松茸狩りの際、数が少ないことを気にかけた担当者が、こっそり松茸を取り寄せて移植しておいた。これに気づいた近習が秀吉に告げると、「よいではないか。せっかくの親切だから、知らぬふりをしておけ」。そう笑ったという話も残る。正妻のおねの便秘を心配し「早く下剤を飲みなさい。そうすればきっと便が出るよ。祈っている」としたためた手紙も残っている。
こうした他人に対する配慮や思いやりが人々を大いに感激させ、「この人のためなら」という気持ちを起こさせ、結果としてそれが豊臣秀吉を天下人へ押し上げる一因になったのではないだろうか。
(三菱UFJビジネススクエア「SQUET」より2019年7月17日掲載記事を転載)

歴史作家
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