戦国武将に学ぶ、経営の要諦。歴史作家の河合敦氏が、三菱UFJビジネススクエア「SQUET」で連載しているコラム『戦国武将の才覚』から記事を転載する。今回の戦国武将は、越後を統一し、屈指の戦上手とされた上杉謙信。

写真/朝櫻樓國芳画、「名高百勇傳」より『上杉謙信』
写真/朝櫻樓國芳画、「名高百勇傳」より『上杉謙信』
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自分を軍神だと信じた戦国武将

 越後の上杉謙信は、並み居る武将のなかでも群を抜いて強い。それは、自分を毘沙門天の化身だと思い込んでいたからだろう。仏教を守護する毘沙門天は軍神でもあり、上杉氏の軍旗にも「毘」の字が染め抜かれていたのはよく知られている。

 謙信の居城・春日山城の一角には、毘沙門天を祭る堂がある。上杉家では、堂内でさまざまな誓約をかわしていた。あるとき、部下の一人を間者として他国へ派遣する必要が生じた。そこで家臣たちは謙信に「毘沙門堂で彼に忠誠を誓わせる儀式をしたいのですが」と申し入れた。すると謙信は「事既に急なり。毘沙門堂へ連れていかば、それだけ遅くなるなり。我前にて神文(誓約)させよ」と述べたのだ。重臣たちがちゅうちょすると、謙信は「我あるゆえに毘沙門も用いられ、我なくば毘沙門も何かせん。我を毘沙門と思うて、我が前にて神文させ」(『雨窓間話』)と答えたという。

 このように、己を神だと思っている人間に怖いものはない。

 永禄4年(1561年)3月、謙信は越後から関東平野へ乱入し、10万の大軍で北条氏康の小田原城を包囲した。ただ、城は非常に堅固だったので攻めあぐね、味方の士気はみるみる低下していった。すると謙信は、城門のすぐそばの蓮池まで馬を乗りつけ、馬から下りると、池の端に座って平然と弁当を食べはじめたのである。

 これを見た城兵は、いまが好機とばかりに激しく鉄砲を撃ちかけたが、一弾も命中しない。この間、謙信は平然と飯を平らげ、茶を3杯も喫した後、悠々と引き揚げていったという。「城兵之を見て其猛勇を誉めざる者なかりけり」(『名将言行録』)とあるように、小田原城兵たちもその勇気を誉めたたえた。

 もうひとつ、『常山紀談』に載る逸話を紹介しよう。

 天正2年(1574年)、北条氏政が3万の大兵で佐野氏の唐沢山城を取りまいた。佐野氏は当時上杉方に属しており、謙信は8千を率いて越後から援軍におもむいたが、いまにも城は落ちそうだった。このとき謙信は「まず我は、城に駆け入りて力を備えん」と言うや、甲冑も身につけずに黒木綿の胴服を羽織り、わずか13騎の供を連れたきりで北条軍の前を堂々と横切って城へ入ったのである。敵兵はこれを目にして「夜叉羅刹とは、是なるべし」と畏怖し、謙信本人だと知りつつも、その犯し難い威厳に圧され、全く手だしができなかった。謙信の入城で城方の士気は大いに上がり、これを見た北条氏政は唐沢山城の攻略をあきらめ、包囲を解いて撤退したという。