戦国武将に学ぶ、経営の要諦。歴史作家の河合敦氏が、三菱UFJビジネススクエア「SQUET」で連載しているコラム「戦国武将の才覚」から記事を転載する。今回の武将は藤堂高虎。「ゴマすり」や「おべっか」で高速出世したが、その徹底ぶりがすごかった。

写真/藤堂高虎、個人蔵
写真/藤堂高虎、個人蔵

主家を替えつつ成り上がった藤堂高虎

 近江国の土豪だった藤堂高虎は、生涯に7度も主君を替えている。「数年間、一生懸命に働いても、その働きぶりに気がつかない無能な主君なら、たとえ先祖代々の主家であっても立ち去るべきだ」と子孫に遺訓を残しており、自身も壮年期までに4度も主人を替えてきた。

 5人目の羽柴秀長(豊臣秀吉の実弟)は、高虎の働きぶりを高く評価し、2万石の重臣に取り立ててくれた。ところが秀長は52歳で病没してしまい、跡継ぎの秀保も夭折(ようせつ)したので同家は廃絶となった。この折、多くの大名が高虎を家臣に招こうとしたが、世の無常を嘆いた高虎は、高野山へ入り出家してしまった。そんな彼を粘り強く説得し、7万石で雇用したのが秀吉だった。いままでの3倍以上の禄高(ろくだか)であり、破格の待遇といえた。

 それにしても、なぜ秀吉や諸大名は、かくまで高虎を欲しがったのか。

この記事は
「D-Com会員登録(無料)」で
続きがご覧いただけます。

D-Com会員はこちら

ログイン

D-Com会員登録(無料)はこちら

今すぐ会員登録