電力市場の価格シグナル機能に狂いが生じている。各種データを分析すると、電力の本来価値は卸電力市場ではなく「インバランス価格」に、より適正に反映されていた可能性が高いことが分かった。市場が価格シグナル機能を失うと、大手電力か新電力かを問わず、正しい経営判断ができなくなる。
今夏は、想定外の出来事ずくめで記憶に残る夏となった。
今年の梅雨は、西日本や九州北部を中心に前線が停滞し、太陽光由来の発電が抑制された。その一方で、気温も高めに推移したことから、冷房需要の立ち上がりが早かった。前回、「監視委員会を動かした電力市場の警告」でも書いた通り、6月から7月にかけての電力需要の立ち上がりは過去5年で最速だった。
今夏はオホーツク海高気圧の勢力が強く、「やませ」と呼ばれる北東風が吹いた。関東や東北地方は記録的な日照不足となり、すっかり太陽光効果は影を潜めた。東京都心の8月の日照時間は83.7時間(速報値)で、観測史上最短だった。
太陽光発電の影響が薄まったとすれば、電力市場は気温や湿度の高低に左右される従来型の価格推移になりそうなものだ。ところが今夏は、一部の大手電力が必要以上の過剰な予備力(不測の事態に備えるための電源)を抱えるという「予備力二重計上問題」が昨年から継続していた。これに加えて、電力広域的運営推進機関からの「供給力確保要請」が重なったことから、経済合理性から離れた人為的な価格形成がなされた印象を強く感じている(「電力市場の連日高騰に“制裁強化”原因説」参照)。この夏は適正な価格水準というものが見えにくかった。
需要減少が新たなパラダイム
私たちは基本的な考え方として、連系線の物理的制約から全国9エリアで別々の価格が生じる可能性がある日本の電力価格にあっても、そうした物理的制約を超えて経済的なメリットオーダー(全国規模で安い電源から順に利用していくこと)を追求すれば、電力価格はあるべき1つの水準に収れんするというスタンスを取りたい(一物一価)。
現行のインバランス精算制度の設計に当たって、事業者の電力供給の過不足を精算するインバランス料金単価を、市場価格から導く係数「α値」については、当日の全国規模の需給状況から1つの値(エリアによる違いがない)を採用することにした基本精神はそこにあると考えている。こうした考え方に基づいて、今夏の日本卸電力取引所(JEPX)における前日スポット市場の価格動向から、本来求められる市場の機能や役割について改めて考えてみたい。
まず、グラフ1は全国ベースで取引前日に予想した当日予備力(左縦軸:全国予備力の予想値。各エリアの前日段階で予想した最大供給力から最大需要を差し引いた後に、9エリア分合算したもの)と当日システム価格の24時間平均(右縦軸)の推移をそれぞれ7日移動平均で示したものだ。7日移動平均で観察すると日々の変動をならすことになり、全体的な傾向を振り返るのに適している。
東日本震災から2年後の2013年度には、全国的な電力需給ひっ迫から市場価格は高値をつけたが、その後は徐々に切り下がってきた傾向が読み取れる。背景には、米国のシェール革命に裏打ちされた原油価格の低下があった。原油価格の水準が、1バレル100ドルを超えるレンジで長らく推移していた水準から、一気に3分の1に近い1バレル30ドルに向かうというグローバルなエネルギー価格の水準訂正があったことは大きい。
だが、それだけではない。電力価格低下のもう1つの大きな要因が、国内電力需要の低下である。
需要減少は震災以降定着した節電や省エネといった国民的なエネルギー消費行動の変化ばかりでない。人口減少や産業構造の変化といった構造的な変化を見逃してはいけない。震災後の一時的な電力不足は既に過去の出来事である。むしろ今後は、電力供給力の過剰がもたらす課題をいかに乗り切るかを真剣に考えるステージにある。
市場価格とインバランス価格の奇妙な関係
そこで、今夏の電力価格の水準を改めて確認したい。グラフ2は電力市場における東京エリア価格と同エリアのインバランス価格(*1)の推移を30分コマ単位で示している。また、問題点をハイライトするために13時から16時のピーク時間帯に絞った。
このグラフを見ると、本年6月中旬から8月上旬まで、東京インバランス価格(オレンジ)が同エリアの市場価格(ブルー)を大きく下回る日が多いことがわかる(*2)。
グラフ3に、関西エリアの市場価格と関西インバランス価格の比較を示す。
関西でもインバランス価格が同エリアの市場価格を下回るケースは見られるものの、その頻度は東京に比べてかなり少ない。関西エリアの場合はよりエリアの市場価格とインバランス価格の水準が近いことがわかる。
グラフ4は、当該予備力予想と東京ピーク時間帯(13時~16時)の価格との関係を、2017年4月から6月中旬までと、6月中旬から8月末までを色分けして示した。グラフ5は関西における同様のグラフである。
2つのグラフを比較すると、全国予備力の変化に対して市場価格がより安定的に推移していたのは関西エリアであることがわかる。
さらに、同様の比較をインバランス価格で行ってみた。
市場化は低成長下で経済効率を維持する方法
グラフ6と7の2つのグラフを見比べると、東京、関西のいずれも全国予備力の変化に対してインバランス価格は安定的に推移している。
その意味するところを考えてみると、今夏の本来の全国的な電力需給を反映した価格は、東京エリア価格よりは関西エリア価格であり、市場価格よりはインバランス価格の方ではないか。
市場設計の観点から、前日のスポット市場においては、需給ひっ迫時には高値になり、需給緩和時には安値になるはずだ。適正な電力価格が決まるのはスポット市場であるべきなのである。その後は当日のゲートクローズ(*3)に向けて、個別の事業者がスポット市場までに手当てした電力の過不足を1時間前市場を通じて調整し、ゲートクローズ後に一般送配電事業者による最終的な需給調整が行われる。
この仕組みが本来の設計通りに機能していれば、本当に電力が不足している際には、1時間前市場、一般送配電事業者による最終需給調整と実需給に近づくにつれて、電力の価格が高くなっていくのが自然な姿だ。
しかし、今夏においてはスポット価格が高値であったにもかかわらず、当日は供給力が十分に余っていて、インバランス価格が低位安定する現象が常態化した。つまり、当日のインバランス価格の方が電力需給の実態をより正確に反映していたことになる。
社会が効率的に資源配賦を行うにあたっては、競争的な市場機能を利用すると考えるのが経済理論の第一歩だ。その反対の極が制度による資源配賦になる。
日本の場合、かつての高度経済成長を支えるに当たって、その基盤となる電力などのエネルギーや通信(電話)、資金供給(金融)などおいては、人為的な資源配賦政策が成果を上げた時代があった。
しかし、低成長経済に入り、電力需要も逓減する中にあっては、競争を通じてより効率的な資源配賦を行う必要が生じる。継続的な経済成長の前提が崩れれば、人為的な資源配賦は非効率を生むことになるためだ。これが、世界各国でエネルギーなどの公共分野においても自由化や市場化が採用される理由である。
その際に市場に期待される役割は、好ましい需給状態を生み出すための価格シグナル機能だ。
すべての取引が必ずしも取引市場を通して行われる必要はない。当事者同士の合意に基づく相対取引も欠かせない取引手段だ。
重要なのは、取引市場という価格シグナル機能が存在することで、そこで示される価格水準が様々な取引場面においても参照され、市場参加者が資源の供出や調達を競争的に行えるようになることだ。
そうした競争を通じて、自然と好ましい需給環境を整える施策が市場化のメリットである。だから、より自由な競争の結果として示される価格シグナル機能が重要になる。
電力不足を懸念する時代は終わった
翻って、今夏の電力の価格シグナルはどうであったか。スポット市場が適性な価格シグナル機能を発揮できたとは言いにくい。むしろ、適正な価格シグナル機能を果たしていたのはインバランス価格の方だったと言わざるを得ない。
その理由は、インバランス価格が当日の電力の実需給をベースに算出され、そして価格として安定的であったからだ。この「安定的である」ことが、価格指標として実に重要な要素なのである。そのことを市場関係者や電力ビジネス関係者には、よくよく考えていただきたい。
価格が安定的であることで初めて、将来の不透明さが払しょくされ、その価格水準を参照して将来のビジネスや技術への投資が生まれる。つまり、新しい産業や生活スタイル、文化がそこから生まれると言えるのである。
そして、仮に価格が急激に変化した際には、相応の理由や背景があり、それを市場関係者が考えた上で工夫して乗り越える動機を与えるのが、価格シグナル機能というものだ。今夏のスポット市場価格には残念ながら、その資格がなかった。
市場が備えるべき価格シグナル機能の重要性は、大手電力を含む事業者や行政の責任者にどこまで浸透しているのだろうか。いまだに需給調整の場としてしか見なしていない関係者も少なくないのではないか。
実際のところ、日本全国の電力需給を巡る状況や今後の進展を止めるのは、人口減少やデフレにあらがうのと同等かそれ以上に難しい。そうした大きな流れを考えないまま、市場を単なる需給調整機能として扱い、重要な価格シグナル機能をないがしろにするかのような振る舞いやスタンスを続けるとしたら、我々は先行きを誤ることになる。
市場を殺すのは自殺行為
その意味で、ようやく成長し始めている前日スポット価格を混乱させている「予備力二重計上問題」や「当日余剰問題」は、価格シグナル機能を破壊する試みともいえる。関係者は、市場を巡るこうした行為や何気ない参加スタンスが、市場に期待される機能を壊す恐れをもっと意識して欲しい。
予備力二重計上問題や当日余剰問題の背景の1つとして、当該事業者の供給力確保に対する過度な意識が見え隠れする。
国内の電力ビジネス関係者は、高度成長時の古い概念にとらわれ過ぎていないか。日本における電力不足はすでに終わっている。安定供給は、電力の供給と調達のミスマッチさえうまく解消できれば、量的には十分に確保できる水準だ。
東日本大震災の際に電力不足がクローズアップされたのは、一時的に電力インフラ設備に支障が生じ、安定的な電力供給を国が担保できなかったためだ。もちろん、電力不足が終わっているからといって、緊急時対応が不要だということにはならない。
電力関係者の中にはしばしば、電力不足の回避に今も縛られているかのような思考や行動が見られるが、そのような単純な「安定供給信仰」は平時においてはもはや不要だ
金融や商品などに比べて、電力は市場を支える制度やルールは整備の途上にあると言える。だが、その間も、大手電力か新電力かを問わず、積極的に市場を尊重し、育てる姿勢が求められる。市場は立場の違いを超えた公器で、価格シグナル機能が適正に働くことで、経済活動の合理性や社会コストの適正化が担保されるからだ。
最近の政策の動向を見ていると、こうした足元における市場機能を強化するより、ベースロード電源市場や容量市場など、数年先までの電源の確保を優先するための政策や制度にかなりの時間とリソースを割いている印象がある。
既に需要側のニーズと論理でビジネスを考えるべきステージにある。不必要なコストを負担するべきでなく、将来に向けて本当に必要な投資やコストに集中すべきである。
日本における電力市場設計と制度設計のバランスについて、この国のかたちの将来形を描きつつ、今一度、考え直す必要があるのではないだろうか。