山形県酒田市を拠点にソーラーシェアリング(営農型太陽光発電)など再生可能エネルギービジネスを手がけるチェンジ・ザ・ワールドの代表取締役である池田友喜氏は、庄内地方を“日本版シリコンバレー”にすべく起業支援と並行して、地方に不足しているITプログラマーの呼び込みや育成に力を入れる。

倒産を経験して、個人が参加できる再エネ事業をスタート

 松尾芭蕉の一句で有名な最上川。その河口に位置し、日本海を臨む山形県酒田市は、隣接する鶴岡市と並び古くから庄内地方の中心都市として栄えてきた。

 江戸時代には北前船による交易で栄華を極め、「西の堺、東の酒田」と呼ばれた。現地の豪商である本間家は絶大なる存在感を誇り、「本間様には及びもせぬが、せめてなりたや殿様に」とも評されたほど。

 その背景から、現在も県内唯一の重要港湾である酒田港を擁する。また、市内中心部の大半を焼失した1976年(昭和51年)の酒田大火から、2年半の短期間で復興した街としても知られ、後にこの復興計画は阪神・淡路大震災復興時の参考とされた。

 酒田市に本社を置くチェンジ・ザ・ワールドは、酒田市で生まれ育った池田友喜氏が東京からUターンして2014年に立ち上げたITベンチャーだ。地元の高校を卒業して、首都圏の大学に進学。卒業後は都内の会社に就職し、数社を経た2006年に東京で起業した。およそ5年間で秋葉原のビルのワンフロアを借り、30人の社員を抱えるまでに成長。しかし、事業拡大を目的に太陽光発電の営業会社を買収したことがあだとなり、2012年には倒産の憂き目に遭ってしまう。

チェンジ・ザ・ワールド代表取締役で日本西海岸計画代表理事を務める池田友喜氏(写真:小口正貴、以下同)

 「2011年に東日本大震災があったし、太陽光のFIT(固定価格買取制度)も始まるタイミングだったので、IT×再エネに注力しようと。でも、蓋を開けてみたら半分ぐらいが詐欺師のような人たちで。そこですべてが崩れたことが、『これからの人生、何に費やせば意味があるんだろう』と深く考えるきっかけになりました。東京で再チャレンジすることも可能だけれど、どこかでいずれは酒田に帰ってきたい気持ちもあった。ならば、地元に戻って地域のコミュニティや文化を作ることを自分のライフワークにしながら、ゼロから再起業したいと思ったんです」(池田氏)

 チェンジ・ザ・ワールドは太陽光発電を中心とする再生可能エネルギー(以下、再エネ)事業を基盤とする。もちろん、手痛い目に遭った儲け話主体の太陽光ビジネスではない。1つは「ソーラーシェアリング」(営農型太陽光発電)、そしてもう1つは個人が太陽光発電ビジネスに関われる「CHANGE」である。

 「最初に取り組んだのがソーラーシェアリングです。いま、耕作放棄地の問題が深刻化していますが、その膨大な土地に太陽光発電所を設置したら日本の原子力発電所の何倍もの発電量があると言われています。ソーラーシェアリングでは売電期間中に営農することが義務付けられているので、耕地が荒れることもない。しかもこれまでのように日当たりのいい場所を切り崩して環境を破壊する必要もなく一石二鳥です。ここでは担い手が見つからない農地を借りて農業法人らと一緒に開拓しています。

 CHANGEはまとまった資金が必要だった従来の太陽光発電のスタイルではなく、少しずつ消費者の力を持ち寄ることで世界を変える仕組みを作りたいと思ったのがきっかけ。気候変動、環境問題などが現実化しているのに、一般の人たちはなかなか再エネ事業に関わることができないですよね。そこで太陽光発電所を最小1ワット(200~300円)から分譲購入して少額投資できるWebプラットフォームを構築したんです。これはスマホアプリから購入できるのが特徴です」(池田氏)

 太陽光発電所そのものは、千葉県をはじめとする全国各地にチェンジ・ザ・ワールドによって設置されている。そこから対象となる発電所を選択し、CHANGEを通じて投資する。設置費用もメンテナンスも一切不要で、売電による利回りも安定しているため、積立貯金の感覚で利用するユーザーも増えている。

CHANGEのアプリ。千葉県茂原市にある発電所を表示してもらった

 「面白いもので月々1万円を投資すると、スマホアプリで発電量や天気をチェックするようになっていきます。そこから環境に対する意識が徐々に芽生えてくるのです。例えばコンビニ店でアイスコーヒーを買ってストローをもらったときに、『このプラスチックって環境に対してどうなんだっけ?』と。カジュアルに再エネ事業に携わることで、環境に対する啓発も兼ねているんです。

 国が主導しても、偉い学者が言ってもなかなか現状は変わらない。やはり大事なのは一人ひとりの意識です。だからこそ、普通にみんなが使うサービスにしていきたい。CHANGEのおかげで世の中が良くなったね、これを始めたのが山形県酒田市の会社なんだよ──20年後、30年後にそんなふうに言ってもらえるのが理想ですね」(池田氏)