こんにちは。PANTSの滝口です。PANTSはふだん、ゲーム開発をしたり、商品やイベントをつくっています。この連載のタイトルは「思考のタガの外し方」。
まちおこしは、そのまち独自の魅力を掘り起こすこと。だから、他のまちのやり方をまねしても仕方がない。むしろ、「普通こうするよね」のタガを外して考えたほうがいいのではないか。
今回は佐賀県江北町(こうほくまち)で144年ぶりに流鏑馬(やぶさめ)を復活させた、ある男の取り組みを追った。その裏には、競走馬がおかれた現状への悲しみがあった。
失われた伝統行事を復活することが、まちおこしにつながるのか?
九州・佐賀県の江北町で144年ぶりに流鏑馬(やぶさめ)を復活させた男がいる。永松良太さんだ。流鏑馬とは、疾走する馬上から的(まと)に向けて矢を射る伝統行事。元々は武芸のひとつだったが、鎌倉時代ごろから神社で神事の武技として奉納されるようになった。

144年ぶりに復活──。気が遠くなるくらい前のできごと。裏を返せば、その間、江北町の人々がこの伝統行事を必要としてこなかった、ということでもある。
まちおこしを目的に、伝統行事を復活させるという気持ちはわかる。が、単に昔の行事をもう一度復活すればいい、というものでもない。廃れるにも理由はある。復活させるからには、今の時代に行う理由づけが必要だ。
伝統行事をなぜ復活させ、今の時代にどう定着させようとしているのか、話を聞きたくて現地に行った。

こちらが流鏑馬を行う江北町の神社・天子社(てんししゃ)の参道。両脇に木が並ぶ。昔はここを馬が駆け抜け、流鏑馬を行ったらしい。

奥に入っていくと、天子社の境内にたどり着く。

この小さな神社で144年ぶりに流鏑馬が復活したのは2014年10月19日だった。


この日、お祭りで集まった多くの人が見守るなか、馬上の永松さんは「いんよーう」という掛け声とともに矢を放った。一瞬の静寂の後に乾いた木の的が割れる音が境内に響き、歓声と拍手が上がった。

それ以来、毎年お祭りで流鏑馬が行われている。(*新型コロナの影響が出て以降は中止や規模を縮小して開催)