酒は人を結び、まちを元気にする。酒場案内人の塩見なゆさんが、酒をテーマににぎわう各地のまちを訪ねます。今回は秋田県男鹿市。重要無形民俗文化財に指定された「男鹿のナマハゲ」が有名です。約2万7000人が暮らしていますが、その半数ほどが65歳以上の高齢者。人口の減少が続いているこのまちで、新しく醸造所を立ち上げた若者がいます。

 近年、日本にも「テロワール」という考え方が広まっています。テロワール(terroir)とは、フランス語で土壌や土地を意味する言葉。主にワインなどの嗜好品において、生産環境が味を決める要素になることを指します。気候や水質、土壌の違いなど、原料となる農作物に関する要素だけでなく、醸造の環境や、醸造に携わる人々の文化や生活スタイルまでもが味の違いを形成します。

 欧米などでは、こうしたテロワールをより踏み込んだかたちで体感し、飲酒を楽しもうという動きが増えています。酒類を核とした周遊・滞在型の観光スタイルです。

 いまは流通が発達したおかげで、地球の裏側でつくられたワインでも状態の良いものが飲めるようになりました。でもせっかくなら、酒の味をより深く楽しむため、生産地に赴き、風土に浸って味わいたい。日本でも酒蔵見学に代表される生産地を訪ねる観光モデルがありますが、これをさらに深化させたものといえます。現地の気候を肌で感じ、生産者やその土地で暮らす人々との会話を楽しみ、その地域で生産された食べ物と一緒に味わうことで、一層酒の魅力を知ることができます。酒は地域性が表れる嗜好品ですので、旅行者を呼び寄せるフックにもなりやすいのです。

 テロワール的な発想が観光に寄与することが明らかになると、酒類を所管する国税庁や国土交通省も「酒蔵ツーリズム」として積極的にPRするようになりました。酒類のブランド化が進むことで、原料となる農作物の生産の価値が高まり、製造現場に新たな雇用が生まれ、さらに周辺の飲食・宿泊施設や公共交通の利用者が増加するなど、広く地域経済に波及します。酒づくりはまちづくり。地域活性化の起爆剤として期待されています。

 こうした取り組みをまさにいま、強く動かしている人が秋田県男鹿市にいます。「稲とアガベ」という新興の醸造所を立ち上げた岡住修兵さんです。日本酒ファンの間では注目の酒蔵であり、若手醸造家の間でも岡住さんは有名人です。

稲とアガベ代表の岡住修兵さん。醸造所内にて(写真:塩見なゆ)
稲とアガベ代表の岡住修兵さん。醸造所内にて(写真:塩見なゆ)
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 酒類の製造免許は酒の種類によって異なっており、清酒製造免許の新規取得は現在の酒税法上では極めて困難といわれています。そうした高い壁を前にして、岡住さんは清酒製造免許の取得をめざしていることで知られています。

 岡住さんは、秋田出身でも蔵元の家系というわけでもありません。生まれは北九州。酒づくりの世界に飛び込んだのは「シンプルにお酒が好きだから」(岡住さん)。秋田は岡住さんの奥さまのふるさとで、秋田を訪れるたびにとてもよくしてもらった経験から、秋田への愛着が深まったそうです。

 もともと起業精神が強かった岡住さんは、神戸大学経営学部でベンチャーファイナンスを学んだ後、将来独立することを前提に、酒づくりを学ぼうと新政酒造(秋田市)に入社しました。4年半勤めたのち、目標としていた30歳までの起業に向け、男鹿に醸造所を立ち上げました。

 男鹿での創業を選んだ理由について、岡住さんは、人との出会いが大きかったと話します。地元で有名なお肉とお惣菜の店「グルメストアフクシマ」の店主と知り合い、秋田で醸造所の物件を探しているときに男鹿市役所の担当者を紹介してくれたそうです。市の担当者は岡住さんの取り組みに共感し、分厚い空き家資料を提供し、開業に協力してくれました。

 その頃、秋田市と男鹿市を結ぶJR男鹿線の終着駅である男鹿駅が再開発のため駅舎を移転することとなり、従来の駅舎はJR東日本から男鹿市へ譲渡されました。この旧男鹿駅舎が、2021年5月、稲とアガベの酒蔵に転用されることとなったのです。

旧男鹿駅舎を転用した「稲とアガベ」の酒蔵(写真:塩見なゆ)
旧男鹿駅舎を転用した「稲とアガベ」の酒蔵(写真:塩見なゆ)
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使用されなくなった駅舎を活用した酒蔵。事務室と醸造室の仕切りドアは、まるで現役の駅のよう(写真:塩見なゆ)
使用されなくなった駅舎を活用した酒蔵。事務室と醸造室の仕切りドアは、まるで現役の駅のよう(写真:塩見なゆ)
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 清酒製造免許はまだ交付されていませんが、2020年度の法改正で取得可能となった「輸出用清酒製造免許」をまず取得。国内向けでは「その他の醸造酒免許」を取得し、制限があるなかでの酒づくりをスタートしました。岡住さんのように新規参入で酒づくりに挑戦する若き醸造家は、清酒製造免許のかわりに、「その他の醸造酒免許」で日本酒に近い酒づくりを行っています。

 愛飲家の間で「CRAFT SAKE(クラフトサケ)」と呼ばれるこれらの酒は、日本酒同様に米と米麹を用いて仕込みをしますが、その中に副原料を入れることで日本酒の枠から意図的に外しています。同社がつくる商品のひとつ「稲とアガベ」は、副原料としてアガベシロップを入れたものです。アガベとはメキシコの蒸留酒・テキーラの原料となる多肉植物のこと。社名にも使われているアガベについて、岡住さんは「妻はテキーラマエストロという資格も持っているテキーラ好きで、私は米が好きなので、二人で立ち上げた事業として『稲とアガベ』と名付けました」と由来を話してくれました。

どぶろくも「その他の醸造酒」のひとつ。稲とアガベを代表する商品たち(写真:塩見なゆ)
どぶろくも「その他の醸造酒」のひとつ。稲とアガベを代表する商品たち(写真:塩見なゆ)
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 稲とアガベが持つ輸出用清酒製造免許は制度制定後2番目の取得となり、いち早く世界に向けて日本の新興酒蔵の魅力をアピールすることになりました。いまや海外の三ツ星レストランでも提供されるほどになっています。輸出を行う目的は、やはり国内向け清酒製造免許の取得に向けた取り組みだと言います。海外でしか飲めないプレミアムな日本酒があるという話が広がることも、清酒製造免許の取得にまつわる規制を緩和する追い風になると岡住さんは考えています。