酒は人を結び、まちを元気にする。酒場案内人の塩見なゆさんが、酒をテーマににぎわう各地のまちを訪ねます。今回は水戸にやってきました。東京からJR常磐線の特急で1時間20分ほど。水戸駅の駅前には時代劇でおなじみ、黄門様こと徳川光圀公の銅像があります。ここ水戸市は茨城県の県庁所在地であり、旧水戸徳川家が治めていた歴史あるまちです。

 水戸には梅林で有名な偕楽園をはじめ、隣接するエリアに世界的な電機メーカーの開発・製造拠点があるなど、観光面、産業面でも他の県都と比較して見劣りするまちではありません。でも、水戸の駅前はいつ訪れてもどこか寂しい雰囲気が漂っています。

 駅前に広がるペデストリアンデッキには、葵の御紋が入った「水府提灯(すいふちょうちん)」などが目立つものの、残念ながら通行人はまばらです。駅から見渡せばくしの歯が欠けたような更地が目に付きます。駅前の一等地は、10年以上も空き地になったままです。かつてここには西友系のLIVIN(リヴィン)水戸店という大型商業施設がありました。同じく駅に隣接していた丸井水戸店も2018年に撤退し、駅周辺は空洞化が続く一方です。では古くからの繁華街であり、水戸市唯一のデパートである京成百貨店がある泉町や、旧花街の大工町がにぎやかかというと、なかなかそうとも言えません。

 そうした状況なので、水戸の飲食店街も長年元気がありません。徳川家康公をまつる水戸東照宮とJR水戸駅を結ぶ参道「宮下銀座」もかつてはシャッター街になっていました。

水戸東照宮とJR水戸駅を結ぶ参道「宮下銀座」(写真:塩見なゆ)
水戸東照宮とJR水戸駅を結ぶ参道「宮下銀座」(写真:塩見なゆ)
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 そんな宮下銀座がなんと、今では空き店舗がないほどまでによみがえっています。週末になると老若男女がはしご酒を楽しみに闊歩(かっぽ)しています。まちを変えたのは、若い飲食店経営者たちでした。

 宮下銀座が飲み屋ストリートに生まれ変わるきっかけとなった飲食店のひとつが、2018年9月にオープンした「大衆酒場ラクダ」です。

にぎわう大衆酒場ラクダ宮下銀座本店。2018年9月の開業から半年後の風景(写真:塩見なゆ)
にぎわう大衆酒場ラクダ宮下銀座本店。2018年9月の開業から半年後の風景(写真:塩見なゆ)
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 大衆酒場ラクダは、宮下銀座にある本店の成功を足掛かりに、2020年に約500メートル離れた南町に2店舗目を出店。さらに2022年には3店舗目となるブリティッシュパブ「キャメル」を宮下銀座にオープン。合計3店舗を展開しています。4年間で3店舗を出店しながら、今も他の従業員とともに店頭で接客を担当している創業者の篠原睦さんに話を伺いました。

英国風パブ「キャメル」で接客する篠原睦さん(写真:塩見なゆ)
英国風パブ「キャメル」で接客する篠原睦さん(写真:塩見なゆ)
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 筆者は、篠原さんとは大衆酒場ラクダの創業以前から接点があります。篠原さんは実は以前、大手酒類メーカーのキリンビールに勤務されており、飲食店の取材で情報交換をすることがありました。

 では、なぜキリンビールを退職して、水戸で飲食店を始めたのでしょうか。

 篠原さんは水戸の生まれ。飲食ビジネスに興味を持つようになったきっかけは、学生時代に留学した英国で出合ったパブ文化にありました。今でこそ、日本もクラフトビール・ブームでビールのタイプや味、ブランドに興味を持つ人が増えましたが、以前は「とりあえず、ビール」。篠原さんは「日本人がビールをもっと好きになるチャンスはあるはず」と考えたそうです。ビール好きの篠原さんは、大手酒類メーカーのキリンビールに入社。飲食店を担当する業務用営業に就くことになりました。

 飲食店担当の仕事は、居酒屋などの経営者との商談が主なものです。篠原さんは多くの飲食店経営者と商談する中で、自身もいつか飲食店をやりたいという気持ちが強くなったと言います。その後、担当先の1社だった、立ち飲みチェーンの「晩杯屋(ばんぱいや)」を展開する飲食企業「アクティブソース」へ転職。飲食店経営のノウハウを得つつ、同社がトリドールホールディングスの傘下になるタイミングで独立することを選びました。

 東京の飲食業界を知る篠原さんですが、出店候補地は故郷の水戸にこだわりました。Uターンで創業した理由について、「親が高齢になってきたこともあり、もっとそばにいてあげたいと思うようになって……」と篠原さん。

 こうして東京から水戸に帰ってきた篠原さんは、地元の友人のつてもあって、宮下銀座の物件を契約。飲食店経営の夢をかなえて、「大衆酒場ラクダ」1号店を開業しました。店名の由来は、開業準備の合間に行った海外旅行でラクダ(動物の)に乗った際、調教師の外国人が「ラクダはラクダ」と繰り返しギャグを言っていたことが記憶に残り、これを店名に選んだそうです。