酒場が酒場を呼ぶ

 多くの地下街は百貨店の系列や鉄道会社の傘下、第三セクターなどの株式会社方式で運営されています。一方、伏見地下街は創設時から商店主たちが加盟する管理組合方式で運営されています。全国でもまれなケースといえます。

 地下街の運営に携わる伏見地下街管理組合事務局の嶌田素美さんに、飲食店が増えたことによる変化を伺いました。

伏見地下街協同組合事務局の嶌田素美さん(写真:塩見なゆ)
伏見地下街協同組合事務局の嶌田素美さん(写真:塩見なゆ)
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 「2015年頃に飲食店が増えてきました。それにつれて伏見地下街の営業時間も延ばし、以前は20時半で閉めていましたが23時まで開けるようになりました。新型コロナウイルス禍のいまは臨時休業しているお店もありますが、空き店舗はなく、すべての店舗が埋まっています」と嶌田さんは話します。

 地下鉄東山線の東改札は、改札を抜けると地上へ出る階段もなく、そのまま伏見地下街に直結しています。「地下街が飲み屋街となったことで夜の滞在が増加し、地下鉄の改札の営業時間も地下街の時間延長に合わせて延びました」(嶌田さん)

 これまであまり知られていなかった伏見地下街。秘密基地のような空間は一軒一軒が小さく、地上の店舗と比べ家賃も比較的安い。そうした理由から、新たに酒場を始めようという若者が挑戦する場所となったようです。酒場が酒場を呼び、人が人を呼ぶようにして次第に「名古屋の酒場好きが集うスポット」に変化していきました。

 その一方で、酒場が増えたことによる苦労もあると嶌田さんは言います。「酒場が増えると共用施設の水道代が上がりました。設備機器の破損もあります。もともと年季の入った建物なので……。そのため、トイレはお店から鍵を借りないと利用できないようにしています」

 もちろん恩恵もあります。「人が多く集まり話題のスポットになったことから、耐震工事を実施することができました。トリックアートは工事で一部隠れてしまいましたが、いまもアートの取り組みは積極的に行っています。現在は県内の大学の作品を展示しています」(嶌田さん)

 コロナ禍の影響は大きく、多くのお店がシャッターを閉めています。それでも、2021年に入ってからのいっときは、お客さんの姿が見え、適度なにぎわいも戻っていたそうです。

 取材時は、まだ飲酒を伴う食事が可能だったため、伏見地下街内の「酒津屋伏見店」を訪ねました。お店の方によると、やはりお客さんは激減しているとのこと。

酒津屋名物のエビカツ。名古屋の酒場らしい一品(写真:塩見なゆ)
酒津屋名物のエビカツ。名古屋の酒場らしい一品(写真:塩見なゆ)
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 筆者も伏見地下街に酒場が集まり始めた頃から何度か飲みに来ています。ここの特徴のひとつに、1000円程度で利用できる酒場「せんべろ」や立ち飲みが集まっていることがあります。

 立ち飲みは首都圏や関西ではなじみのある酒場のスタイルですが、名古屋ではなかなか浸透していませんでした。しかし伏見地下街に飲食店が増え始めた2015年頃、名古屋にも「せんべろ」や「ネオ大衆酒場」といったキーワードがはやりだし、一気に広まりました。その火付け役となったエリアはいくつかありますが、ここ伏見地下街も発信源だったことは間違いありません。

小さな酒場が軒を連ねる伏見地下街の様子。撮影は2017年9月(写真:塩見なゆ)
小さな酒場が軒を連ねる伏見地下街の様子。撮影は2017年9月(写真:塩見なゆ)
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 「小箱」だから店主や常連さん同士の距離が近く、初めてのお店でも友達と飲んでいるような楽しさが味わえます。また、店が地下街に並んでいることから、何軒かはしご酒をすることが当たり前で、2軒目に1軒目で会った人と偶然居合わせたりすることも。

 なにしろ改札に直結していますから、飲んだ後に帰るのはあっという間。小さな地下街のサイズは、飲み屋街としてとても使いやすい規模なのです。

 コロナ禍のいまは、一期一会の人と笑い合いながら飲むことは難しい状況です。再び、酒場のにぎわいが戻ってくるとき、伏見地下街がその牽引役を務めてくれるものと信じています。

筆者 塩見なゆ
酒場案内人。1984年、東京都杉並区荻窪生まれ。新宿ゴールデン街に通った作家の両親を持つ。幼いころより中央線沿線の飲み屋へ連れて行かれ、物書きの大人と瓶ビールに囲まれて成長する。会社員として広報・宣伝畑を経て独立。趣味だった飲み屋巡りを本業とし、飲食専門のライターとなる。酒場に恋して年間2000軒を巡る。

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