ここで、まずは角文研の成り立ちについて伺いましょう。

北九州角打ち文化研究会の事務局長の金成子さん(左)、メンバーの櫻井淳子さん(中央)、岩田千鶴子さん(写真:ひとまち結び編集部)

 2005年に設立した角文研は10人のメンバーでスタートしました。現在は200人ほどの会員がメーリングリストに登録されています。

 事務局長の金さんは「女性1人では入りづらかった雰囲気の角打ちへ、最初は角文研の会員何人かで飲みに行き、次第に多くの店に出かけるようになりました。会員も増えていきましたが、角打ちは大勢で飲みに行くような場所ではないことも事実。現在では数人のグループごとに、各地で分散しながら角打ち探訪を楽しんでいます」と説明します。

平尾酒店はカウンター(右奥)だけでなく、テーブルでも角打ちができる。後ろの冷蔵庫からお酒を自分で取り出し、店主に申告して飲む(写真:ひとまち結び編集部)

 「角文研の活動は事務局も会長も自主的にやっているボランティアです。会則など運営のルールもありません。お酒が好き、角打ちが好きな大人の集まりです。みなさん本業は様々です」と語るのは2代目会長の吉田茂人さん。

 「私は前職で2006年のスターフライヤー就航時に創刊された機内誌『雲のうえ』の創刊号を仕事で担当していました。毎号、テーマを一つに絞ってつくろうということで、創刊号は角打ちをテーマに選びました」(吉田さん)。「雲のうえ」の発行人は北九州市で、これまであまり紹介されることのなかった角打ちが一躍脚光を浴びるきっかけとなりました。

 角文研でも、角打ちを紹介する冊子を独自に発行しています。最新版は2018年11月27日改訂のものです。駅の観光案内所や一部の角打ち店内などで配布されています。

北九州角打ち文化研究会が発行した冊子の最新版。駅の観光案内所や⼀部の⾓打ち店内などで配布されている(資料:北九州角打ち文化研究会)

 角文研の冊子は、同冊子に掲載されている著者行きつけの東京・神田にある「藤田酒店」にも届いています。冊子の発行に係る経費や取材、編集作業はどのように行われているのでしょうか。

 「私たちの活動に会費はありません。角打ちで集まって飲む際や、例会、イベントなどの飲食代は割り勘なのですが、その時の支払いを500円単位に切り上げて、余剰金を会への寄付としています。こうして集まった会の資金を元手に、冊子の印刷料などに充てています」と金さん。

 角打ちへの取材は、各地にいる角文研のメンバーがナビゲーターとしてお店に行き、実費で飲食をして、写真や文章を提供します。編集部も角文研のボランティアです。

 「本業の繁忙期と重なると大変で、発行は毎回苦労があります」と話す金さんは角文研の編集担当で、本業もフリーペーパーの編集者をしていました。

 ウェブページのリニューアルも進めているそうですが、そちらはIT(情報技術)やウェブデザインを本業としているメンバーが中心となって進行中。会長の吉田さんは以前は行政側で角打ちをアピールしてきた人ですが、「退職の日に角文研のメンバーに角打ちへ呼び出され、会長就任の打診を受け、そのまま気がつけば2代目になっていました」と笑います。

 趣味に本業のノウハウを導入した「大人の遊び」のようで、とても愉快な集まりに思えます。運営会議は、角打ちにその日集まることができるメンバーでお酒を囲みながら、ゆるやかにふんわりと行っているそうです。創立からまもなく15年。このスタイルが会の安定運営の秘訣なのかもしれません。

平尾酒店の女将の平尾ユカリさん(写真:塩見なゆ)

 200人ほどの角文研の会員が各地の角打ちを飲み歩くだけでなく、家族や同僚にも各々で角打ちの魅力を広めていった結果、次第にその噂は首都圏の角打ち営業をする酒販店に届くようになります。北九州赴任中に角文研のメンバーになり、その人が異動で他の都道府県へ行き、新たな赴任地で角文研的な活動をすることもあるとのこと。

 北九州の角打ちは、高度経済成長期に昼夜3交代制で働く労働者があふれていた工業都市で、時間に関係なく手軽にお酒を飲めるように生み出されました。ただ、産業の近代化によって重工業の勤務体系が変わり、角打ちへ飲みにくる層は大幅に減ってしまいました。

 そんな時、レトロブームやセンベロ(1000円で飲み屋を楽しむこと)ブームから、角打ちが再び注目される時代がやってきました。

 取材場所となった平尾酒店の女将さんも、「女性も多くいらっしゃいます。若い人がたくさん飲みに来てくれるようになって、まちに活気がでてきました」と笑顔で話します。

 北九州から全国へと、独自の取り組みで角打ちを活性化してきた角文研の活動に今後も注目です。

著者 塩見なゆ
酒場案内人。1984年、東京都杉並区荻窪生まれ。新宿ゴールデン街に通った作家の両親を持つ。幼いころより中央線沿線の飲み屋へ連れて行かれ、物書きの大人と瓶ビールに囲まれて成長する。会社員として広報・宣伝畑を経て独立。趣味だった飲み屋巡りを本業とし、飲食専門のライターとなる。酒場に恋して年間2,000軒を巡る。