今回は、筆者が注目している「小さな個人店」のひとつ、渋谷の「かつお食堂」を紹介したい。渋谷といっても駅前の繁華街ではなく、山手線の駅から歩いて15分。マンションと事業所が入り混じる、飲食街とはいえないエリアの地下1階にある、たった7坪の「コの字型」カウンターの店だ。

 店主は「かつおちゃん」が愛称の永松真依さん。メニューは「かつお定食」1種類。内容は、削りたての花かつおをたっぷりふわりとのっけたご飯、出汁(だし)のきいた味噌汁、とろとろの出汁巻き、漬け物。店内は、鰹(かつお)節の香り、出汁の香りが充満している。

カウンターの中に立つ永松真依さん(写真:木村聡)

 食べにうかがった際、永松さんに「かつお食堂」を営む理由を聞くと、「鰹節の魅力を伝えるのに一番良いのが店を出すこと」と返ってきた。

1日60人の目の前で鰹節を削る

 元々永松さんは、企業の受付などの仕事をしていたが、本当にやりたいことが見つからずに悩んでいた。だが25歳の時、九州に暮らす祖母が郷土料理の「だご汁」をつくるために鰹節を削る姿を目の当たりにした。その瞬間「これが本当の美しさだ! これが私の天職だ!」と天啓のようなものを感じたという。

全国の産地からの鰹節をお客の目の前で削る(写真:木村聡)

 数カ月後に会社を辞めて全国の鰹節産地を巡り、生産者さんから話を聞き、鰹節に賭ける人生にシフトチェンジ。詳しくなると、その魅力をより多くの人に伝えることをミッションとする活動を開始。イベントなどで鰹節を削るうちに、縁あって知り合いのバーで間借りの「かつお食堂」を実現。その頃は、毎朝4時起きで神奈川の自宅から4升の米を担いで渋谷に通う日々だったという。渋谷区鶯谷町にある現在の店は、今年8月にオープンした自分の城だ。

 「かつお食堂」には、全国のいろんな産地の鰹節が届き、それをお客の目の前で削る。削りながら、とにかくいろんな鰹節の話をするのが「かつおちゃん」流。定食ができるまでの時間、お客は永松さんの鰹節トークを聞く。それはある種のライブに近い。

 毎朝9時オープンで、1時間13人を目安に提供する。午後14時までに5回転というから、1日60人以上のお客さんの目の前で鰹節を削り、魅力を語り、定食を提供することになる。

 週に5日としても月に1200人、年間だと1万4000人以上、10年経てば14万人という計算だ。食べにきてくれた人、定食の写真、ふわっとした花かつおの様子、小さな身体で鰹節を削る「かつおちゃん」の姿がインスタグラムなどのSNSから発信される。テレビ、ラジオ、ネット、雑誌など、メディア取材につながり、その影響力は決して小さくない。全国の鰹節生産者やメーカー担当者なども食べに訪れる。

削りたての花かつおがおどる様子と香りに感動する人は多い(写真:木村聡)

 「その日の鰹節のことを書いて、壁に貼るようにしているんです」と、永松さん。訪れた人は、定食を食べながら、永松さんの話を聞き、鹿児島の枕崎や高知の土佐清水、静岡の西伊豆など、全国の様々な鰹節と産地の情報に、目と耳と舌と胃袋で触れる。つまり、「かつお食堂」は、人々と全国の鰹節産地を五感でつなげるハブとして機能しているわけだ。

 思い返してみると、私の子どもの頃は、母親が削った鰹節や煮干しで出汁をとって味噌汁を作るのが日常だった。しかし、世の中が便利になるにつれて、自分も含め、伝統の食文化と味を忘れがちになった。「かつお食堂」は、それを思い出させてくれる貴重な場所で、ほぼ毎日、とにかく鰹節の旨さ、素晴らしさの発信を続ける。

永松さんが出すメニューは「かつお定食」1種類。削りたての花かつおをのせたご飯、味噌汁、出汁巻き、漬け物(写真:木村聡)

 「ご近所の人をはじめ、毎日、誰か常連さんが来てくれるんです。この間は、1年前に来た小学生が、おかあさんと一緒にまた『回遊』してくれて、おいしいって言ってくれて!」と喜ぶ永松さん。未来を担う子どもたちにも鰹節の良さを伝えている。そして、お客が食べに来ることを「回遊」と呼ぶのも面白い。

 たった7坪の店だが、鰹節を削り、定食を提供して、日本の伝統食文化を伝え続ける。すでに永松さんはゴールデンタイムのテレビ番組にも複数出演している。永松さんのパフォーマンスは映像としてもインパクトが強く、文化伝承への寄与度は計り知れないものがある。外国からの来店客も増えてきた。「かつお食堂」が体現する「小さな個人店」の可能性は決して小さくはない。

著者 須田泰成(すだ・やすなり)
1968年、大阪生まれ。コメディライター&プロデューサー。テレビ、ラジオ、WEBの番組やコンテンツの脚本、構成、プロデュース多数。「スローコメディ広告社」代表。20歳の時に世田谷区経堂へ。2000年に、経堂の個人店と文化を活性化するプロジェクト「経堂系ドットコム」を立ち上げる。WEB「みんなの缶詰新聞」編集長。「経堂経済新聞」編集長。著者に『モンティパイソン大全』など。