コロナで上がった売り上げ、思い知った日常の強さ

 今川さんが生まれたのは1986年。自然豊かな地元でおおらかに育ち、2004年に地元の工業高校を卒業し、ショッピングストア今川で働き始めた。

 「高校時代は、大資本が運営する飲食業や小売業のビジネスに関する規制がなくなり、全国のロードサイドに大型ショッピングモールやチェーン店が猛然と進出を始めた時期。当然、もともとあった小さな店がどんどん潰れていった。ピカピカの大きなスーパーなどが国道沿いに立ち並び、働き始めた頃は、漁港に近い旧市街にある小さなうちの店について、正直、コンプレックスを感じていたんです」

仁尾町のスーパー、「ショッピングストア今川」(写真提供:今川宗一郎氏)
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 地域の八百屋からスタートしたこの店は、地元客に「その日のいいもの」を勧め、足の不自由な高齢者が買ったものを自宅に届けたり、ご近所付き合いの贈答品を配達したりと、かゆいところに手が届く孫の手のような御用聞き商売をしていた。これが地元の支持を受けており、数キロ圏内に立地する他のショッピングセンターの影響を受けながらも生き残った。

 「うちの祖父が始めた八百屋のやり方は、いつも来てくださるお客さまの暮らしに密着して、サービスを惜しみなく提供するんです。買い物の配達なんかいつもです。常連のおばあちゃんから『これ重いから、うちに持っていってくれる?』だけで、どこに持っていけばいいかわかります。もちろん無料というか気持ちで。配達前提だと、必要なものを我慢せず買ってくださいますしね」

 次第に今川さんは、祖父から代々積み重ねられてきた「うちの店」の強みを自覚するようになった。

 「田舎なので地域の人のつながりが濃いんです。冠婚葬祭から就職やリフォーム成功のお祝い、ことあるごとに贈り物を贈り合うんですが、うちの店は声をかけてもらえればすぐに対応します。うちの店におばあちゃんからお孫さんまで三代にわたって通ってくれる一家もあって、大勢のお客さまと阿吽(あうん)の呼吸を共有する必要性が働くうちにわかってきました」

 小売業従事者としての今川さんに転機が訪れたのは5年前。それ以前から琴平の業者が行っていた瀬戸内の離島における移動販売を手伝っていたが、その業者が手を引くことがわかり、今川さんが受け継いだのだ。

 「保冷車に鮮魚、野菜、卵、米、パン、食品用ラップ、歯ブラシなどの生活必需品を積み込んで、渡し船で島に行きます。人口80人の佐柳島(さなぎじま)と、40人くらいの高見島に隔週で。あとは、荘内半島の突端の不便なところ。どこも住民の平均年齢は70代後半くらいでしょうか。島は本当に不便で、昔は漁業などで栄えたけれど、今は商店どころか自動販売機すらない。だから移動販売がライフラインに近いんです。そういう場所でお客さまに『助かる』とか『ありがとう』と言われるとやりがいを感じますし、本当に地域に必要とされているのがわかる。こういうことが仕事の原点だと思います」

佐柳島での移動販売の様子(写真提供:今川宗一郎氏)
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 実家で働き始めた18歳の時は、国道沿いのチェーン店がまぶしく見えたという今川さん。しかし最近、「地域の日常に根付くものじゃないと続かない」ことを身体で感じたのだ。その感覚が正しかったことはコロナ禍で証明された。

 「コロナ禍になって、うちのスーパーは売り上げが増えたんです。そこで日常の強さを思い知りましたし、これまでやってきたことが間違ってなかったと確信しました」

 今川さんは、売り上げの増加という追い風を受けて、仁尾のまちを面白くする活動にも注力している。

地域の日常に根付くリノベーション

 今川さんは、2012年から地域のビジネスの立て直しや空き家のリノベーションに関わっている。そのアイデアのどれもが「地域の日常に根付く」を大切にしたものだ。

 「最初は、家族経営だった小さなカマボコ工場を引き継がせてもらいました。地元で長いこと食べられていたカマボコで、仁尾の港に揚がった鮮魚を石臼でひいて練って成型して揚げるだけなんですけど、めちゃくちゃ旨いんです。いろいろあって閉めていたのを、ぼくが成型担当で工場に入って、出来上がったのを仕入れてうちの店で売るようにしました。今は、新しいスタッフが入り、ぼくが抜けたけど軌道に乗っています」

 カマボコ工場、離島での移動販売、かき氷店、コーヒーショップと続く今川さんの試みは、ゆっくりだが絶え間なく続く。

 「父母ヶ浜に大勢の人が集まってくれますが、大切なのは、ぼくらの日常の暮らしをどう豊かにするかなので、小さなコミュニティを作っていきたいです」

 今、動いているのは、カマボコ工場と同じエリアの市街地に空き家をリノベーションした豆腐店を作ること。

 「三世代が集まるような場所が減ってきたのと、父母ヶ浜だけじゃなく町中にも人が流れていくような事業をしたいなと。ただ、豆腐店だけでは商売として弱いので、八百屋を併設して、プラス立ち飲みコーナーを作り、地域の人が集まるハブ的な場所にしたい。それを、外の人間ではなく地元の人間が作ることに意味があると思う」

 豆腐店に続き、早くも次の企画が実現した。2020年11月6日、「ニュー新橋」という閉店した中華料理店の跡地にスナックをオープンしたのだ。

 「実は、ぼくらのまちには長らくスナックがなかったんです。カラオケスナックに行きたいと思ったら、まちから出ないと行けなかった。でも、これからのことを考えると、いつまでも外のまちに頼るのはどうかと思った。ないものは自分たちと作ってしまおうと、仲間と飲んだ時にスナックのアイデアが出た。会社の名前は『合同会社 時代おくれ』です(笑)。都会のお洒落とはほど遠い、ひなびた仁尾のまちに合ってると思います。自分たちのまちと他を比べる必要はない。無理のない小規模店舗の起業くらいなら、地元の環境にも負荷をかけません。地域の仲間たちと結束して、このようなリノベーション事業を作っていきたい」

 仁尾のまちには2年ほど前から、東京や大阪を含む県外からの移住者が増え始めている。その流れはコロナ禍の中でも止まっていない。

 「移住してきた人は地域活動にも熱心な場合が多く、いろんな動きが生まれているのがうれしい。スナックの次は、寿司屋やラーメン屋などにも興味があります。誰かのためというか、あくまでも自分たちの暮らしに必要な機能として、こんなお店があったらいいなという想いです」

 「地元で歩いて飲めて、ハシゴして、歌って、ラーメンでシメる。ここまで完成したら、かなり楽しいですよね。一つひとつの店は小さな『点』。だけど、そんな点が少しずつ増えれば、人口が減りながらも外からも人が入ってきて、なおかつ自分たちも楽しめるまちになる。それが地域が自立するということかなと。持続可能な地域の理想は、あくまで地元の私たちが地道な日常を積み重ねる先にあるんです」

 荒れた山に1本ずつ木を植えるように小さな店を作り続ける今川さん。地元をこよなく愛する男の挑戦は続く。

筆者 須田泰成(すだ・やすなり)
1968年、大阪生まれ。コメディライター&プロデューサー。テレビ、ラジオ、WEBの番組やコンテンツの脚本、構成、プロデュース多数。「スローコメディ広告社」代表。20歳の時に世田谷区経堂へ。2000年に、経堂の個人店と文化を活性化するプロジェクト「経堂系ドットコム」を立ち上げる。WEB「みんなの缶詰新聞」編集長。「経堂経済新聞」編集長。著者に『モンティパイソン大全』など。