CDショップ減少時代、音楽は地域密着の個人店で直につながる

 このような格好で、パンの店「とげまる」は3年前からスピッツファンの間では知られた存在だった。しかし、今回の「スピッツ・ポップアップショップ」は、全国の飲食店や小売店などをCD販売店として認定する取り組みで、同店は全国にある16店舗の1つとして公正な審査を経て選ばれた。

 「応募して返事が来るまで不安でしたが選ばれてよかったです。ポップアップショップになってからは、土日になると県の内外からスピッツファンがお越しになりますね。福岡、広島、大阪、福井などの遠方からも。うちの店を知ってくれて、パンをたくさん買ってくださるのがうれしいですし、来店記念のスタンプも喜んでいただけている」

 「オープンからクローズまでBGMを流しています。スピッツの音楽を自分の店で広められるのはとてもうれしい」

店内の壁に貼られた「スピッツ・ポップアップショップ」の説明。焼きたてのバゲットやハンバーガー、惣菜パンのある風景に不思議とマッチしている

 ポップアップショップになったことで店の顧客増にもつながるのは大きなメリットだ。車で通える商圏内の人がプロモーションをきっかけにして初めて来店、パンを気に入ってリピーターになったというケースもある。

 アルバム『見っけ』のPR効果も「小さな店だから」と過小評価できないと筆者は考える。街で毎日必要なものを売る店には地味ではあるが、ひっきりなしに客が来る。「とげまる」にも早朝から夕方まで客が来る。その全員がBGMやポスター、CDにリアルに触れる。しかも、詳しくないお客が「これ何?」と聞けば、スピッツファン歴20年以上の奥さんが笑顔でスピッツ愛を熱く語るのだ。あえてこのカタカナ言葉を使うとすれば、これこそ理想のインフルエンサーに思える。

「身近なお店」が新たな顧客層を拓く窓口に

 今回の「スピッツ・ポップアップショップ」は、アルバム発売にあたってスピッツの所属レーベル「Universal J」が提案したもの。アーティストのポップアップショップとして店舗やイベントスペースに出店するケースは過去にあったが、リアル店舗とのコラボは初の試み。

 同レーベル担当者に取材をすると次の言葉が返ってきた。

 「音楽の楽しみ方がライフスタイルにあわせて多様化しておりますが、楽しむ手段が身近になければ諦めてしまうかもしれない。でも、近所にCDショップがないとかネット環境に不慣れだという方も、NHKで流れた『優しいあの子』はご存じかもしれない。そこで、日頃音楽をあまり聞かれないという方も含めて、幅広い年齢層に『ここにある』という“リアル”の提供、知っていただく機会の提供をめざして企画しました」

 なるほど。CDショップがない街でも、パン屋やカフェなどが店内の片隅に売り場を作り、リアルに音楽が詰まったCDと地元の人が触れ合える場を提供できる。もちろん相互の了解があって成立可能なことだ。

 いまCDやDVDなどの流通量がどんどん減少し、またダウンロードによるソフトの購入もサブスクリプションに取って代わられ、消費者にとって「音楽を所有する感覚」も大きく変化している。同じことは映像コンテンツや書籍などにも起きている。

 担当者は次のようにも言う。

 「普段とは違う商品が店内に置いてあることで『なんでこれがここに?』と立ち止まり『スピッツのアルバムが出た』ことに気づいていただくきっかけのひとつになった」と。

 実は今回の「ポップアップショップ」店舗のセレクトにはファンであるかどうかはまったく関係しなかった。しかし、結果として人気ロックバンドと地域密着パン屋の組み合わせがプラスの化学反応を生む現象は興味深い。

 「とげまる」のご夫婦は、週一の定休日以外は、毎日深夜3時に起き、地元の人々のためにパンを焼き、早朝7時から売り、地域の人たちのお腹を満たし美味しさで笑顔にしてコツコツ信用を積み重ねてきた。

 どんな時もスピッツの音楽が一緒だった。そのストーリーは偽りのない地に足のついたストーリーで、さらに広がりそうな気がする。そして思うのは、「とげまる」のような店の存在は、スマホさえあれば誰でも手軽に聴きたい楽曲にアプローチできるサブスクリプションの仕組みとも実は相性が良いということだ。スピッツを知らない人が「とげまる」の存在やストーリーに触れてスピッツの楽曲を検索したくなることも起こりえる。

 地道に商売を続けて、地域の人を毎日幸せにする。好きな文化を好きでい続ける。音楽というアートと店がリアルに融合して新しいこれからの何かを感じさせる。街のパンの店からじわじわ、しかし着実に音楽の裾野が広がる。小さな個人店の大きな可能性を見た。

著者 須田泰成(すだ・やすなり)
1968年、大阪生まれ。コメディライター&プロデューサー。テレビ、ラジオ、WEBの番組やコンテンツの脚本、構成、プロデュース多数。「スローコメディ広告社」代表。20歳の時に世田谷区経堂へ。2000年に、経堂の個人店と文化を活性化するプロジェクト「経堂系ドットコム」を立ち上げる。WEB「みんなの缶詰新聞」編集長。「経堂経済新聞」編集長。著者に『モンティパイソン大全』など。