2011年に北九州市小倉で産声を上げた「リノベーションスクール」は、市街地にある実際の空き物件(遊休不動産)を対象に、全国から集まった受講者たちが「ユニット」とよばれる7、8人程度のチームを組んで、まちの未来を考える取り組みです。リノベーションの事業プランを練り上げ、最終日に物件のオーナーに提案し、実事業化をめざします。ほぼそのまま実現したものもあれば、かたちを変えてスタートしたもの、さまざまな理由によって実現に至らなかったものもあります。けれどもすべてが実際のまち、建物、オーナーを舞台としたもので、それは同時に日本のどのまちにも、あなたの住むまちにもつながる現代のおとぎ話でもあるのです。このコラムでは、そのなかのごくわずかですが、ぼくの心に残っている物語をお伝えしていきます。

 望むか望まないかに関わらず、いま、まちは大きな変化を強いられています。古くからある個人商店や、休日に家族で出かけるのを楽しみにしていたデパートや映画館といった商業施設だけでなく、地方ではパチンコやゲームセンター、学習塾といった施設もどんどんまちから消えています。今回取り上げる物件がある山形県でも先日、県内で日本百貨店協会に加盟する最後のデパート「大沼百貨店」(山形市)が突如閉店するニュースが流れ、多くの人が驚き、悲しみました。そのすぐ近くには、かつて映画館が立ち並んだ「シネマ通り」がありましたが、いまはその名前だけが残り、映画館は一軒も残っていません。

リノベーションの課題は使い方が限定されること

 リノベーションする物件は、このシネマ通りと平行に走る大通りに面していて、周囲は図書館や創業支援、子育て支援などのサービスが集中する文教エリアです。物件のはす向かいには、歴史的な建物や庭園にもかかわらず、さまざまな市民活動に積極的に活用されている郷土資料館「文翔館」があるなど、閑静なすばらしい環境に恵まれています。

 物件のオーナーは工藤さん。鉄筋コンクリート5階建てのビルは、その名も「工藤ビル」。築53年、延べ床面積800m2のその建物は、かつて全フロアが「工藤塾」と呼ばれる学習塾でした。

 工藤さんは竣工当時に「このビルを単なる不動産投資目的で建ててもつまらない。社会のためになる、人が商品となるような何かがしたい」という強い思いがあり、学習塾を始めたといいます。「授業が終わっても深夜まで付き添ってくれる面倒見のよい先生」だった工藤さんの下へ近所のこどもたちが集まり、気がつけば世代を超えて1500人もの教え子がここを巣立って活躍しています。今では道行くたび誰かから「工藤先生!」と声をかけられるのが日々のささやかな喜びのようです。山形市役所の職員のなかには、「あー! 工藤先生、お世話になったなあ。学校でわからないことがあると時間外でもすごく丁寧に1対1で教えてくれたよ」と懐かしそうに語ってくれる人もいました。

 現在ではさまざまな塾が乱立し、工藤さん自身もむかしのように大人数の生徒を抱える塾を経営することが難しくなりました。そこで1階をカフェに貸し出し、2階では今なお塾として工藤さん自ら教鞭を執っています。

 今回のリノベーションの内容は、空きフロアになっている3〜5階と屋上の使い方を提案してほしい、というもの。ぼくたちは頭を悩ませました。エレベーターのない古いビルのため、使い手はある程度限定されるし、2階でいまなお子どもたちが勉強しているのであれば、大きな音が出たり、お酒を出したりするような業態は難しいだろうと思ったからです。

成長したい人たちが集う場所へ

 スクールの受講生のメンバーと階段を上って各フロアに行ってみると、まずその天井の高さと明るさに驚きました。天井高は3m近くもあり、すべての方向に大きな窓がありました。しかも文教エリアのため、周囲に建物があまり建て込んでいません。どの方向からも窓からの光がさんさんと差し込みます。窓から外を覗くと眼下には文翔館の荘厳な建物と庭がとても美しく広がっていて、最高のロケーションでした。工藤塾の子どもたちは授業中、山形のこんな風景を見ながら育ったんだろうなあ、と思うとなんだか羨ましく、そして嬉しく思いました。

 不特定多数の人がやってきて、お金をどんどん落としていくような場所ではなくて、「学びたい」「成長したい」と願う人たちがやってきて、充実した時間を過ごすような場所。このビルはこれからもそのような場所であってほしいという思いがしました。

 学びの形態はいま大きく変わろうとしている。暗記ばかりの詰め込みではなく、自ら問題を見つけ出し、解決策を導けるような力を身につけるにはどうしたらよいか。学習が幼児期だけのものではなく、生涯を通じて学び続ける基本的な姿勢を育むにはどうしたらよいか。そういったことに対応していく、新しい教育の場としてこの場所を再生するのがよいのではないか。それがきっと工藤さんの思いにもつながるのでないか。ユニットのメンバーたちはそう話し合いました。

 メンバーのひとりに地元で写真や動画を撮影するカメラマンの男性がいました。彼は物件の天井高、大きなサッシ窓のレトロなデザインに、一目で「撮影しやすそう」と感じ、家族の記念写真を撮影する写真館のような使い方ができればいいと思いを馳せました。ところが言うまでもなく、「まちの写真館」というのは人口の減少、機材の発達、大手チェーンの台頭などの要因が相まって、市場は大きく減っています。そこでいま一度メンバー全員で、この場所で、この時代ならではの商いを起こすにはどうしたらよいかを議論しました。