サウナといえば男性が好むイメージがありましたが、サウナブームで多彩なサウナが登場し、男性だけでなく女性の利用客もどんどん増えています。銭湯の元番頭で絵描きの塩谷歩波さんが、全国にある地域色豊かなサウナを訪れ、まちや人との関係を解き明かします。東京・北千住のタカラ湯は、美しい縁側と本格フィンランドサウナがある老舗銭湯。後編では、店主の松本康一さんにタカラ湯の歴史やこだわりを伺っていきます。
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 下町情緒あふれるまち、北千住。駅から歩いて20分くらいのところにあるタカラ湯は、「キングオブ縁側」として知られる美しい縁側と、本格フィンランドサウナをもった老舗銭湯です。2022年2月から放映開始したドラマ「湯あがりスケッチ」(ひかりTV)の舞台にもなったタカラ湯について、後編では店主の松本康一さんに詳しくインタビューします。

右はタカラ湯の松本康一さん、左は塩谷歩波。撮影時のみマスクを外してもらいました(写真:ひとまち結び)
右はタカラ湯の松本康一さん、左は塩谷歩波。撮影時のみマスクを外してもらいました(写真:ひとまち結び)
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松本さん元々、本家が荒川区の三河島(みかわしま)で青果業を営んでいて、昭和2(1927)年に隅田川を挟んだ向かいにあるここ千住の銭湯を買ったそうです。今はないですが、ちょうどタカラ湯の裏手にありました。その銭湯を起点に銭湯業を広げていって、昭和10(1935)年ごろに今のタカラ湯の土地を買い、昭和13(1938)年に建物ができました。神社仏閣を手掛ける職人たちが建物をつくってくれて、玄関には宝船に乗った七福神も彫ってもらいました。

タカラ湯の玄関。右上が七福神の彫り物(写真:塩谷歩波)
タカラ湯の玄関。右上が七福神の彫り物(写真:塩谷歩波)
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塩谷それがタカラ湯の由来ですか?

松本さんそうです。玄関を入るお客さんに少しでも幸運が回るようにと、七福神を入れたそうです。中普請(内装工事)は何度か行いましたが建物自体は昭和13(1938)年から変わっていません。庭も配置などは変わっていませんが、昭和30(1955)年に池の上に橋をかけたり池の中に噴水を設けたりするなどの大きな工事を行いました。

塩谷タカラ湯は縁側と庭が有名ですね。どうしてこの形にしたのでしょうか?

男湯の脱衣所から続く縁側と池(写真:塩谷歩波)
男湯の脱衣所から続く縁側と池(写真:塩谷歩波)
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松本さん当時は今でいうコンビニと同じくらいの数の銭湯があったので、他と差異化するために庭に力を入れました。このあたりは町工場が多く、仕事帰りの人たちが皆銭湯を使うので大繁盛だったそうです。また、この近くにある千住柳町(やなぎちょう)周辺は元々遊郭だったのですが、売春防止法によって一斉に廃業してしまい、女郎さんが住んでいた場所はその後アパートになりました。ほとんどのアパートには風呂がなかったので、その住民さんたちも銭湯に通うようになり、このあたりの銭湯はかなり栄えました。

塩谷建物についても質問させてください。どうして薬湯の壁画が地獄絵図なのでしょう?

男湯の浴室に貼られた地獄絵図。同じ絵が女湯にも飾られている(写真:塩谷歩波)
男湯の浴室に貼られた地獄絵図。同じ絵が女湯にも飾られている(写真:塩谷歩波)
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松本さん北千住駅の近くに、閻魔(えんま)様が祭られている勝専寺(しょうせんじ)というお寺があります。2017年、東京メトロの企画で5軒の銭湯を舞台に、その土地の歴史や文化にちなんだスペシャルなお風呂を体験できるイベントがあったのですが、タカラ湯では勝専寺にちなんだ「閻魔大王の地獄風呂」を実施しました。この絵はそのイベントのときに貼られたものです。イベント中は、少し温度を上げた薬湯に赤い入浴剤を入れて血の池地獄を再現しました。イベント後には絵を剥がす予定だったのですが、あまりにキレイにできていたのでそのままにしたんです。小さいお子さんは怖がるのですが、お父さんが「悪いことすると、ここに行くんだぞ」と教えてあげたりして、情操教育にもつながっているのかもしれませんね。