高知県西南部に位置する太平洋沿いの町、黒潮町。風光明媚でカツオの一本釣りが盛んなこの町は、東日本大震災から1年後の2012年、大きな課題を突きつけられた。内閣府が公表した南海トラフ巨大地震被害想定で、“日本で最も高い津波が来る町”とされたのだ。その最大津波高は34.4m。この衝撃的な数字に、大きな注目を集めることになった黒潮町だが、それから約8年経った現在では、海外からも視察が訪れる“防災先進地”として知られるようになっている。黒潮町はどのように防災に取り組んできたのか。津波被害想定の公表以来、防災計画、対策事業の指揮をとってきた大西勝也町長に聞いた。

高知県黒潮町の大西勝也町長

「最も高い津波が来る町」という衝撃

今回は“日本で最も高い津波が来る町”とされた黒潮町が、どのように防災に取り組み、いかにして“防災先進地”となったのか、その経緯を本サイトの読者に紹介したいと思います。内閣府が津波被害の想定を公表したとき、町はどのような状況だったのでしょうか。

大西町長(以下、敬称略)“津波の町”として知られる以前から、当然、防災への取り組みは進めていました。東日本大震災を受けて、南海トラフ巨大地震に備える防災の新体制を作るべく、さまざまな準備を進めていたのです。2011年7月には南海地震対策推進本部を設置し、防災に特化した部署として“情報防災課”も設立しています。そこで国、県とも連携した人的ネットワークを構築して、2012年4月1日から新体制をスタートさせる予定でした。ところが、まさにその前日、内閣府から南海トラフ巨大地震の被害について新しい想定が公表されたのです。

黒潮町は最大震度7、最大津波高34.4mという大変厳しい推計を突きつけられました。この津波の高さが“全国一の高さ”として注目を集めることになってしまったのですが、大西町長はどのようにこれを受け止めたのでしょう。

大西私は内閣府が公表する前日に知らされたのですが、まさに寝耳に水という感じでした。最大津波高34.4mという数値は従来の想定を大きく上回るもので、その衝撃はかなり大きかったです。ビルの高さにしたら11階ほどですからね。正直、物理的な事象としてイメージも湧かなかったぐらいです(笑)。そして、直感的に「これは大混乱になるだろう」と。初動の混乱をどうやって最小化したらいいか。まずはそこを考えて、新想定公表の直後に職員たちに訓示を行いました。

訓示はどのような内容だったのですか。

大西「どうしようもない」と対策を諦めたり、「生活ができる町ではない」など、これまでやこれからの町の営みを否定したりする考えや発言の一切を禁止し、発言はすべて課題解決に向けたものにしようと伝えました。そして、徹底するように求めたのは、「住民の命を守る」ことを大原則として、すべての職員が防災の当事者であると認識することです。そのうえで、この極めて困難な状況に立ち向かうため、改めて奮起を要請しました。後になって聞いてみると、「あの訓示で腹をくくった」「これから本格的な防災が始まる」といった意識を持ってくれた職員も多かったようですね。

黒潮町役場

一番の当事者である住民の皆さんは、厳しい被害想定についてどのような反応を示されていましたか。

大西実はイメージしていたものとはちょっと違った反応でした。被害想定が公表された3月31日は土曜日で、その直後から取材が殺到し、メディアで一斉に報道がされました。テレビをつけたら、どのチャンネルでも黒潮町が「日本一の津波が来る町」として紹介されている状況で、当然、住民のみなさんもそれを見ているわけです。

 これは問い合わせが殺到するだろうと、翌4月1日の日曜日は役場に電話要員を配置したのですが、予想と違ってほとんど電話はかかってきませんでした。それが逆にちょっとショックで。これは住民のみなさんが諦めに近い気持ちを抱いてしまったのか、あるいは津波被害についてリアリティが持てないのではないか、と。これで防災のスタートラインに立てるのか、そういう不安を感じるところもありましたね。実際に、住民のみなさんの間では「もう諦めた」とか、「津波が来ても逃げない」なんて声も出るようになっていました。

そういった状況の中で、どのように防災計画や対策事業を進めていったのですか。

大西防災に取り組むにあたり、まずは基軸となる思想を持つ必要があると考えました。被害想定では、最大震度と最大津波高などいくつかの数値が示されただけでした。これから情報が順次出てくる中であたふたしないためにも、まずはぶれることのない明確な基軸を作ろうと考えたのです。そこで私たちが掲げた目標が「犠牲者ゼロ」でした。できるだけ犠牲者の数を少なくしよう、といった考え方は「住民の命を守る」という大原則からすればありえません。「住民の命を守る」ことができるかどうかではなく、やるしかない気持ちを表す「犠牲者ゼロ」。この目標がスタート地点でした。

すべての世帯ごとに個別の“避難カルテ”を作成

防災計画、対策事業における具体的な取り組みについて教えてください。

大西新たな被害想定が出たといっても、町のどこにどれだけの被害が出るのか、そういった具体的なものがあるわけではないので、それだけでは個別対策の組みようがありません。そこで最初のミッションとなったのは、町内全61地区の防災・避難インフラの状況確認でした。

 役場の約200人の職員全員を防災担当とする“職員地域担当制”を導入し、それぞれに地区を割り当てて、住民のみなさんに町の防災方針を伝えながら累計200回以上のワークショップを開催しました。そこで避難道路や避難場所など、いわば“ハード面”での課題を洗い出していったのです。それを3~4ヵ月ぐらいの期間に集中して行い、上がってきたものを精査して、防災・避難インフラの整備計画を立てていきました。

避難訓練の様子(写真:黒潮町)

 続いて取り組んだのが、世帯ごとの“避難カルテ”の作成です。地区の実情に鑑みれば、ハード面での整備計画の達成をもって人命が確保できるとは決して言い切れません。たとえば、歩行や視覚に障害がある方もいますし、避難行動の阻害要因はそれぞれの家庭の事情によって、まったく違うものがたくさんあるからです。犠牲者ゼロを実現するためには、そういったすべてを把握する必要があります。

黒潮町では、住民たちが何度もワークショップを重ねて実情を調査していった(資料:黒潮町)
世帯ごとに「避難カルテ」も作成した。災害時に近所で助け合える人の名前を記載した「防災となり組」という項目も(資料:黒潮町)

 そこで、今度は地区をさらに細分化して“班”単位でワークショップを重ねたうえで実情の調査を実施しました。これはもうローラー作戦でしたね。黒潮町にはおよそ5400の世帯があり、そのうち浸水するおそれのある地区に住んでいるのは3791世帯。約1年かけて、そのすべての世帯で個別の避難カルテを作り、住民一人ひとりがどのように避難するのか、実際に訓練を行いながら避難計画を具体化していきました。こちらは“ソフト面”での整備と言えるでしょう。

駅には、避難経路を示した看板が設置されている

ハード面の整備によって、黒潮町の備えはどのようなものになったのでしょうか。

大西町内に6基の避難タワーを備え、避難道路は約230本、避難場所は約150ヵ所を整備しました。避難タワーには、高さ22メートルと全国有数の規模となるものもあります。浸水区域にあった公共施設、保育園や消防署、役場は高台移転も行いました。

佐賀地区の避難タワー。230人を収容できる
早咲地区津波避難タワー

 こうした防災インフラの整備は、実際に災害が発生しなければ意味がないと思われがちですが、私たちの実感としては決してそんなことはありませんでした。ハード面の整備は一度作ってしまえば、その存在が効果を発現し続けます。ワークショップで防災方針を伝えたり、避難計画を作ったりすることも重要ですが、やはりそれだけでは住民のみなさんはついてこないのですよ。「目に見える」ことはとても大事です。ソフト面の取り組みをやりながら、順次、目の前で防災インフラが整備されていくことで、しっかりと防災を意識するようになるのです。黒潮町の場合は、たまたまタイミングよくハード、ソフトの両軸で同時に整備が進められました。その意義は大きかったと思います。