津波被害想定を逆手に取って、「34M」をロゴマークにした第三セクターの「黒潮町缶詰製作所」も注目を集めました。

大西黒潮町を象徴する一つになっているかもしれないですね。ただ、防災事業という意味は当然ありますが、缶詰プロジェクトが始動したきっかけは“産業”なんです。

 ただでさえ、人口減少、産業衰退に歯止めがかからない地方にあって、あのような衝撃的な被害想定を突きつけられたことで、転出の動きがさらに加速するのではないか、という危機感は当然強いものでした。そこから、自分たちで産業を興す必要性に行き着きます。もちろん、公益性や社会的意義があるものにしたい。職員を巻き込んで検討しつつ、東日本大震災の被災地に視察、ヒアリングなどもした結果、いざというときの備蓄になる缶詰、それも7大アレルゲンフリーのものを作ることになりました。2013年3月11日に第三セクターとして「黒潮町缶詰製作所」を設立したので、キックオフから1年程度という行政的にもかなりのスピード感で実現できたと思います。

黒潮町缶詰製作所
黒潮町缶詰製作所

商品も「四万十うなぎ蒲焼き」や「黒潮オイルのごろっとカツオ」といった、グルメ志向でユニークなものが揃っていますね。

黒潮町缶詰製作所の商品。「34M」のロゴマークが入っている
黒潮町缶詰製作所の商品。「34M」のロゴマークが入っている

大西当初から防災に備えた非常食として売り出すつもりはなく、地元の食材を使った美味しい缶詰で、しっかりとマーケットで通用する“売れる商品”を作ることにこだわりました。現在は防災備蓄品、グルメ缶詰あわせて約30種類のラインナップを揃えています。缶詰メーカーとしての歴史は浅いですが、味はもちろん、素材の安全性、衛生管理には自信を持っています。黒潮町缶詰製作所オンラインストアで全国どこからでも購入できますので、これをお読みいただいている読者のみなさんにもぜひチェックしていただきたいですね。

避難について詠まれたおばあさんの詩の変化

町職員と住民が一丸となった防災への取り組み、避難タワーなどハード面での整備、そして黒潮町缶詰製作所の始動などによって、住民のみなさんの意識の変化は感じられましたか。

大西先ほどもお話したように、内閣府が新しい被害想定を出した直後は、諦めムードのようなものが漂っていて「もし津波が来たら、もう死んでもいい」といった言葉を発する住民の方が多くいたというのは厳然たる事実です。たとえば、2012年当時、町に住むひとりのおばあさんがこういう詩を詠んだのです。

「大津波 来たらば共に死んでやる 今日も息子が言う 足萎え吾に」

 この詩を詠まれたときのご本人、ご家族の心情を思うと、本当に胸が詰まるような思いがしました。

 しかし、ハード面、ソフト面の整備が進んでいく中で、だんだんと町のムードは変わっていきました。避難カルテの作成が終盤に入った頃には、「諦めた」というようなことを言う人はほとんどいなくて、「町を上げて防災に取り組むんだ」という情勢ができたことを実感しました。それでおばあさんの詩も変わったのです。次の詩は2014年の作です。

「この命、落としはせぬと足萎えの我は行きたり避難訓練」

 このように非常に前向きになっています。

住民のムードの変化が詩にも表れていますね。

大西こうした良い方向への変化は、やはり職員の力によるところが本当に大きいです。全職員が防災担当として地域に入り、住民のみなさんと対面して、ワークショップを開き、避難カルテを作って、一緒に避難訓練をする。そうした作業の積み重ねが町のムードを変えた一番の要因でしょう。

 それと、黒潮町では子供たちの防災教育にも力を入れています。これは『釜石の奇跡』で知られる片田敏孝・東京大学特任教授にご協力をいただいているもので、狭義の防災にとどまらず、地域コミュニティのつながり、命の教育といったところにまで及ぶ、非常に幅広いプログラムになっているのですね。

 この取り組みを進めていくことで驚いたのは、子どもたちが劇的に地域に入っていくようになったことです。子どもたちが自発的に防災について考え、一番の脆弱性が有する属性について考え、その結果として「じいちゃん、ばあちゃん、大丈夫か」とお年寄りと交流をするようになったのですね。これもまた地域のムードを大きく変えました。やはり子どもたちの地域を動かす力にはすごいものがありますよ。

津波で両親を失ったインドネシア青年との対話

子どもたちといえば、黒潮町では2016年11月に「世界津波の日」高校生サミットの開催地になりました。こちらはどのようなイベントだったのでしょう。

大西2015年に国連が11月5日を「世界津波の日」として制定しました。翌2016年が津波防災の実行元年となり、その啓発イベントとして黒潮町に世界30ヵ国361名の高校生を招いて開催されたのが「『世界津波の日』高校生サミット」です。高校生たちはそれぞれのテーマで防災について事前調査を行い、それを発表して情報を共有し、学び合いました。総会ではその成果、防災への決意を“黒潮宣言”として取りまとめました。

(資料:黒潮町)
(資料:黒潮町)
「世界津波の日」高校生サミット in 黒潮の集合写真(写真:黒潮町)
「世界津波の日」高校生サミット in 黒潮の集合写真(写真:黒潮町)

 このサミットは黒潮町にとって、とても重要なイベントでした。内閣府が津波被害の想定を公表してから、実は住民たちの間には「子どもたちをこの町に住まわせたくない」というような非常にネガティブな声もあったのです。正直、自分たちが自慢にしてきたふるさとに自信を失いかけていた時期ともいえます。ですから、サミット開催地に黒潮町が選ばれ、これが成功して、町と住民のみなさんにとってはふるさとの誇りを取り戻すことにつながりました。私自身、高校生サミットはとても思い入れのあるイベントであり、黒潮宣言は非常に大きな成果だったと思います。そして、この黒潮宣言については、個人的にも大切な思い出になっているエピソードもあって……。

ぜひ聞かせてください。

大西黒潮宣言は「自然の恵みを享受し、時に災害をもたらす自然の二面性を理解しながら、その脅威に臆することなく、自然を愛し、自然と共に生きていきます。」という言葉で結ばれており、これは私たちの防災についての基軸のひとつになっています。

 ただ、ちょっと心にトゲが刺さっているような思いもあったのです。それは、津波で大切な人を失ったような人にとって、この黒潮宣言の結びの言葉はどのように響くのか、ということ。そうした被害に見舞われた人にとっては、自然は愛すべき対象、共に生きていこうと思える対象とは思えないのではないか、と。

 しかし、サミットの翌月、そうした思いに応えてもらえる出来事があったのです。サミットに参加した高校生の一人、インドネシアのアチェ州出身のムハマド・ハイカル・ラジ君がジャカルタの防災シンポジウムにゲストスピーカーとして招かれました。私はそのシンポジウムで彼と再会しました。

 実は彼は2003年のインド洋の津波でご家族を失っているのです。彼としばらく一緒に過ごす時間があったので、私は懸念していたことを話し、「黒潮宣言が君を傷つけてしまったかもしれない」と謝罪の気持ちを伝えました。するとラジ君は、「自然を恨むような気持ちはまったくありません。災害すらも神とともにやってくるものです。黒潮宣言に賛同しています」と応えてくれたのです。ラジ君は自然を受け入れたうえ、まっすぐ前を向いていました。その言葉にとても強烈な印象を受け、逆にこちらが救われたような気持ちになりましたね。この対話は今でも深く心に残っています。

備えるべきを備えてみんなが笑って過ごせるまちづくり

日本一の高さの津波に揺れた黒潮町ですが、大西町長のリーダーシップのもとで防災に取り組んできた結果、今では“防災先進地”として、良い意味でその名を知られるようになっています。振り返ってみて、防災に取り組むにあたって大切なことはどのようなものでしょうか。

大西私のリーダーシップについて良く言っていただくことはあるのですが、何か特別なものがあったわけではないですよ。びっくりするような被害想定を突きつけられて、「なんとかしないといかん」と思っただけで、職員もまた、私と同じように感じてくれたことが何より大きかったと思います。みんな、公務員としての矜持がありますし、なにより自分たちの大事なふるさとですからね。

 やはり、トップダウンで一律の基準やガイドラインを作って、それを押し付けるような防災はうまく機能しないでしょう。みんなが防災について当事者意識、主体性を持つことが重要です。私たちの場合はそうなるように強制的に追い込まれたところもあるのですが(笑)。

 ただ、そういう意識を持った職員たちのおかげで、住民のみなさんにも「主体的に関わっていこう」という意識が積み上がったのだと思います。やはり、あれだけ厳しい被害想定を受けて一度はひどく落ち込んだところを、町全体で乗り越えた経験はとても大きいです。

今後、どのように防災やまちづくりを進めていこうとお考えですか。

大西土砂災害について新たな取り組みを始めています。津波対策や防災教育についても試行錯誤を繰り返しながら、新しい気付きがあれば、その都度改善する。これを地道に繰り返していくだけなのです。“防災先進地”と言われることについても、確かにやるべきことをしっかりやっている自負はありますが、当然、朝から晩まで防災のことだけをやっているわけではありません。

 黒潮町はカツオの一本釣りをはじめ、美しい景色に豊かな自然、誇るべきものは本当にいっぱいあるのです。言うまでもなく防災は非常に重要ですが、それと同等に幸せなまちづくりも重要です。これまでと同じように黒潮町が本来持っていた魅力を発信し、住民のみなさんが元気に明るく、笑って過ごせるようなまちづくりをめざしたいと思っています。

後編はこちら

町分避難広場から見た黒潮町。左側に見える建物は佐賀地区の避難タワー
町分避難広場から見た黒潮町。左側に見える建物は佐賀地区の避難タワー