緊急事態宣言下における「ステイホーム」の日々は「自宅が災害時の避難所」になったかのようだった。宅配便に怯え、買い物は週イチ。不安になった人々が買い占めるため、生鮮品は早く売り切れ、人々は目についた食べ物を争って買い、幾度となくスーパーの棚から食品が消えた。そんな状況下で特に苦しんだのは、アレルギー症状のある子どもを持つ親だった。アレルギー患者には普通の食事に含まれる食材に危険が潜む。そうしたなか、南国・土佐、高知県黒潮町の小さな工場がつくる食品が、安全を願う家族に希望を与えていた。(黒潮町の大西町長に津波対策を聞いた前編はこちら

 新型コロナウイルスの感染を防ぐ「ステイホーム」の暮らしは、アレルギー症状がある子どもを持つ親にとっては特に大変で、その状況は今も変わらず続いている。

 筆者は4年前の2016年2月から地元の東京・経堂で子ども食堂を運営しており、毎週、全国から寄付される食材を分けるフードシェアなどを通じて数十名の子どもたちと関わってきた。

筆者が地元である東京・経堂にて運営している「経堂子ども文化食堂」でのワンシーン。お家で食べるためのフードシェアはもちろん、陶芸、落語、書道、お絵描きなどの文化体験、鰹節削りなどを含む料理体験と食事といった内容で構成する(写真撮影は筆者)
筆者が地元である東京・経堂にて運営している「経堂子ども文化食堂」でのワンシーン。お家で食べるためのフードシェアはもちろん、陶芸、落語、書道、お絵描きなどの文化体験、鰹節削りなどを含む料理体験と食事といった内容で構成する(写真撮影は筆者)
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 小麦アレルギー、卵アレルギー、甲殻類アレルギーなど、アレルギーを持つ子どもたちは普通にどこにでもいるというのが実感だ。ついうっかりアレルゲンを含むものを口にしてしまい、顔の半分が腫れ上がったり、上半身を紫色の発疹が覆ったりするのに驚き、心配してきた。

 緊急事態宣言以降のフードシェアでは、このアレルギー対策が課題となった。読者の皆さんも体験されたようにスーパーでの食糧調達が難しくなったからだ。そして、アレルギー持ちの子どもたちを育てるシングルマザーにとっては難しい時期となった。

 例えば、小麦の入った食品を口にすると全身に発疹ができ、痒(かゆ)がって夜通し眠れない幼児を抱えた母親は、小麦を含むことの多いインスタントや冷凍食品、総菜など出来合いのものを避け、肉や魚、野菜などの生鮮品を素材から料理する。シチューなども小麦を含む市販のルーは使わず、牛乳と生クリームを加えて仕上げる。年上の兄弟がスパゲッティやうどんを食べていると、幼児も「チュルチュルたべたい」となる。そういう時はグルテンフリーのパスタや米粉の麺で代用するなど、苦労と工夫は毎日続く。

 「緊急事態宣言の後、スーパーに行っても欲しい食材が手に入らないことが増えました。アレルギーのない子には妥協して棚に残った食品を食べてもらっても良いですが、アレルギーのある子にそれはできません。時に生命の危険もあるので、なんとしてでもアレルゲンフリーの食品を手に入れないと」と話すのは、小麦アレルギーの2歳児を持つ母親だ。

 そうした新型コロナウイルス影響下のフードシェアで活躍したのは、食品の7大アレルゲン(卵、乳、小麦、えび、かに、落花生、そば)を含まない缶詰シリーズだった。高知県の小さな工場で作られたもので、たまたま縁があり、工場担当者が「子ども食堂で使ってください」と寄贈してくれたのだった。

 筆者は、2020年2月末、その工場を訪れていた。

「津波34mの町」が生むアレルゲンフリー缶詰

 筆者が2月に訪れたのは高知県黒潮町。高知駅から特急あしずりで1時間半。土佐黒潮鉄道の土佐入野駅で降りると、工場の担当者で、黒潮町役場の職員・友永公生さんが出迎えてくれた。

 まずは車で町内を案内してもらった。最初に向かったのは駅からすぐの太平洋に面して延々続く白い砂浜。ここは約4kmの自然の砂浜を利用して展示やイベントなどを行う「砂浜美術館」でもある。「私たちの町には美術館がありません。美しい砂浜が美術館です」という言葉とともに1989年に開かれ、それ以来、毎年5月にたくさんのオリジナルTシャツが青空の下を舞う「砂浜Tシャツアート展」などユニークな企画で注目を集めてきた。

 目の前の太平洋は圧巻。そこを流れ、南の海からカツオなどの海の恵みを運ぶ暖流・黒潮が町名の由来なのだった。

 「この美しくて豊かな海と砂浜は町の誇りで、この町の名物として有名なカツオの一本釣り漁もこの海あってこそ。ただ、南海トラフ地震が来ると最大で34mの津波が町に襲いかかると予測されていて」

 海を見つめながら語る友永さんの言葉は重かった。

黒潮町役場の職員、友永公生さん。缶詰の製造会社である黒潮町缶詰製作所にも在籍している。株式会社黒潮町缶詰製作所はいわゆる第三セクターで、黒潮町の出資により設立された。役場側の担当者として黒潮町缶詰製作所を支援しながら、製作所と共に町の外商戦略を推進している(写真撮影は筆者)
黒潮町役場の職員、友永公生さん。缶詰の製造会社である黒潮町缶詰製作所にも在籍している。株式会社黒潮町缶詰製作所はいわゆる第三セクターで、黒潮町の出資により設立された。役場側の担当者として黒潮町缶詰製作所を支援しながら、製作所と共に町の外商戦略を推進している(写真撮影は筆者)
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 その予測が発表されたのは、東日本大震災の翌年2012年。内閣府の調査結果に衝撃のデータが含まれていたのだった。

 「歴史を振り返ると津波被害は何度も記録されているので覚悟はしていました。ただ、数字の大きさには正直ショックでしたね」

 発表を受けた黒潮町は大西勝也町長が号令をかけ、対策を練り始めた。緊急時に備える避難の仕組みを作り、それを住人が共有するよう努めた。「もしもの時に備えて備蓄食料と復興には産業も必要」と、東北の被災地を視察して、三陸に多い缶詰工場を黒潮町にということになり、友永さんは担当となった。

 「被災地の避難所を見学して、非常時の食の大切さを学びました。特に重要なのは食物アレルギーの問題で、アレルゲンフリーの食材備蓄がないと、避難者の命にかかわる問題になります」

 アレルゲンフリーの缶詰は、東日本大震災の教訓から生まれた。工場の創業は震災から3年後の2014年3月11日だった。