まちづくりは、概念、プロジェクト、ミッションにシフトする

田鹿最近、私は「行政区としての日南市がある」というよりは、「日南という概念、あるいはプロジェクトがある」という考え方でいたほうが、まちづくりの本質とマッチするんじゃないかと思っています。

 日南という地域に興味を持ってくださる人、日南という場所で何かをやりたいという人、日南の概念に共感してくれる人を地域内外から募って、プロジェクトを組み、日南にある地理的な資源を活用しながら、皆さんのチャレンジを支援する。そういう中で、人が幸せになるための地域とは何だろうか、と考えていく。

 日南市では農林水産や観光など、さまざまなプロジェクトを進めています。日南という概念、日南で行われているさまざまなプロジェクトに共感し、一緒に進めてくださっている人が、市の中にもいて、外にもいる。こうしたプロジェクトの集合体が日南市であると解釈できるわけです。

 地域と概念の関係性という点では、スポーツのチームはまさに概念です。例えば「日本チーム」に海外出身の人が入っているスポーツ大会もあります。それでも私たち日本人は仲間とみなして応援します。仮にその選手の出身国が、外交面や文化面では対立関係にあるとしてもです。

 日南市はプロ野球チームである広島カープのキャンプ地です。広島カープと巨人はライバルですが、それにもかかわらず、例えば巨人から選手が移籍してくると、元ライバルチームの選手であってもカープのファンは熱烈に応援するわけです。つまりファンの人たちは、それぞれのチームが持っている概念に愛着を持っていて、概念を応援していると解釈できます。

油津商店街の最寄り駅、JR油津駅の駅舎は「カープ色」だ。日南市は広島カープのキャンプ地であり、地元をあげて応援している(写真撮影は筆者)
油津商店街の最寄り駅、JR油津駅の駅舎は「カープ色」だ。日南市は広島カープのキャンプ地であり、地元をあげて応援している(写真撮影は筆者)
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観光で何度も訪れて気に入っている土地には、愛着がわき、応援したくなります。確かにその場合は、自分の居住地は関係ないし、対象である土地の行政区域のことはさほど意識しないように思います。

田鹿市町村の合併によって行政区は変わる可能性がありますが、行政区が変わる中でも、概念として人々の印象に残る地域というのは結構あります。例えば九州で言えば鹿児島県の知覧です。ここは旧日本軍の特攻隊の基地があった土地で、「戦争の悲惨さを後世に伝えていく」というミッションを担っていると解釈できるでしょう。

 行政区としては、以前は知覧町で、今は南九州市となっています。でも、知覧という土地の名称は変わらず人々の印象に強く残り、ミッションが継続していくわけです。

 これからのまちづくりは、概念、プロジェクト、あるいはミッション、そのような観点から見たものにシフトしていくように感じています。そういう中で、まちという実体をどうするかを考えて、盛り上げていく。行政区は時代によって変わりますので、その観点に捉われていると、まちづくり・地域おこしの本質を見失いかねません。

油津商店街に居を構えたIT企業はまさに、日南という概念、あるいはプロジェクトに興味を持ち、共感したからこそ、日南に来たと言えそうですね。

都会の若手に刺さる日南の魅力とは

田鹿最近、私がコーディネーターを務めるローカルベンチャー事務局では、日南市への移住相談や就職相談を受け付けています。私も移住のご相談をよく受けるのですが、6〜7年前だと「リタイヤ後の移住先として日南を考えている」というお話が多かった。しかし今は、20代後半、特に28歳前後の方からのご相談が多いですし、実際に日南市としてもここは重視しているターゲットです。この年代の女性には、「都会での生活には慣れたけれども、その延長線上に自分が送りたい人生があるとは思えない」という方もいらっしゃいます。

 過去に開催した待機児童の問題に焦点を当てた移住相談会は、都会の方にすごく刺さりました。共働きしようと思っていたが認可保育園に入れない。そうであれば、お父さんかお母さんのどちらかが仕事を辞めて育児に専念するか、それとも毎月10万円前後の資金を投じて認可外の保育園に預けるか、という判断に迫られます。

 日南なら市の認可保育園に預けられるし、共働きできる環境がある。実質的な収入を考えると、実は都市部とそう変わらない。認可保育園の不承諾通知があれば必ず日南市内の認可保育園に入れます、という移住キャンペーンを提供したところ、この前は2組のご家族が日南に移住を決めました。この2組は、それまでまったく日南に縁がなかったという方々です。

子育てに関するご都合が移住のきっかけとなっているのでしょうが、大きく考えると、日南がもつ概念や、まちづくり・地域おこしに懸命な日南のプロジェクト志向に惹かれたのでしょうね。

田鹿そうとも言えますし、元々日南が備えている魅力を言語化して説明したところ、それに共鳴していただいたのだと思います。日南の魅力は、ずっとここに住んでこられた方々が代々培ってきたものなので。

日南の“時価総額”があるからこそ伝わるもの

田鹿油津港には、南蛮貿易時代はポルトガルからの船も来ていました。ここはそれくらい、外から人が来ることについて寛容な土地なんです。だからこそ若い市長が生まれたり、IT企業が来やすかったのだと思います。

 日南があった飫肥(おび)藩の隣には薩摩藩がありました。飫肥藩は5万石ですが、これに対して薩摩藩は70万石です。それでも飫肥藩は約250年間、薩摩藩の脅威から自らの土地を守り抜いてきました。藩をあげて林業を育て、武士も農業に従事し、農民も武器の扱い方を覚え、身分に関係なく一緒に飲み会などをしていたそうです。

 このような歴史の積み重ね、それを背景にした地域の人たちの誇りや熱量、そうした要素を掛け算して出来上がった日南の“時価総額”がある。この時価総額があるからこそ、地域外の人にも日南の概念が伝わりやすいのだろうと思います。

 日南の場合、積み重ねられてきた時価総額に加えて、油津商店街などの活動を通じて地域外の方にも興味を持っていただくことが増えています。そこで、引き続き日南という概念とそのイメージをうまく活用しながら、プロジェクトを企画して進めていくといいだろうと思っています。

 地域は一つの経済圏と捉えることができますが、ネットワーク上に形成される概念上の経済圏もあります。いろいろなプロジェクトを進めていくことで、実存する日南エリアの市場とネットワーク上の市場、それぞれの市場が立ち上がってくることも考えられます。

地域を概念として抽象的に捉えることで、逆に見えてくるものがある。むしろそのほうが、遠くにいる人を引きつけて、縁をつないで、その結果、実体としての地域が活性化する。そう考えると、私たちは心の世界に複数の地域との縁を持っていて、知らぬ間に地域のプロジェクトメンバーとして参加しているのかもしれませんね。田鹿さんご自身は、主にIT企業の誘致という側面から携わってこられた油津商店街の活性化について、どう評価されていますか。

田鹿活性化については国からの補助金が入っていますので、国が示したKPIはもちろん考慮してきました。だからこそ、油津商店街は安倍首相のスピーチで地方創生の成功例として取り上げていただきました。

 でも先程申しましたように、「商店街は再生していない」とおっしゃる地元の人たちもいて、その気持ちもわかります。成功か失敗かという基準は評価する人にとってバラバラであるため、私にとっては、決めたことに取り組んできたというそれ以上でも、それ以下でもありません。

 ただ、取り組みの結果に対してまったく興味がないわけではありません。例えば、「ずっと東京で働いていたけれども、親の体調が思わしくないので日南に戻りたい。キャリアが生かされない仕事に変えるのが懸念だったけれども、キャリアを継続できるから日南に戻ってきた」という方がいます。

 また、「孫が地元に就職してくれて三世代で食卓を囲めるようになった、すごく楽しい」と言ってくれたおじいちゃんがいます。さらには、お子さんがいらっしゃる女性で、宮崎市まで自家用車で1時間半くらいかけて通っていたけれども、地元の企業に就職できて、お子さんを育てるのが楽になってとても幸せです、と言った人がいます。

目の前にいる人の人生の変化が見える

 IT企業の誘致は人口動態や有効求人倍率の差といった、データの動向に着目して実施しました。でもそうした施策によって、目の前にいる人の人生がどう変わってきたのかが見える。個人の人生に直接アクセスできるというのが面白いんです。私にとってはそれがすごくやりがいがあって、うれしい。

 これが、私が日南で仕事をしていて非常に面白く感じるポイントなんです。大企業の会社員生活だと、どうしても成果が表計算シートの数字に集約されてしまうことが多い。でも地域の仕事は、地元の人たちの顔が見える。これが醍醐味です。だから、今はもう都会で働こうとは思わなくなりました。

 自分がここに住んでいて、相手も近くに住んでいて、近所ですれ違って話を聞ける。一人ひとりの人生に、自分の仕事がどう変化を提供できたのか、実感がわく。この手触り感はやみつきになります。

 「日南の仕事が終わったら、もっと大きな都市に行くの?」と市民の方から聞かれることがあります。「将来のことは分かりませんが、日南にいられる限りはいたいですね」と冗談ぽく答えているのですが、本心では「日南の魅力を知ってしまったら他では仕事できないですよ」と思っています。