宮城県塩竈市は、東日本大震災で震度6強の揺れと4mの津波に襲われた(塩釜港)。いま町中のいくつもの場所に津波の到達地点が表示され、港のそばでは「マリンデッキ塩釜」と名付けられた津波避難デッキが頭上を走っている。震災から7年が経過した2018年、取り壊しの危機を乗り越えて、一つの歴史的建造物が再生を果たした。「旧ゑびや旅館」だ。この建物がどのように往時の姿を取り戻し、人々に受け入れられつつあるのか。「特定非営利活動法人 NPOみなとしほがま」事務局長の大和田庄治さんと、旧ゑびや旅館1階で「カフェはれま」を切り盛りする菊池千尋さんにお話を伺った。

津波に備える「マリンデッキ塩釜」

地域政界の有力者・海老藤蔵が建てたゑびや旅館

 ゑびや旅館は、江戸時代後期に塩竈で宿や経営をしていた海老藤蔵(えびとうぞう)が建てたことがわかっている。慶応3年に起こった塩竈の大火で一度消失。町の復興とともに現在の場所に再建されたという。また、明治天皇東北巡幸の際に同行していた大隈重信以下24名が泊まった記録もある。大隈重信はおそらく最も良い3階の「桜の間」で就寝したと想像できる。

 その後、上野〜仙台〜塩竈間の鉄道が開通すると、当時の駅前には船溜まりが設けられ、船の発着が頻繁になる。町は賑わい、ゑびや旅館は塩竈の芸者衆と旦那衆によるお座敷文化の舞台となった。

 いま、私たちが「旧ゑびや旅館」として見ることのできる再建された建物は、実は、東日本大震災よりはるか前から旅館ではなくなっていた。洋品店を経て、震災直前には茶舗松亀園(しょうきえん)が営業していたそうだ。

カフェはれまの清潔な暖簾
旧ゑびや旅館向かいの御釜神社

倒壊はしなかったものの、津波被害で再建不可能に思われた

 東日本大震災の津波によるゑびや旅館の被害は港付近ほどではなかったが、それでも松亀園の1階を飲み込むには十分な高さだった。海水に浸かった調度や生活用品などは、潮や泥の匂いでもはや使うことはできなくなった。それらは常に津波の恐怖を思い起こさせるものでもある。松亀園のオーナーは、更地にして売却することを決めた。

 その話がNPO法人「みなとしほがま」に漏れ伝わってきた。すでに市役所への解体申請も済ませ、建具関係などは半分搬出し終えていた。

 みなとしほがまの事務局長の大和田さんはその数年前、千葉大学の学生グループが塩竈の建物調査で来訪した際に、松亀園を紹介し、下調査に参加していた。ゑびや旅館は「小宿貸し座敷」という遊興の場として利用されていたらしい。建物は建築史的にも、遊興の歴史としても貴重なものだった。

「解体するなら本格的に調査させてほしいと、改めてオーナーにお願いしました。つまり、当初、解体ありきで話が進んでいたのです。貴重な建築だから残すべきだとしても、それには相当な資金が必要です。調査のために待ってもらった解体期限まであと1カ月。残すか残さないのか。判断の期限が迫るなか、市民のみなさんの記憶に残してもらうために、見学会を企画しました」(大和田さん)

 「松亀園たてもの見学会」は合計3回開催され、建物の意義を感じた市民から残したいという意見が数多く寄せられた。そこでオーナーに解体中止を要請。解体申請を取り消す一方、みなとしほがまが土地と建物を取得し、建物を保存することになった。

 その後、市内各団体・組織に呼びかけて建物の「お掃除会」を毎月開催した。お掃除会が終わって開く車座会議が、建物の活用に向けた議論の場となった。議論を進めつつ、公的な補助金や民間の資金も得て修復工事も行った。約8カ月にわたる修復工事が終わったとき、その姿は木造三階建のゑびや旅館を再現したものとなり、それまでの松亀園ではなく「旧ゑびや旅館」と呼ばれるようになった。

2階の廊下。窓からは御釜神社が見える
壁を剥がすと、そこには粋狂な宿泊客の?いたずら書きがあった
2階の大広間。週末だけ開放されている

コミュニティ・カフェ、まちかど博物館としての活用。

 大和田さんは「車座会議の際に、お掃除会のメンバーだった菊池さんから、コミュニティ・カフェをやりたいというお話があったんです」と話す。

「東日本大震災のあと、泥かきのボランティアで江戸時代から続く地元の旧家に入ったんです。そこで、水に浸かったものはみんな見たくないから捨ててくれと言われました。仙台箪笥など本当に価値あるものがどんどん廃棄されるんですよ。『このままだとこの町、どうしようもなくなるぞ』って思ったところがあって、松亀園のお掃除会に参加したんです。このままでは、町は息が詰まってしまって、どうしようもなくなると思うので、メスを入れるようなことをやりたいと感じました。それがみんなが集まることのできるコミュニティ・カフェという提案だったんです」(菊池さん)

 菊池さんは古物商の資格も取り、アンティークの商品を揃えながらカフェをつくりあげていった。2階は大広間、3階は小宿貸し座敷の風情残る小部屋が並んでいる。なかでも大隈重信が宿泊したであろう「桜の間」では、天井の桜木が修復・復元され鮮やかな彩りを添えている。2階以上は、週末のみ見学ができる、まちかど博物館になっている。

カフェはれま店主・菊池千尋さん。骨董好きが高じて古物商の免許もとってしまったという。まちかど博物館の入場料は大人300円、中学生以下200円だ

歴史的建造物が新しい動線を生み出す。

「旧ゑびや旅館ができたことで、観光客の方がこちらに足を向けてくれるようになったなと思います。以前はバスや車で塩竈神社まで行くと、そのまま帰ってしまっていましたから。市が古い公民館を改修してつくった杉村惇美術館や、同じく歴史的建造物である亀井邸の存在も大きいです。これらを巡るような人の流れが新しく生まれました。人の動きが生まれると喫茶店が新たにいくつかできたり、ジェラート専門店ができたりして、それがまた町の賑わいにつながっていると思います」(大和田さん)

 再生された歴史的建造物が町の人の流れを変えた。なぜ、人はそこに足を運ぶのだろうか。「塩竈の歴史や文化を語るときに、実物があるのとないのとでは違うと思うのです。この建物で、こういうことがあったんだとか、こういう人が使っていたんだとか、時代が変わったとしても同じ空間を共有できるわけです。そこが古い建物の魅力なのかなって思いますね」(大和田さん)

 古い建造物だからこそ町の人々に共有できるものがある。しかし、その価値は誰かの気付きや学びによってしか発掘されないのではないか。塩竈ではNPO法人みなとしほがまが、その役割を果たした。

最上級「桜の間」の天井に描かれた桜の日本画
3階の小宿をつなぐ廊下。暖簾向こうの右手に「桜の間」がある
3階の窓。ここだけは松亀園の面影を残している
松竹梅のうちの「梅の間」。梅がモチーフに設えられている
お話を伺ったNPO法人みなとしほがま事務局長の大和田庄治さん