世界遺産である石見(いわみ)銀山のお膝元、島根県大田(おおだ)市大森町。この地にある義肢装具メーカーの中村ブレイスは、私財を投入して60軒以上の古民家を再生してきた。今では移住者も増え、かつてのにぎわいを取り戻しつつある。理想的な「まちの復活史」を関係者に聞いた。

石見銀山から生まれた全国でも名高い義肢装具

 2007年、世界遺産に登録された石見銀山。島根県大田市大森町に位置するこの銀山は、戦国時代から江戸時代前期にかけて栄華を誇った。当時は国内への供給のみならず海外へも輸出。最盛期、日本の銀は世界の産出量の約3分の1を占めたとされるが、そのほとんどが石見銀山で産出したものとみられている。

 お膝元である大森町には、銀山のピーク時に20万人もの住民がいたという。2020年9月1日現在、大森町の人口は400人とだいぶ減ってしまったが、今も往時の面影を残す。山間にまるでそこだけ開けたかのようにレトロな町並みが並び、多くの観光客を魅了してやまない。

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昔の面影を残す大森町の町並み(左)。県外からも多くの観光客が足を運ぶドイツパンの名店「ベッカライ コンディトライ ヒダカ」(右)

 この地で1974年に創業したのが中村ブレイスだ。義肢装具の製造販売を生業とする同社は、病院販売向けのオーダーメード製品のほか、規格化した既製品事業、個人向けの人工乳房や人工補正具(欠損した指や手、顔面の補正具)を手がけている。既製品は体幹装具、各種サポーター、シリコーンゴム製足底板などが中心で、同業者向けに販売している。ほとんどの義肢装具業者が病院販売向けのみを扱うなか、業者販売、個人販売の3本柱があるのが同社の強みと言える。

 雇用は大田市や近隣の出雲市など地元からが中心だが、高い技術力に定評がある同社に憧れて北海道、東京、千葉、広島など全国各地から就職した社員もいる。創業者であり現会長の中村俊郎氏がたった1人で始めた会社は、現在は81人を擁するまでに成長を遂げた。

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町並みの入り口に本社を構える中村ブレイス(左)。玄関前の石碑には、かつて取材に訪れた松本清張氏による「空想の翼で駆け現実の山野を往かん」の言葉が刻まれている(右)

 その一方で、中村ブレイスは個人資産を費やして古民家再生活動を継続してきた稀有な存在でもある。このまちに生まれ育った中村氏が米国や京都での義肢装具修行を終えてUターンしたとき、まちがかつての輝きを失い、みるみるうちに廃れていく様を見たことが活動のきっかけだった。「再び世界に誇れるまちにしたい」との思いが原動力となり、事業が軌道に乗った1980年代半ば以降は、ほぼ毎年のペースで町の古民家を改修・増築。2019年までの間に63軒を再生した。

 世界でも類を見ないこの偉業を、創業者一族はどのように見ているのか。2代目として家業を継いだ中村宣郎氏に話を聞いた。