――ドライバーレスの完全自動運転車が人身事故を起こした場合、誰に対して刑事責任を問うことになるのか。

自動車事故で問われる刑事責任としては、たとえば業務上過失致死傷罪がある。同罪で被告人を有罪とするためには、その人の過失を検察官が立証しなければならない。完全自動運転車の場合、刑事責任を問われうるのは誤った運転をした人工知能ではなく、その人工知能を開発したメーカーの担当者やプログラマーだが、過失の立証は極めて困難になるだろう。

なぜなら、ディープラーニング(深層学習)で経験を積んだ人工知能の場合、プログラミングをした当人といえども、人工知能の判断ミスや操作ミスを、事前に予測することは不可能に近いからだ。

人身事故で被害者がいるのに、刑事責任を問えないということに納得できない人もいるだろう。被害者が出た以上、誰かが責任を取るべきだという考えだ。しかし、過失が証明できない以上、刑事責任を問うのは難しい。

大事なことは、なぜ我々が自動運転車を受け入れようとしているかにある。それは、人間が運転するよりも自動運転車の方が事故を起こさないと考えられているからではないだろうか。私は、社会が完全自動運転車を受け入れる際には、「二つの絶対」が重要だと考えている。一つは「絶対に事故は減る」であり、もう一つは「それでも絶対に事故はなくならない」だ。

事故が減るのでなければ、社会が自動運転車を受け入れる意味はない。自動運転車を受け入れることによって、全体として事故が減るのであれば、それでも生じた事故については、刑事責任を問えなくても、社会的に許容される余地はあるのではないだろうか。

――被害者救済の観点で議論すべきことは何か。

加害者の責任追及を本質とする刑事手続と異なり、事故の民事手続は、被害者の救済が本質だ。有人運転を前提とする現行保険制度では、自動車事故が起こった場合、被害者の損害は自賠責保険と任意保険によって補填される。自賠責保険は、事実上の無過失責任として運用されているが、任意保険による救済を受けるためには、被害者がドライバーの過失を立証する必要がある。

しかし、完全自動運転車の場合、被害者がプログラムの欠陥やメーカーの過失を立証することは非常に困難だ。そのため、現行保険制度のままでは、被害者の救済が不十分になることが懸念される。有人自動車にひかれた場合より、無人の自動車にひかれた場合の方が損になるようでは、完全自動運転車は社会に受け入れられない。

完全自動運転車が起こす事故の被害者を救済するためには、自賠責保険と同様、事実上の無過失責任となる保険制度をつくる必要がある。加えて、賠償金額は自賠責保険の金額ではなく、任意保険で賠償される金額を保証しなければならない。保険料が上昇すると心配する向きもあろうが、事故率が下がるので、保険料はさほど上昇しないだろう。

もっとも、交通事故には、被害者側にも信号無視などの過失が認められる場合がある。過失割合に応じた損害分担を行うため、自動運転車にはドライブレコーダーの装着が義務付けられるだろう。

一般の自動車と完全自動運転車の間で不公平がない形にしようとすれば、完全自動運転車の社会実装は、自動運転車のオーナーに事実上の無過失責任を負わせ、任意保険並みの保険金を支払う強制保険制度の実施とワンセットにならざるを得ないと考える。保険会社は、被害者救済を実施した上で、自動運転車に欠陥等があれば、メーカーに求償すればいい。

保険制度が見直されるまでの間、完全自動運転車の実用化は「エリア限定の移動サービス」として始まるだろう。その際、移動サービス事業者は国交省や地方自治体からの特別な許可を得てサービスを始めることになるわけだが、その許可時に対人・対物無制限の賠償保険加入を義務づけることになると見ている。

――自動運転車の法論議の中で「トロッコ問題」が問われることがある。論点はどこにあるのか。

完全自動運転車の法的問題を検討する際に、議論すべきテーマとしてしばしば登場するのが「トロッコ問題」だ。

トロッコ問題は、五人か一人かという思考実験のように見えるけれど、自動運転車の法論議の観点で言えば、法規制の大前提となる哲学の問題であり、優先すべきは何かという問題だ。新たな法制度を作るには、その前提となる倫理や哲学を共有しなければならない。自動運転車向けの法規制を考えるには、その前提となる哲学が必要になる。それは「いかなる価値を優先すべきか」という倫理の問題にほかならない。

自動運転車の優先度で最も大事なことは、「人間優先」の思想であり、この点について異論は少ないだろう。次に問題となるのは、「車内の人間と、車外の人間のどちらを優先するか」だ。この問題には、さまざまな考えがありうるところだが、重要なことは、その優先順位が国によって、またはメーカーによって異なってはならないということだ。

そのため、自動運転車が従うべき優先順位のルールには、国際的な合意が必要となる。この合意の下で各国の法制度が作られ、最終的には交差点での進行のあり方といった細則に落とし込まれることになる。

自動車は世界共通のルールで運用されているものであり、そのルールは国際条約や国際標準を基に、各国の運用細則に落とし込まれている。完全自動運転車がある社会には、自動運転のための詳細な運行基準マニュアルが整備されていなければならない。その要件を満たす自動車だけが公道を走ることができることになるだろう。

――完全自動運転車の登場によって注意喚起すべきことはないか。

わが国では、昭和30年代、40年代に開発された郊外の住宅地における高齢者向け送迎サービスが実現されると予想している。これらの住宅地では高齢化と過疎化が進行している一方、巡回バスは運転手不足やコスト増の悩みを抱えているため、自動運転車導入のニーズが高い。高齢化・過疎化した郊外の住宅地は、通行人や自動車の数が少ないから、衝突事故のリスクは小さい。高齢者の送迎を主目的とするから、運行速度は時速20km程度でもかまわないので、頑丈な車体は必要なく、コストも押さえられる。

ただし問題もある。「乗降時の転倒」の危険があることだ。いわゆる新興住宅地の多くは山を削ってつくったため坂が多い。坂道に停車して乗降すると、高齢者がバランスを崩したり、小さな段差につまずいたりして転倒する事故が起こりうる。もし、降車直後に高齢者が転倒したのに、自動運転車が何もせず走り去ったりしたら、送迎サービスの運営主体が法的責任を問われることもありうる。

このようなケースを避けるために、完全自動運転車の運行規則の中に車体周辺の状況を把握し、転倒などの異常事態の報告・通知義務を課す規則を組み込むべきであろう。そのような運行規則があれば、メーカーはそれに対処する技術を開発・実装するだろう。

この乗降時の転倒問題は自動運転全体から見れば小さなリスクかもしれないが、自動運転という新しい社会を描くには、このような小さなリスクを指摘し、解決していく作業が重要だと考えている。

※この記事は日経BP総研 クリーンテック研究所の研究員が執筆し、日本経済新聞電子版のテクノロジー分野のコラム「自動運転」に掲載したものの転載です。