新型コロナウイルスの感染拡大前から、ICT(情報通信技術)の進展に伴い都市では「移動」の減少傾向が出始めている。次世代移動サービス「MaaS(マース)」は、こうした状況下で移動の需要を新しく生み出すための取り組みとも言える。MaaSに象徴されるモビリティ革命や道路空間の再編がもたらす移動の未来は、都市をどう変えていくのか。交通工学分野におけるMaaS研究の第一者、一般財団法人計量計画研究所理事の牧村和彦氏に聞いた。

――東京圏では10年に一度、人の「移動」に関する公的な調査が実施されています。2018年に実施された最新の調査では、増加傾向を見せていた「移動」の総量が初めて減少に転じました(図1)。その背景や影響を、どのようにご覧になりますか。

牧村 「パーソントリップ調査」ですね。私たちの研究所が第1回(1968年)から支援させていただいているものです。新型コロナウイルスの感染拡大前から、「移動」の総量も一人1日当たりの「移動」を示す原単位も減少に転じていました。ICT(情報通信技術)の進展によって、面と向かって仕事の打ち合わせをする機会が減ったりしていますから(写真1)。

(写真1)一般財団法人計量計画研究所理事兼研究本部企画戦略部長の牧村和彦氏。都市部での移動を巡る課題として、一つは新型コロナウイルスの感染拡大防止策をきっかけに「移動=悪」と捉えられがちになった点を挙げる。もう一つの課題は、高齢ドライバーによる交通事故。高齢者が自ら運転せざるを得ない現実の中で、どう対応していくかが問われるという(以下、人物写真の撮影は尾関祐治)
(写真1)一般財団法人計量計画研究所理事兼研究本部企画戦略部長の牧村和彦氏。都市部での移動を巡る課題として、一つは新型コロナウイルスの感染拡大防止策をきっかけに「移動=悪」と捉えられがちになった点を挙げる。もう一つの課題は、高齢ドライバーによる交通事故。高齢者が自ら運転せざるを得ない現実の中で、どう対応していくかが問われるという(以下、人物写真の撮影は尾関祐治)
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(図1)東京都市圏交通計画協議会「第6回東京都市圏パーソントリップ調査」の結果。「トリップ」は、起点から終点までの移動を表す単位。「人口」は、調査対象エリアである茨城県南部を含む東京圏の5歳以上の人口(出所:東京都市圏交通計画協議会「新たなライフスタイルを実現する人中心のモビリティネットワークと生活圏」)
(図1)東京都市圏交通計画協議会「第6回東京都市圏パーソントリップ調査」の結果。「トリップ」は、起点から終点までの移動を表す単位。「人口」は、調査対象エリアである茨城県南部を含む東京圏の5歳以上の人口(出所:東京都市圏交通計画協議会「新たなライフスタイルを実現する人中心のモビリティネットワークと生活圏」)
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背景にはもう一つ、20代の若者の行動変容があります。別の調査結果を基に若者の1日当たり移動回数の推移をみると、この30年間で低下傾向にあることが明らかです(図2)。外出せずに自宅にいるほうが、満足度が高いということです。確かに、必要なものはワンクリックで自宅に届くし、世界中の人とインターネット上でつながれます。エンターテインメントもスマートフォンで楽しめてしまう。価値観はがらりと変わりました。

(図2)国土交通省が全国70都市を対象におおむね5年ごとに実施する「全国都市交通特性調査」の結果。20代の若者の1日当たり移動回数を経年で比較すると、とりわけ男性の移動回数の減少が著しいことが分かる(出所:国土交通省「全国の都市における人の動きとその変化―平成27年都市交通特性調査 集計結果より―」)
(図2)国土交通省が全国70都市を対象におおむね5年ごとに実施する「全国都市交通特性調査」の結果。20代の若者の1日当たり移動回数を経年で比較すると、とりわけ男性の移動回数の減少が著しいことが分かる(出所:国土交通省「全国の都市における人の動きとその変化―平成27年都市交通特性調査 集計結果より―」)
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影響は大きいですよ。交通需要は移動の必要から生じるものです。人の行き来が減れば、交通事業者は当然、打撃を受けます。

――そこに、コロナ禍が重なりました。

牧村 はい。しかし今後、感染拡大が落ち着けば、通勤以外の交通需要はコロナ禍前に戻る、とみられています。実際、新規感染者数がピーク時に比べ大幅に減少した米国では観光需要が回復し、空港の利用者数はコロナ禍前に比べ増えている地域があるほどです。ただ通勤客だけは先行き不透明です。リモートワークが浸透する中で交通需要がコロナ禍前と同水準にまで回復することは、路線によっても異なるでしょうが、望めそうにありません。

――交通事業者にとって次世代移動サービス「MaaS(マース)」は、向かい風の事業環境下で交通需要を生み出すものとして期待が寄せられていそうです。国内でのこれまでの取り組みについては、どこに注目していますか。

牧村 一つは、本格サービスが民間主体ですでに提供されている点です。代表例が、トヨタ自動車と西日本鉄道が連携し、福岡エリアで始めた「my route(マイルート)」です。2018年11月に実証実験を始め、1年後には九州旅客鉄道(JR九州)を新しいパートナーとして迎え、サービス対象エリアを北九州にまで広げたうえで、本格実施に移行しました。このMaaS事業者は対象エリアをその後も広げ、横浜や冨山でもサービスを提供しています。

生活・観光事業との連携に可能性

MaaSの一側面である交通産業の刷新という観点から見ると、競合関係にあった自動車会社と交通事業者が互いに手を組んだ点に注目しています。しかも横浜エリアでは、トヨタ自動車がスマホ向けに開発したプラットフォームでありながら、日産自動車グループが提供するレンタカーやカーシェアのサービスを組み込みました。エリアごとに提供されているサービスを取り込む動きには新しさを感じます。

交通事業者が主導するMaaSの例で言えば、小田急電鉄が2019年10月にサービスを始めた「EMot(エモット)」が挙げられます。沿線エリアで提供する生活サービスや観光サービスと連携し、例えば新百合ヶ丘駅の商業施設で2000円以上の買い物をすると同駅発着の小田急バスを無料で往復利用できる電子チケットを発行するなどの実証実験も、サービス開始と同時に実施していました。デジタルの強みを生かし、生活サービスや観光サービスといった交通サービス以外の産業とも連携を図り、沿線価値を高める狙いです。

――本格サービスとして可能性は見込めそうですか。

牧村 既存事業を取り巻く環境が将来に向け厳しさを増しそうな中、MaaSアプリの利用は着実に伸びているようです。とりわけ外出率の下がっている若年層は、生活行動の多くをスマホで済ませる世代です。MaaSアプリの利用が移動を新しく生み出すトリガーになり得るものと期待できます。

伸びている要因の一つは、生活サービスや観光サービスなど交通サービス以外の領域を取り込んでいる点です。移動のその先にある目的、例えば買い物や観光といった生活行動との連携を図ることが、MaaSアプリの利用を押し上げているとみています。しかも交通事業者は、これらの幅広い事業を通じて、サービス対象エリアに対する理解があります。だから、サービスの勘所が分かる。地域に根差した事業者として、そうした優位性を生かしながら、時間をかけて粘り強く取り組める強みがあります。

――都市部でのMaaSの課題については、どのようにお考えですか。

牧村 交通事業者の提供するサービスについて言えば、「沿線の壁」をどう乗り越えられるかという点が挙げられます。閉鎖的な「エゴ」システムではなく、本来の「エコ」システムを構築することが望まれます。

全く異なる観点から言えば、高齢化に伴う課題も指摘できます。大都市圏の郊外部には多くの人が居住しています。いまはマイカーの運転が可能で公共交通も利用できますが、高齢化に伴い、運転免許を返納せざるを得ない時期が訪れるかもしれません。そうなると、日常生活に多くの支障が生じます。中山間地域や地方都市での高齢者の足の問題は喫緊の課題として各地ですでに取り組まれていますが、大都市圏の郊外部でも同じように足の問題が生じることは明らかです。問題解決への成功モデルの開発が求められます。